2016年10月07日

◆尖閣騒擾はアメリカの責任

渡部 亮次郎



ま尖閣諸島返還問題に関して1971年当時の繊維交渉が関わっていたとされる。
尖閣諸島は1972年の沖縄返還の際に日本へ返還されたが、尖閣諸島の日本
への返還に対しては台湾政府からの反発も大きく、米国政府内でも否定的
な意見が多かったとされる。

その意見の中には、「繊維交渉で日本に譲歩を促す際の交渉材料にするた
めにも、直ちに日本に返還すべきでない」というものもあったことが米国
政府の外交文書ふら明らかになっている。(ウイキいペデイア)

このことについて10日発売の月刊誌「文芸春秋」7月号は<スクープ ホワ
イトハウス極秘テープ発掘>「尖閣領有 アメリカは日本を裏切った」とす
る早稲田大学大学院客員教授 春名幹男さん執筆の記事を掲載した。たし
か元共同通信ワシントン支局長だった方である。

春名氏は冒頭、次のように指摘している。
「尖閣諸島の領有権をめぐる日中の対立、緊張は長期化し,一蝕即発の危
機も想定される事態が続いている。・・・中国が公船を派遣して挑発し続
けているのはなぜか。

その一因はアメリカ政府の態度にある。尖閣諸島が日本の施政権下にある
ことを認める一方で、同時に領有権争いが存在することも認め「当事者間
で解決すべき問題」との立場をとっているからだ。当に中国は、米国が領
有権争いの存在を認定しているからこそ、挑発を続け,尖閣諸島を奪い取
ろうとしちるのだ」。

春名教授は過去5年以上に亘って米国立公文書館などで、機密解除された
米外交文書、「キッシンジャー電話会話記録」など大量の文書を読み解いた
結果,これまで知らされていなかった真相を突き止めた。アメリカの”あ
いまい戦略“の根本は、沖縄返還の裏で展開された米国と台湾との交渉に
あったのである、としている。

当時、「米中接近」で権謀術数をめぐらしていたニクソン=キッシンジャー
外交は日本との沖縄返還協定の調印直前、台湾側の要求を容れ手「沖縄諸
島の施政権を日本に返還しても中華民国(台湾)の領有権の主張を侵すこと
はない」との政策をまとめていたのである。しかし、日本側にはきちんと
説明されないまま、現在に至っているのだそうだ。

当時、アメリカは沖縄返還問題と並んで「繊維交渉」をかかえていた。わ
れわれは日米間だけの問題だったと思ってしまうが、アメリカは実は台湾
とのあいだでも懸案になっていたのである。この問題はニクソン再選への
高いハードルになっていた。

こうした中で台湾はアメリカが沖縄を日本に返還しても尖閣列島を返還か
ら除外するなら「繊維交渉を受諾する、との挙に出た。沖縄返還協定調印
の直前だった。

これにはホワイトハウス内部でももめたが、結局、尖閣の帰属は日本、台
湾の交渉に任せるという形で沖縄返還問題は進んでいったが、台湾と日本
の話し合いは進行しないままで終わった。アメリカは世界を驚愕させた
「ニクソン訪中」を発表した1971年7月15日の6日後、尖閣諸島の主権問題で
日本に対して台湾と話し合うよう「説得」工作を突然、中止した。

だから春名教授は言う。「そもそもアメリカは尖閣諸島の主権返還におい
て「当事国」であったはずだ。それが、日本側に十分な協議も説明もなく、
台湾との妥協を強引に進め、最後には台湾との交渉を日本に押し付けたこ
とになる。その“無責任”な対応がいま深刻なつけとして、東アジアに暗い
影をおとしているのだ。

このころ政治記者としてNHKにいた私は思い出す。「繊維交渉が解決しな
ければ佐藤栄作首相の悲願たる沖縄返還は絶対実現しない」。佐藤はニク
ソンに会うたび「善処」しますと約束しながら頼みの通産大臣大平正芳も
宮沢喜一も解決、

しまいにヤケをこしたように嫌がる田中角栄に通産大臣を振ったところ、
角栄はあっとに片付けた。大平や宮沢はことを外交問題と考えて,かえっ
て問題をこじらせたが、田中は国内問題と理解。補助金2000億円でぴしゃり。

直後。佐藤は福田赳夫外務大臣と田中通産大臣を従えてニクソンにあい、
自分の後継者として福田を紹介するつもりだったがニクソンは会ったら角
栄ばかりを歓迎。そのまま田中政権の誕生につながっ。
佐藤は「糸(繊維)で縄(沖縄)を買ったと揶揄されながらノーベル平和賞を
受賞。角福はともに晩年は不遇だった。2013・6・13前田正晶
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