2016年05月16日

◆論争にみた戦後ニッポンの悲しい必然

北条 かや



今やすっかりお馴染みの議論になってしまった、「子どもの声は騒音
か」問題。先日は、待機児童問題が深刻な千葉県市川市で、4月に開園予
定だった私立保育園が近隣住民の反対を受け開園できなくなった。周辺は
静かな住宅街で、高齢世帯が多いエリアだそうだ。(iRONNA)

報道によると、社会福祉法人の説明会が複数回なされたが、「子どもの
声は騒音になる」「保育所が面する道路が狭くて危険」などの意見が根強
く、断念した。反対運動を起こした住民たちに対しては、「子どもは社会
で育てるべきなのに、受け入れないとは何事か」という批判も寄せられて
いるようだ。しかし、批判の前に「大前提」を確認しておく必要があるの
ではないか。

 ■「地域コミュニティの衰退」では不十分

私は子どもが好きだが、やはり子どもの声は「うるさい」。物心つきは
じめる4〜6歳くらいの子どもたちと遊んでいると癒やされるが、時に彼
らは突然「キャーッ!」と叫んだり、耳をつんざくような泣き声をあげた
りする。心身ともに疲れている時には、とても相手ができない……こともあ
る。

しかし、子どもとは元々そういうものだ。うるさいし、はしゃぐし、 そ
れが集団になればすさまじきこと限りない。彼らはただ全力で生きてい
るだけで、そのあり方は何百年も変わっていない。ではなぜ近年、一部の
大人が「子どもの声は『騒音』で『迷惑』」と主張するようになったのか。

問題は14年、神戸市の保育所をめぐり、近隣の70代男性が「子どもた
ちの声がうるさい」として訴訟を起こしたあたりから騒がしくなった。14
年末からマスコミも取り上げ始め、NHKはクローズアップ現代で「子ど
もって迷惑?〜急増する保育所と住民のトラブル〜」と報じている
(2014年10月22日放送)。

今のところ、住民と保育所側の対立要因として挙がっているのは、「送
迎の車による事故の危険性が増す」「子どもの声が騒音になる」など、住
民たちが抱える環境変化への不安。そして、その背景には「地域コミュニ
ティの衰退」や、「社会の寛容性が失われたことがある」などと説明され
る。私はこうした議論に今ひとつ、納得がいかない。納得がいかないとい
うより、問題の背景説明としては不十分である。

「地域コミュニティが衰退し、社会の寛容性が失われた」と嘆く論調
は、たとえばこんなふうだ。

「昔なら路地裏で子どもたちが大声で遊んでいても、誰もなにも言わな
かった。となり近所の顔が見える地域コミュニティが機能しており、地域
全体で子どもを暖かく見守っていた。それが核家族化−−に加え、時には
“行き過ぎた個人主義”によって−−地域コミュニティが崩壊し、子どもを
異質なものとみなす住民が増えた。

社会の寛容性がなくなり、−−これま た時には“行き過ぎた個人主義”に
よって−−我慢せずに個人の権利を主張 することが当たり前になった。
だから子どもの声に対しても寛容性を示さ ず、自らの権利を訴える人々
が増えているのだろう」

(※“行き過ぎた個人 主義”の是正は、現政権が憲法改正の俎上に乗せたい
ところでもあるか ら、あえて強調しておいた。ここで深くは議論しない
が、問題が「戦後日 本の『自由』と『個人主義』」を反転させる方向へ
転がっていかないよ う、願ってはいる)
■国の「思惑」が少子化につながった

 まず事実として、戦後日本における「保育所」の出現がある。1947
年に児童福祉法が制定され、「保育に欠ける」子どもを預かる施設に予算
を投入するシステムが完成した。それまでは、工場の託児所があったり、
大家族の中で支えあって面倒を見たりと、保護者が働いている間の「子ど
もたちへの待遇」はバラバラだった。重要なのは今と比べて、戦中期から
戦後直後のベビーブーム時、1人の母親が産む子どもの数が異様に多かっ
たということだ。10人きょうだいなど珍しくもなんともなく、「人生
50年」の間に子を産んでは育て、産んでは育て、そして働く母親が大多
数だったのである。

