2016年08月06日

◆習近平が外国人排斥運動?

平井 修一



支那はどんどん悪い方へ向かっている。諫言すると地位、名誉、財産、命
のすべてを奪われるから、習近平の周りにはイエスマンと面従腹背の政敵
しかいない。習は裸の王様で、自分の妄想世界に生きている。急に「外国
技術に依存するな、これからは独自のイノベーションだ!」とわめき始
め、どうやら現場はぐちゃぐちゃになりそうな気配だ。

国際弁護士・村尾龍雄氏の論考8/1「表現の自由の強い規制下でイノベー
ションは成功するか?」から。

<上海にアメリカの大手メーカーに勤めるエンジニアの友人(アメリカ
人)が赴任してきたので、最近よく一緒に飲む機会が増えています。その
彼曰く、赴任直後から難問続出、頭を抱えているというのです。

その難問如何を問うと、「今まで長い間、中国側パートナーと一緒に仲良
く技術開発してきたのに、私の赴任直後から『最早アメリカの技術は不要
で、秘密裏に国産技術を開発するのだ』と言い出したのだよ」というのです。

どうもその背景には第13次5カ年計画で標榜する創新(イノベーション)
政策が深く関与しているようで、上層部から外国技術に安易に依存せず、
独自に新たな技術を編み出せとのお達しが出されている様子とのことで、
アメリカの最先端技術に依拠した共同技術開発チームの相互コミュニケー
ションがとれず、殺伐とした雰囲気が漂うというわけです。

確かに中国は1978年の改革開放以来、外国技術に模倣することで短期間の
うちに製造業の水準を世界トップクラスに押し上げましたが、ドイツと日
本の技術を丸パクリしながら、「わが国の独自開発技術」と誇る新幹線
(高鉄)の例はあれども、実際には独自開発部分は僅少で、模倣部分が圧
倒多数なので(そしてそのことを世界の誰しもが知っているので)、世界
に技術をライセンスし、組織的に儲けることに必ずしも成功していません。

危機感を抱いた中共中央、中央政府は「製造業2025」を政策目標として標
榜し、2025年に技術大国・中国の実現を模索しますが、そのための手段で
ある創新は自主開発を本質とし、独自性に富むものでなければならないと
いう発想があるようです。

しかし、イノベーションとは本来的には自由闊達な思想と表現が完全に保
障される環境下で、一見無関係な複数の技術が融合し合って生み出される
ものですから、当該保障が相対的に後退している現在の政権下で、上層部
からの強制だけでイノベーションを実現しようとしても、そこには構造的
に無理があるのではないか、と思うのです。

エジソンのように何百回、何千回も実験に失敗しようとも、それは決して
失敗ではなく、駄目な方法がまた1つわかったとプロセスを楽しみながら
実験を続けるだけのマインドは強制下で生み出せるものではあり得ないと
思うのです。

むしろ自主創新の実現に向けた一種の焦燥感がアメリカ人の友人の身に起
こったように、中国企業が今までの外国企業から謙虚に学ぶ機会を不合理
に剥奪する結果を招来すれば、模倣中心主義時代より相対的に製造業の力
が悪化する懸念すらあるように思われます。

私がお手伝いする中国版VR(仮想現実)及びAR(拡張現実)のように、ア
メリカで修行した天才エンジニアが驚くべき品質の製品を驚くべき低廉価
格で実現する「海亀寄与型イノベーション」は今後も散見されるでしょう
けれども、自主創新が本当に花開く可能性が高いとは到底いえないように
思えます。

2006年3月の第11次5ヵ年計画で前政権が自主創新の言葉を使い始めて10
年。今後の10年が自主創新をほとんど生み出せなかった今までの10年とは
違うという結果が出ればよいのですが・・・。

親中派を標榜する私の懸念が杞憂であることを祈るばかりです>(以上)

村尾氏の懸念は現実のものになる。習はトウ小平の改革開放路線を大きく
転換し、外国勢力を追放する排外主義へ進み始めたようだ。文革2.0、あ
るいは1900年の外国人排斥運動「義和団事件」2.0を起こしたいのだ。
「今度こそ勝つぞ、勝って大帝国を創るのだ」と。

各国は経済分野で相互関係を強めてきたし、中共もそうやって経済を発展
させ、GDP世界2位に駆け上がった。WTO(世界貿易機関)などの国際ルー
ルに従った良好な経済交流が世界の発展につながるのだ。

