2016年05月09日

◆老後の穏やかで豊穣な生き方

毛馬 一三



福岡高校の関西同級生会の6人の畏友グループが、月に2回開講の「俳句句会」を終えたあと、喫茶店で数時間、心おきなく懇談をするようになって8年目を迎える。

ところが時節を経るにつれ、話題が老化に伴う健康生活異変に移り出した。

6人中、現在比較的健康なのは、3人。残りの3人は、激しい腰痛や心臓病等に悩まされ出して動きがままならず、落ち込みの日々に見舞われている。

特に懸念されるのは、昨年7月に前立腺癌罹患と診断された某君。問題は癌手術をして癌細胞を除去しても、骨部への転移の可能性があるという。当人は、あと10年生きてポックリ逝けば満足だ等と、にこやかな笑みを覗かせる。グループは「癌にまけるな」と声を掛け励ましている。

筆者だが、今は交通事故の被害で「むち打ち症」に悩まされているが4年前には腎臓癌の疑いがあると定期検診先の総合病院内科で言われた。そこで、別の阪大系の総合病院内科に行って、腎臓専門医に検診をしてもらい、検査の結果、腎臓本体に癌症状はないと診断された。

ただ、腎臓の「腎嚢胞(じんのほう)」に若干懸念があるとして、同院内泌尿器科に繫いでもらい、ヨード造影剤の注射をしながらのCT検査行った。
 
その結果、「腎嚢胞」に少々の肥大部分が見られるが、癌に繋がる心配はないと診断され、これから半年毎にエコー検査をうけるよう勧められた。不安に取付かれて悩み続けていた腎臓癌から解放されたのは、超ラッキーだった。
 
悲喜こもごもの悩みや苦痛の真相を語り合えるようになったのは、月に2度定期に顔を合わせる日が出来、高校時代以上に心を許すグループになれたからだ。これからはこうしてなんでも打ち明け、悩みを吹き飛ばそうと約束し合った。
 
家族にも打ち明けられず一人で悩む「老後の生き方」を思いのまま話せるようになったのは、やはり「俳句つくり句会」で心の通い方を論じ合い、その余韻を日々持続させられることになったからであろう。これからも「俳句句会の楽しさ」を、老後の生き方に生かして挑戦して行こうと申し合わせている。

一日一日を重ねる歳月。これまで空しく過してきたとは思わないが、取り返しのつかぬ歳月というものが、近頃ほど重く心にかかるものはない。残りの時間が、はっきりしてきたからであろう。
 
この歳になると、人生を登山に例えると、確実に下山の途中である。山を登る時には、先へ先へと急ぎ、路を踏みしめ一歩一歩と足元のみを見詰める。

一方、山を下りる時には、視野が広がり、眼下の景色を楽しめる。こう考えれば、下山は決して寂しく惨めなことではないし、穏やかで豊穣で、それまでの知識・情報では及びもつかないような智恵にふれる、そう言う時期でもあるはずだ。 

中国明末期の儒者・呂 新吾(りょ こん)の「呻吟語」の中に、

・老いるは嘆くに足らず 嘆くべきはこれ老いて虚しく生きるなり
・死するは悲しむに足らず 悲しむべきはこれ死して聞こゆるなきなり   
という一説がある。

「老化」は、決して気落ちの要因にすべきことではない。老化や病にひるまず、「楽しみ」を生甲斐として突き進んで行くのが、これからの老後の豊穣な生き方ではないだろうか。福高関西同窓会の畏友グループ全員は、そう思うようになった。



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