 大きく変わったのは戦後。ベビーブーム以降、政府は食糧難の解消や福
祉サービスの向上を目指して、「少なく産んでお金をかけて、家庭で大切
に育てましょう」というふうに仕向けたのである。仕向けたとは大袈裟だ
が、そう表現するしかない。高度成長期には、祖父母らと同居する「拡大
家族」とは異なる新しい家族=「専業主婦の妻とサラリーマンの夫、子ど
も2人」が「標準世帯」とされた。三歳児神話がまかり通り、「専業主婦
の母親がつきっきりで子を見るのが当たり前」との考えが広まった。

 日本の経済成長にともなう専業主婦の増加(=男性賃金の上昇)、戦後
の保育所が「保育に欠ける」子どものために作られていたこと、母親が家
庭で、少人数の子どもを大切に育てる理想モデル、そして少子化。すべて
つながっている。子どもを社会で育てず、核家族内で母親が育てる。これ
が戦後日本における理想のシステムだったのだ。今さら「社会で育てよ
う」といっても、急に叶うものではない。


 ■国の「思惑」が少子化につながった

 まず事実として、戦後日本における「保育所」の出現がある。1947年に
児童福祉法が制定され、「保育に欠ける」子どもを預かる施設に予算 を
投入するシステムが完成した。それまでは、工場の託児所があったり、
大家族の中で支えあって面倒を見たりと、保護者が働いている間の「子ど
もたちへの待遇」はバラバラだった。重要なのは今と比べて、戦中期から
戦後直後のベビーブーム時、1人の母親が産む子どもの数が異様に多かっ
たということだ。10人きょうだいなど珍しくもなんともなく、「人生 50
年」の間に子を産んでは育て、産んでは育て、そして働く母親が大多 数
だったのである。

大きく変わったのは戦後。ベビーブーム以降、政府は食糧難の解消や福
祉サービスの向上を目指して、「少なく産んでお金をかけて、家庭で大切
に育てましょう」というふうに仕向けたのである。仕向けたとは大袈裟だ
が、そう表現するしかない。高度成長期には、祖父母らと同居する「拡大
家族」とは異なる新しい家族=「専業主婦の妻とサラリーマンの夫、子ど
も2人」が「標準世帯」とされた。三歳児神話がまかり通り、「専業主婦
の母親がつきっきりで子を見るのが当たり前」との考えが広まった。

日本の経済成長にともなう専業主婦の増加(=男性賃金の上昇)、戦後
の保育所が「保育に欠ける」子どものために作られていたこと、母親が家
庭で、少人数の子どもを大切に育てる理想モデル、そして少子化。すべて
つながっている。子どもを社会で育てず、核家族内で母親が育てる。これ
が戦後日本における理想のシステムだったのだ。今さら「社会で育てよ
う」といっても、急に叶うものではない。
 ■新たな寛容性とは

私たちはそもそも「子どもは社会で育てるべき」という考え方を(ホン
ネの部分では)理解していないのである。「子どもの声は騒音だから、保
育所を作るな」の議論が巻き起こるのは、戦後日本社会の悲しい必然だ。

平成になってからはご存知のように、不況や女性の社会進出で、専業主
婦モデルが崩れている。共働き世帯の増加に、保育所の増加が追いつかな
いから、それまで保育所がなかった狭い土地にも保育所を作らなければな
らない。今までなかった場所に、その環境を大きく変える施設が出現すれ
ば、なんらかの議論は起きる。保育所反対運動が増えるのは、新築マン
ションブームの裏で、マンションの建設反対運動が盛り上がる構図と似て
いる。

さらに近年、ものすごい勢いで高齢化が進んでいる。今や4人に1人が65
歳以上の高齢者。これだけ社会にお年寄りが増えたのだから、「社会の寛
容性」が上がった、下がったのとは無関係に、高齢層の声が大きくなるの
は必然だ。

「保育所作るな問題」は、戦後日本の家族システムの問題点が明るみに
出た「だけ」ともいえる。と同時にこの問題は、日本の福祉制度が転換期
にあることをも示している。社会の寛容性やコミュニティの衰退以前の、
単純な、そして重要な社会現象だ。「保育所作るな」という声に、どう向
き合うかによって、私たちは「これからどんな社会を理想とするのか」を
問われている。そこに新たな寛容性が生まれる素地は、きっとあるはず
だ。私は希望を託したいと思う、この社会の一員として。

北条かや 1986年石川県生まれ。同志社大学社会学部、京都大学大学院文
学研究科修了。15年5月、星海社新書より『整形した女は幸せになってい
るのか』刊行。前著は『キャバ嬢の社会学』。
産経ニュース【iRONNA発】2016.5.14

「保育園をつくるな」  著述家




      
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