2016年09月20日

◆私の「身辺雑記」(381)

平井 修一



■9月12日(月)、朝6:00は室温25度、涼風、初秋の感。自転車で段ボー
ル置き場へ。

昨日から体調は少々上向いた。日曜日の午前中はカミサンに換気扇を外し
てもらい、しっかり掃除、オーバーホール。ずーっと気になっていたが、
気力体力が衰えていたので手が出せなかったのだ。

シコシコ2時間ほどかけてきれいにし、必要なところに油をさして動かす
とほぼ新品同様の軽快さ。すごいなあ、修ちゃん、GJ! 自分で自分を誉
めてやるのよ、誰も誉めてくれないから。

やってみせ やらせてみせ 誉めなければ 人は動かじ

まっこと、その通りだ。ご褒美に白ワインのロックとビール、そして昼寝。

土曜(10日)の晩には息子が長女を連れてやってきた。「ヂイヂが発狂し
た、かなりヤバそう、ふらふらしている」という連絡を受けたのだろう。
要は遺産相続の話。

息子「俺が埼玉の奥地に家を建てたからバアバはものすごく怒っていた
し・・・」

小生「ずいぶんがっかりしていたけれど、もうわだかまりはないよ。嫁さ
んはやっぱり実家に近い方がいいし・・・『マスオさんになっちゃっ
た』ってバアバは諦めたみたい」

息子「・・・相続のことだけど・・・どれくらいあるの」
小生「2、3億かな・・・バブルのときは5億くらいだったけど。気になる
のは分かるけれど・・・全部バアバが相続するようにするから、あと10年
とかは心配する必要はないよ・・・今年収はいくらよ」

息子「650万ほど」

小生「夫婦で1300万なら十分にやっていけるだろうから、当分は遺産を当
てにする必要もないだろう」

息子「・・・こっちに戻ってもいいけれど」

小生「やめとけやめとけ、嫁さんが安心して育児に励めるように、好きな
ようにさせておけばいい。男は嫁さんをペロペロ可愛がっていればいいの
よ、悪いようにはならん」

あとはわが家の昔話をしてオシマイ。父の関川家、母の久保家、そして養
子に行った平井家の話。息子はルーツに関心を持ち始めたようだ。もしか
したらわが家の墓を守る気持ちになったのかもしれない。

■9月18日(日)、朝6:00は室温25度、曇/微雨。久し振りにハーフ散歩、
帰路に墓参り。彼岸入りは明日だが、善は急げ、だ。

久し振りの日記だが、雑文でも気力体力がないと書けないのだなあと、つ
くづくビックリする。産経9/14、曽野綾子氏の「9.11から15年 不幸を魂
の財産にする叡智」には感動した。まだ感動するだけの気力は残っている
のだろう。

<避けて通りたい現実だが、困難や災難や、時には病気が、人間の心を育
てるのを、私も幼い時から見て大きくなった。当然のことながら、戦争
も、貧困も、病気も、人間の対立も、決してなくならないのだろう。しか
し人間は、涙の中から覚り、知ることがある。

だから私たちは避けて通れない不幸があった時、それを無駄にしない人間
になることだ。それだけが叡智と呼べるものだろう。

限りある生命と時間だからこそ、人間は賢くなり、生きるべき道を発見す
る。不運と不幸がいいわけではないが、それを生かす人間になる他はない>

珠玉の言葉だな。小生がひっくり返っても書けない。人間のデキが違う、
格が全然違う、哲学者、賢哲、高僧の域だ。小生が遊園地のポニー、ゴー
カートなら、曽野氏はテンポイント、シンザン、F1だ。解脱とはそういう
ことかもしれない。

解脱悟道の道は遥かなり。一歩でも前進したい、半歩でもいい、10センチ
でも5センチでもいい、たとえ1センチでも100日なら1メートルになる。シ
コシコやっていけば、やがて何かが見えてくるかもしれない。三途の川
だったりして。

■9月19日(月)、朝6:00は室温24度、泣き出しそうな曇。

散歩コースの彼岸花の群生はなかなか見栄えがするが、気力体力がなく
なっているから去年のようには楽しめない。「年年歳歳花相似たり、歳歳
年年人同じからず」とはこのことか。

室温が32度になるとクーラーをかけているのだが、去年はこれでまったく
問題なかった。今年は30度でクーラーをかけるべきだった、体力というか
耐性が減損し始めているのだから。

老化とはそういうものだと頭では分かっているのに、自分が実際に熱中症
なのか脱水症状なのか食欲不振なのか、まあ夏バテでひどい目に遭わない
と分からないのである。「羹に懲りて膾を吹く」くらいがいいのかもしれ
ない。

曽野氏の上記の論考に賛同する人は多いかもしれないが、実践する人は千
人、万人に一人、0.1〜0.01%くらいだろう。人間はサル山の大将だが、
現実にはザル。学びより遊び、忍耐より敗退、賢人より凡人が圧倒的主流
派である。悲惨な目に遭っても、悲しむばかり、降参するだけで、叡智に
昇華できる人は稀だ。

哲学者や思索家、思想家は、賢い生活者であることより、むしろ晩年は
ちょっと気の毒なことが多かったのではないか。ソクラテスは妄想をばら
まいて若者に害を与えたと非難され自害したし、ローマ帝国の哲人皇帝と
呼ばれたマルクス・アウレリウス、「ウォールデン」を著したソローの最
後もちょっと悲惨だった。

ソクラテスとマルクスの奥さんは悪妻と言われるが、ソローは片想いで生
涯独身だった。哲人であることとよき生活者であることは両立しがたいの
ではないか。そういえば三木清の奥さんは子供が幼児の頃に亡くなった
し、彼の晩年は悲惨、凄惨この上なかった。

多くの凡夫凡婦は賢者でいることより堅実な生活者であろうとする。曽野
氏の論考は立派だが、現実を見ると「小さな親切、余計なお世話」のよう
な気もするが・・・

来夏は小生はさらに気力体力が後退しているはずだ。よほど用心しないと
大嫌いな病院送りになってしまいそう。先日の小生の巻き起こした「幸せ
の黄色いハンカチンチ」色惚け事件は、死を前にして本能にある「もっと
子孫を」のソフトが起動したためだろう。ベートーベンもカール・マルク
スも、そして家康も、晩年でも欲望は盛んだったようである。

「頂門」の渡部亮次郎氏から励ましの電話をいただいた。ありがたいこと
である。もうひと踏ん張りするしかないわな。(2016/9/19)

      
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