2016年10月04日

◆日本のカイロプラクティック

渡部 亮次郎



日本のカイロプラクティックの歴史は1916年にパーマースクールを卒業
した川口三郎が帰国して横浜で開業したことに始まります。1918年には
神奈川県で「カイロプラクティック取り締まり規則」が制定されました。

1930年に東京府警視庁が「療術行為取締規則」を制定し、カイロプラク
ティック手技は「療術」の一部と定義され各県庁への届出によって営業
が許可されました。

1923年には日本初のカイロプラクティック団体「日本カイロプラクティッ
ク協会」が1921年ナショナルスクール卒業の大澤昌壽、1921年ラトレッ
ジカレッジ卒業の小平粂重によって設立されました。

また美座時中など海外のカイロプラクティックを視察し自己で研究して
日本に積極的に紹介しようとした者もいました。

戦前、アメリカで教育を受け日本に帰国したDC(ドクター・オブ・カイ
ロプラクティック)は14人ほどいました。日本人初のDC、森久保繁太郎
はパーマースクール卒業後アメリカに残りました。

川口三郎を初め、田中酉造、芹野伊勢吉、金沢督、大澤昌壽、小平粂重、
千葉忠八、播谷高山、横矢重孝、鈴木泰三、櫻庭豊、鴫原伊直、桜井真
一、桜井静子。戦争により1930年代から留学者が途絶え、1969年にナショ
ナルカレッジを卒業した竹谷内一愿が戦後初のDCとして帰国しました。

戦後、GHQは医師以外の医業類似行為一切を禁止しようとしましたが、幾
つかは難を逃れ制度化されるに至りました。療術に関しては1955年まで
既得権を認められ営業が許可されました。

1947年に全国療術協同組合(現在の全国療術師協会)が結成されて、
1955年の禁止期限中止を求めて活動した為、ようやく1964年に禁止期限
の解除が認められました。

1960年にはHS式無熱高周波療法を行った元炭坑夫が無資格で「按摩師等
方違反」に問われた事件で、最高裁判決は「人の健康に害を及ぼす恐れ
がある医業類似行為にのみ処罰を与える」と言う判決を下しました。

つまりカイロプラクティックを含めた療術治療は有害な場合だけ制限が
あり、無害なら罪にはならないという結果になったのです。この件は
1964年に再度仙台高等裁判所に差し戻され「人の健康に害を及ぼす恐れ
のあるもの」となり有罪で終結しました。

1961年に日本で初めてカイロプラクティックの7団体が団結し「日本カ
イロプラクティック総連盟」(初期は全日本カイロプラクティック総連
盟)が設立しました。7団体は「日米カイロプラクティック協会」(伊藤
緑光会長)、関西カイロプラクティック協会(長井幸男会長)、日本カ
イロプラクティック協会(松本茂会長)、日本カイロプラクティック医
連盟(岸田菱山会長)、全日本カイロプラクティック協会(保坂岳史会
長)、山形カイロプラクティック協会(斉藤利雄会長)、日本カイロプ
ラクタース協会(吉田盛豊会長)。

その後、東京カイロプラクティック協会(竹谷内米雄会長)、香川カイ
ロプラクティック協会、藤川整形外科カイロプラクティック協会(藤川
淳敏会長)、北陸カイロプラクティック協会(木村順二会長)、関東カ
イロプラクティック協会(中島美翠会長)オリエンタルカイロプラクテ
ィック協会(山田新一会長)、旭川カイロプラクティック協会(安原岩
夫会長)、手技整形カイロプラクティック研究会(塩川満蔵会長)の計
15団体が加盟し、アメリカ発祥のカイロプラクティック普及に貢献した
治療家達、伊藤緑光、松本茂、竹谷内米雄が所属していました。

1961年、最高裁判決を踏まえ、衆議院社会労働委員会での質疑で「無届
療術行為者の看板掲示は、医師法・医療法等の規定に反しない限り、職
業選択の自由により制限されない」と答弁しています。

按摩・マッサージ・指圧とカイロプラクティックの関係について、1970年
宮城県知事の紹介に対して厚生省医務局長は「カイロプラクティック療法
は脊椎の調整を目的とする点において、按摩・マッサージ・指圧に含まれ
ないものと解する」と回答しています。

「整体」や「指圧」は中国から伝わった按摩などの治療法を日本独自に
江戸時代までアレンジを加えて発展させてきたものに、明治後期以降海
外から輸入されたカイロプラクティック(創始者パーマー)、オステオ
パシー(創始者スティル)、スポンディロセラピー(創始者エイブラム
ス 後に衰退)などの脊椎に働きかける手技療法の理論と技法を導入し
誕生したものです。

指圧は1964年、柔道整復師が後に単独法になったため「あんまマッサー
ジ指圧師法」が制定されて、浪越徳治郎の経絡を押す母指圧が主流にな
りました。初期には視覚障害者を保護する目的で制定されましたが現在
では健常者も治療にあたっています。

整体は明治後期から大正にかけて「正体」「整體」など様々な表記がさ
れ昭和初期から「整体」という言葉が主流になりました。この頃、平賀
臨、玉井天碧、高橋迪雄、平田内蔵吉などの治療家が普及にあたり多く
の著書を出しました。

戦後は高橋迪雄の影響を受けた野口晴哉、橋本敬三などが活躍して、業
界では整体を統一する試みがなされましたが成功しませんでした。現在
でも整体の定義は曖昧で様々な治療法が乱立しています。中にはカイロ
プラクティックのテクニックを取り入れて整体と標榜しているところも
多くあります。

1991年、厚生省は「医業類似行為に対する取り扱いについて」の通達を
各都道府県庁に送り、「カイロプラクティック療法の医学的効果につい
ての科学的評価は未だ定まっておらず、今後とも検討が必要である」と
の見解を示しました。

この通達は三浦幸雄研究グループの「脊椎原性疾患の施術に関する医学
的研究」をもとに禁忌対象疾患の認識、一部の危険な手技の禁止、適切
な医療受療の遅延防止、誇大広告の規制を促しました。

以降、今でもカイロプラクティックは免許制度(国家資格)がない医業
類似行為に分類されています。世界では80カ国以上の団体が加盟するWFC
(世界カイロプラクティック連合)が1988年に設立されたり、WHO(世界
保健機関)がカイロプラクティックを代替医療として認めたり、2005年
に「カイロプラクティックの基礎教育と安全性に関するガイドライン」
を発行したりしています。

世界の中で大きく出遅れている日本の問題点は、カイロプラクティック
を標榜していてもWHO基準のカイロプラクティック学校で教授されている
ものとは全く異なる技術や理論を学び実践している「自称カイロプラク
ター」が非常に多いことです。

海外で正規なカイロプラクティックを取得した者の一部が、WHO基準以下
の学校やセミナーで「自称カイロプラクター」を送り出しているという
矛盾点もあります。またそのために他の医師や医業類似行為者の理解が
得られず、結果として厚生労働省もカイロプラクティックの免許制度を
保留したままです。

1995年にはアジアや日本で初めてのCCE(カイロプラクティック教育審議
会)アクレディテーションを取得したRMIT大学カイロプラクティック学
科日本校(現在の東京カレッジオブカイロプラクティック)が開校しま
した。

現在WFC(世界カイロプラクティック連合)日本代表団体である
JAC(一般社団法人日本カイロプラクターズ協会)が1998年に設立され
WHOのガイドラインの基準に沿った形でカイロプラクティックが法制化さ
れるよう活動しています。

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