宮崎 正弘
<平成28年(2016)6月28日(火曜日)通算第4945号 >
〜モルドバ、ウクライナを旅して
経済繁栄は達成されず、いまだに周辺諸国との軋轢〜
成田で出発する際に、「キシナウ(モルドバの首都)からウクライナのオ デッサに向かうバスの予約はあるか、なければ入国禁止の可能性があるの で、もしそうなっても構わない。自己責任ということで」誓約書にサイン を求められ、「えっ」と思いながらの出発となった。
そもそもキシナウーーオデッサのバスのキップを日本で買えるわけがない ではないか。
モルドバ共和国は、殆どルーマニア文化圏、経済圏(昔のベッサラビア) と言って良いのだが、周辺から孤立していて、とくにロシアとウクライナ から苛められている。
首都のキシナウは人口27万人足らずの小さな町である。
雑然として、ほこりっぽく、国会議事堂周辺にはテント村。「生活改善」 を叫ぶ政治集団の座り込みが延々と続いていた。表現の自由、結社の自由 は、確保されてきたようだ。
ともかく貧富の差が激しく、豪華レストランでは結婚式やら子供の誕生日 の祝宴などが行われ、また随所にカジノ、かつてのアルバニアの「ねずみ 講」の狂乱を思い出した。
さてキシナウからオデッサまでのバスは小型、運賃はわずか153レイ(920 円程度)。
国境の警備は機関銃を持つ兵士で溢れ、緊張感がただよい、審査が厳し く、モルドバ出国、ウクライナ入国に2時間もかかった。合計5時間。
しかもウクライナは隣国なのに、モルドバの通貨がまったく使えない。端 からモルドバを相手にしていない様子なので、あまったモルドバ通貨を帰 国時、イスタンブール空港で両替しようと考えていたが、ここでも両替不 可、要するにラオス、カンボジアの通貨がタイでも相手にされないような ものだ。
黒海のウクライナ側の港町オデッサはユダヤ人の街でもある。ユダヤマ フィアが巣くっていた地区がいまも残る。ポチャムキンの反乱で有名なポ チャムキン階段と、オデッサ港からの黒海クルーズが観光客をあつめてい るが、ロシアのクリミア併合とウクライナ内戦以後、外国人観光客は少な い。日本人はまずいない。
この町の出身者で作家のイサ−ク・パーペリは、こう書いた。
「世界の果てまで誉れ高い、わがオデッサ」には「ベッサラビアの国境か らリヤカーにワインを運んできた皺だらけのドイツ居留民の一団が腰を下 ろして、ぷかぷかと薬草をふかしていた。(中略)犬のバラ色の舌のよう に、太陽は空にぶら下がり、遠くペレスイピの岸辺には巨大な海が波を寄 せていた。彼方に浮かぶ大型船の帆柱はオデッサの入江のエメラルド色の 海水の上で揺らめいていた」(中村唯史訳。群像社)。
ここにでてくるベッサラビアとはいまのモルドバである。
オデッサは国際都市、かつてのソ連時代のユダヤ人の町でもあったが、い まや面影もなく、ユダヤ人は殆どが米欧かイスラエルへ渡り、シナゴーグ は寂れていた。