ところが国際ルールには先進国に有利な「知的財産権」という、中共が得
意とするパクリやニセモノを禁止する規定もある。たとえば外資が支那企
業と合弁で支那に企業を創り、100億円の利益が上がったとする。外資は
ライセンス料、ロイヤリティなどで60億円を取り、支那企業は5億円しか
取れない。

「実際に汗水流して工場で作り、必死に売っているのは中国人だ。それな
のに利益のたった5%しか我々には還元されない。理不尽だ。外国技術に
依存するな、これからは独自のイノベーションだ、自主創新だ!」と井の
中の蛙の裸の王様、習近平がわめくのは理解できる。

支那人は多くの国々の民と同様におカネが好きだ。それはいいが、とにか
く安直に儲けたい、博打、マネーゲーム大好きというのが数千年来の民族
性であり、地道にこつこつ努力を重ね、特許を積み上げ、ブランドに育て
るという「王道」とは全く無縁である。習近平以下14億人は「王道」の存
在すら知らないだろう。

改革開放以来も「王道」ではなく常に外資の知財を買うことで(多くは盗
んで)安直な「近道」を歩んできた。その民族が突然、イノベーション、
自主創新を叫んだところで、結局は看板倒れ、何も創造はできない。

これは「中共憎し」で小生が喚いているのではない。実態はもっとひど
い。莫邦富氏/作家・ジャーナリストの論考「雑貨の街『義烏』で見た中
国企業の革新と旧態依然」(ダイヤモンド2016/4/14)から。

<2016年3月3日、私は「中国貨物列車のイラン到達は一帯一路の大きな一
歩」と題して、中国の貨物列車が初めてイランに到着したことの意義や中
国版新幹線、高速鉄道の海外進出の動きなどを紹介した。

1月28日、この貨物列車は寝具・工具・アクセサリーなどといった商品を
32個の40フィートのコンテナに積んで、浙江省の「雑貨の町」という呼び
名で知られる義烏(イーウー)を出発し、新疆ウイグル自治区の阿拉山口
から中国国境を出た。

列車はカザフスタンとトルクメニスタンなど4ヵ国をまたいで1万0399キロ
メートルもの距離を走り、14日後に、イラン東北部とトルクメニスタンが
接するサラフスに入った。そこからさらに、イラン国内を移動して、終点
のテヘランに到着した。

そのなかで、「中国の義烏は世界的な日用雑貨の集散地で、イランはすで
に義烏にとって上から5番目の輸出対象国となっている。2015年、義烏を
訪れたイランのビジネスマンは延べ2万人を超え、1万8000個のコンテナが
義烏の税関を通ってイランへ輸出された」と義烏とイランとの経済関係を
述べた。

*14年ぶりの再訪で見た伝統と変貌

このコラムを書いたとき、前回、義烏を訪れてから、すでに14年の歳月が
過ぎ去ったのを思い、近々久しぶりにこの雑貨の町を訪問してみようと考
えていた。2016年4月中旬に中国国際電子商務博覧会が開かれると聞い
て、義烏の再訪に踏み切った。ちなみに、国際電子商務とは「越境EC」の
ことを指す。

14年前、私はNHKのスペシャル番組を製作するため、何度も義烏を訪問し
ていた。だから、14年ぶりの再訪で何を発見できるのか。その比較と発見
は密かな楽しみだった。

当時、上海からは遠く、浙江省の省都杭州市からでも車で3時間くらいは
かかる移動だった。空港はあるが便は少なく、高速道路もまだなかった。
交通は大変不便だった。いまは高速道路ができており、上海からの移動は
3時間くらいで済む。

車が義烏に入る前に、同行の関係者たちに、「義烏の町の照明は暗い。豊
かな町だが、節約を徹底している」といった当時の私の感想を披露した。
車が義烏に入ったとき、関係者たちは一様に感心することになった。「い
まも暗いのだ」と14年前の私の感想と同じ言葉を口にした。 

当時、私は全国紙で、義烏商人の金銭感覚を取り上げたことがある。「小
商品」、つまり雑貨の製造・販売で知られる同市の市内には、バザール形
態の小商品市場があり、蜂の巣のように細かくセルで区切られている。

一つのセルが一つの店舗で、面積はせいぜい数平方メートル。猫の額ほど
の舞台で、爪楊枝を100本売ってようやく0.01元(当時の為替レートで
は、1元は約15円)の利益を手にする、といったうまみの薄い商売をして
いる。(平井:100本で15銭!)

