2016年11月03日

◆日本での廃娼運動の歴史

渡部 亮次郎



日本には、江戸時代以来の公娼制度が存在していたが、明治5年に、明治
政府が太政官布告第295号の芸娼妓解放令により公娼制度を廃止しようと
試みた。

しかし、実効性に乏しかったこともあり、1900年に至り公娼制度を認める
前提で一定の規制を行っていた(娼妓取締規則)。1908年には非公認の売
淫を取り締まることにした。

大東亜戦争後の占領下、当時のGHQ司令官から公娼制度廃止が要求された
ことに伴い、1946年に娼妓取締規則が廃止され、1947年に、いわゆるポツ
ダム命令として、婦女に売淫をさせた者等の処罰に関する勅令(昭和22年
勅令第9号)が出された。

公娼制度は名目的には廃止されたが、赤線地帯は取り締まりの対象から除
外されたため、事実上の公娼制度は以降も存続した。なお、一部の自治体
は同時期に売春それ自体を処罰する条例を制定している。

昭和23(1948)年の第2回国会に、売春等処罰法案が提出された。しか
し、処罰の範囲等に関する合意の形成が不十分であったため、厳格すぎる
として審議未了、廃案となった。

しばらく間を置いた後の1953年から1955年にかけて、第15回、第19回、第
21回、第22回国会において、神近市子ら女性議員によって、議員立法とし
て同旨の法案が繰り返し提出された。しかしこれらは反対多数に遭い、い
ずれも廃案となった。

第22回国会では連立与党の日本民主党が反対派から賛成派に回り、一時は
法案が可決されるものと思われたが、最終的には否決された。

1956年、第4回参議院議員通常選挙を控える中で、第24回国会が召集され
た。自由民主党は選挙に向けて女性票を維持および獲得しようとの狙いか
ら、売春対策審議会の答申を容れて、一転して売春防止法の成立に賛同した。

法案は5月2日に国会へ提出され、同月21日に可決された。売春防止法は翌
年の1957年4月1日から施行されることになったが、刑事処分については1
年間の猶予期間が設けられ、1958(昭和33)年4月1日から適用するものとさ
れた。

法律が成立して以降も赤線業者は自由民主党の国会議員に接近し、同法を
撤回すべしとの説得を試みた。これに応える形で、自由民主党は1957年5
月に風紀衛生対策特別委員会(略称:風対委)を設置し、審議の場とした。

赤線業者は、転廃業のための満足な猶予期間および国家補償が必要である
として、猶予期間の延長を求め、即時の施行に反対する姿勢を示した。ま
た、自由民主党に対しては、全国で63の市町村長、1の県議会議長、37の
市町村議会議長、25の自由民主党支部長、151の商工会議所から、法の完
全な実施を延期すべきであるとの陳情書が提出された。

1958年4月1日、売春防止法は施行における猶予期間を経過し、以降も売春
の業を営む者に対しては刑事処分が課せられることになった。摘発事例は
少ない。

だから、現在公認の娼婦街は無いが、大阪の飛田新地など、表向き料理旅
館に転向したものの、客と仲居との個室内での自由恋愛の名目の下に、
1958年以前と変わらない営業を継続している地域がいくつもある。

また、東京の吉原のように、かつての公娼街がその後もソープランドや風
俗営業の多く集まる地域となり、公娼地域まがいに営業を続けている所が
ある。
『ウィキペディア(Wikipedia)』

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