大江 洋三
1945年8月15日、昭和天皇の「終戦の詔勅」をもって日本及び日本人は、
潔く「敗戦」を受け入れた。
敗戦という重苦しい空気の中で、希望をもたらした人物が2人いる。
スポーツにおいては水泳の古橋広之進であった。1948年のロンドンオリン
ピックでは敗戦国のため日本参加は拒否されている。
渡航外貨など無かったから恥をかかずに済んだ側面もある。
しかし、古橋の名は轟いていて筆者が小学生の頃ラジオに噛り付いて、古
橋や橋爪の快泳振りを聴いて勇躍していたことがある。
世界新記録と聞くと、子供心に「アメリカに勝った」と喜んだ記憶がある
から、正に英雄であった。
その英雄も、みんな貧乏の中で衰え1952年のヘルシンキオリンピックでは
8位に倒れた。
ラジオの前で、家族みんながお通夜のようになった記憶もある。
しかし、それは間違いだと声をからした人がいた。実況中継したNHK飯
田次郎アナウンサーであった。
以下はウイキペディアの丸写しである。
『日本の皆さま、どうぞ、決して古橋を責めないで下さい。偉大な古橋の
存在あってこそ、今日のオリンピックの盛儀があったのであります。
古橋の偉大な足跡を、どうぞ皆さま、もう一度振り返ってやって下さい。
そして日本のスポーツ界と言わず、日本の皆さまは暖かい気持ちを以て、
古橋を迎えてやって下さい』
いま読むと、敗戦復興の意気込みがよく表れた国民への叱咤・激励である。
科学の世界においては、湯川秀樹による1949年の日本人初のノーベル物理
学賞が相当する。古橋の世界新記録同様に日本中が沸き立った。
物理学は科学技術の中心に位置するから、敗戦にも拘わらず自信というか
震い立った人も多かったであろう。
筆者の通っていた田舎の小学校では、朝礼で万歳までやった。
少し蘊蓄を垂れると、原子核がプラス電荷の陽子と同量の無電荷中性子か
らなることは既に知られていた。
しかし、有電荷と無電荷が強く結合している理由は長らく不思議であった。
湯川秀樹は中間子という結合媒介素粒子の存在を、世界で初めて理論的に
予言した物理学者であった。
同時にその数学力は、現代物理学でいう「強い力理論」の先駆者となった。
昨年、ノーベル物理学賞を授賞した梶田隆章博士によると、今も日本物理
学は世界の先頭のランナーの位置にある。
古橋広之進と湯川秀樹という文武の誉れが存在したからこそ、敗戦復興が
促進したと考えるのは穿ち過ぎであろうか。特に過ぎているとは思わない。