実際に爪楊枝を販売する店舗では、1日に10トンをさばくことも多い。1億
本売れた計算になるが、100本で0.01元なら、利益は1万元(15万円)だ。
私が訪問した眼鏡の商人も、眼鏡一つで利益はわずかに0.04元。だが、
5000個、1万個とまとまった数で世界中に根気よく売っていく。

義烏商人の会社を訪問したとき、38度にもなる猛暑だったが、どの会社の
社長室もクーラーが使われていない。いや、クーラーそのものが取り付け
られていない。片隅に置かれた扇風機も、工場にあるような汚く粗末なも
のだ。驚く私に「クーラーを1分間使うと販売した商品をどれだけどぶに
捨てることになるか」という返事が戻ってきた。

しかし、顧客が来る商品の陳列室には、ちゃんとクーラーを取り付けてい
る。ここまでコストの削減に努力している町全体の姿に頭が下がる思いが
した。

とはいえ、14年後の義烏は、その変革を迫られていた。人件費の高騰や環
境保護の出費もあり、コストの削減だけの努力ではもう限界に達してい
る。越境ECの勃興と伝統的な商売形態の衰退も新しい変貌とレールチェン
ジを求められている。

*原子爆弾を靴下のブランド名にする国際感覚

ある靴下の生産で知られる企業を訪れたとき、広い陳列室に顧客の姿は一
人もいなかった。私たちを案内していた責任者は名刺を持ってこなかった。

口々に「日本市場には入っていない。それを打破したい」と言っている
が、日本の関連企業を紹介しようかと応じたら、「100万足でないと、注
文は受け付けられない」と言われ、唖然としてしまった。「ユニクロとの
商売をしたい。2万足、3万足の仕事はしたくない」と例の責任者が弁解し
ている。

一方で、アメリカ、ドイツなどのブランド品の靴下の製造を請け負ってい
ると自負しているが、自社ブランドに原子爆弾を意味するネーミングをし
ている。海外市場への理解がまったくできてない。道理で日本市場に進出
できなかったわけだ、と納得した。

薄利多売の路線を求め、走ってきた義烏雑貨の発展の道のりを考えると、
その気持ちがわかる。しかし、これではもう時代遅れだ。

もう一つの企業を訪問したとき、まったく逆の発見をした。1994年に設立
した双童日用品という会社だが、二十数年、ずっとストローに専念したビ
ジネスをしている。世界規模のスーパーマーケットなどの優良企業から安
定した注文を受けていた同社は同業者から羨ましいと言われていた。

しかし、彼らは逆に不満を覚えていた。価格においては主導権を握ってい
ないのだ。そこで大手企業1社の注文が中小企業の10社の注文に相当する
なら、その10社の中小企業に営業の重きを置くようにした。

特許をもつ数々の製品の開発やブランディング戦略の構築などの努力もあ
り、順調に発展している。環境保護や社員の福祉厚生にも力を入れ、中国
では珍しい匠の精神に打ち込んでいる企業だ。誰でも納得できる優良企業
と言えよう。

薄利多売の義烏企業のこれまでの路線を離れ、まさにブランド、品質、差
別化で成長を続けている企業だ。後継者問題も解決できたようだ。

31歳の社長は1年前に就任したばかりだ。しかし、創始者でもある前社長
の補佐を5年もしている。16歳から働き始めた若い社長が企業戦略を熱っ
ぽく語っているその横顔を見て、少年工出身だとは思えないその成長ぶり
にまぶしさを覚えた。

まさに義烏の明暗を見た旅だったと思う>(以上)

双童日用品は例外的な進取企業であり、多くは薄利多売のままなのだ。イ
ノベーションを叫べばイノベーションが空から降ってくると習近平は思っ
ているのだろうが、実際に降ってくるのは通貨安によるインフレーション
か需要不足によるデフレーションくらいだ。

それにしてもイランへの輸出品は相変わらずの百均の雑貨・・・あまりに
も気の毒で涙が出そうになるが、これが世界2位の経済大国の実態なの
だ。中共に未来はない。(2016/8/4)
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