櫻井よしこ
8月8日の今上陛下の「お言葉」で、私たちは改めて天皇の役割と日本国の
在り方について根本から考える機会を得た。政府は「天皇の公務の負担軽
減等に関する有識者会議」を設置。11月14日、私は専門家16人の1人とし
て意見を述べた。
有体にいえば、陛下のお気持を人間としての思いを軸に受けとめる場合
と、国の在り方を基に判断する場合とでは、結論は異なりかねない。従っ
て、いますべきことは、いわば情と理の2つの次元が近づき融和するとこ
ろまで叡智を絞って辿りつくことである。そのための努力が必要だと私は
思う。
お言葉の趣旨は次のとおりだ。象徴天皇として国の安寧と国民の幸せを祈
る祭祀を大切にしてきた。人々の傍らに立ち、寄り添うことも大切にして
きた。しかし高齢によって全身全霊で象徴天皇の務めを果たすことが難し
くなった。国事行為や公務の縮小による解決には無理がある。摂政を置い
ても、天皇の重責を果たし得ないまま天皇であり続けることになる。国民
の理解を得て、こうした事態を避ける方法を導き出したい。
丁寧な表現で示されたお言葉からは譲位を望まれていることが明確に伝
わってくる。圧倒的多数の国民は陛下の思いに共感し、譲位を可能にすべ
きだという意思表示をした。
災害時には被災地に足を運ばれ、病む人々の施設を分け隔てなくお見舞さ
れ、内外の戦跡を訪ねては鎮魂の祈りを捧げて下さるお姿が国民の心に
しっかり焼き付いている。全身全霊でご公務に打ち込んでこられたことを
国民はよく知っており、両陛下に深く感謝している。
それ故に、こうしたことが高齢の身には辛くなったと陛下が仰ったとき、
一も二もなく、大多数がお言葉を受け入れ、陛下の仰るとおりにして差し
上げたいと願った。
私とて例外ではない。1人の国民としての私の素朴な思いは両陛下への感
謝と尊敬に始まる。御心よ安かれとの願いも強い。従ってお言葉を耳にし
たとき、如何にしてお言葉に応え得るのかという視点で考え始めたのは、
ごく自然なことだった。
永続性と安定性
お言葉には「2年後には、平成30年」という表現もあった。それまでの譲
位を望まれているとすれば、時間は限られている。皇室典範を大幅に改正
する余裕などどう考えてもない。
ならば、制限された時間の中で、特別立法で対処するのがよいのか。法技
術に関しては政府が叡智を集めれば道は開けるはずだ。このような考えが
脳裡に浮かび続けた。
だが、その間にも、譲位を恒久制度化して問題はないのか、そもそも譲位
を認めることは国の在り方とどう関わってくるのかという問いが、心の中
にあった。皇室の安定と日本の形はどうなっていくのかという疑問も募った。
周知のように明治以前、譲位は度々行われた。だが、長い鎖国が破られ、
弱肉強食の国際環境の中に日本が立たされたとき、先人達は譲位の制度を
やめた。明治維新は、もはや機能しなくなった徳川幕府に代わって、天皇
が政治、軍事、経済という世俗の権力の上位に立ち、国民の心を統合して
成し遂げた大変革である。
国内事情だけを見ていれば事は治まったそれ以前の時代が去り、安定した
堅固な国家基盤を築かなければ生き残れない国際競合の時代に入ったと
き、先人たちは皇室にもより確かな形で永続性と安定性が必要だと考えた
のではないか。
国民統合の求心力であり、国民の幸福と国家安寧の基軸である皇室の安定
なしには、日本の安定もないと考えたのではないか。それが譲位の道を閉
ざした理由のひとつではないか。
歴史において譲位は度々政治利用された。時には国家・社会の混乱にもつ
ながった。このことも譲位の制度をやめた一因ではなかったか。
それに対して、譲位の悪用などもはや現在の日本ではあり得ないとの声が
ある。そうかもしれない。だが、100年後、200年後はどうか。国の基盤に
ついては、長い先までの安定を念頭に、あらゆる可能性を考慮して、万全
を期すことが大事だ。
明治の先人たちが智恵を絞って考えた天皇の在り方は、その後の歴代天皇
によっても固く守られてきた。昭和天皇は病いを得ても、ご公務がかなわ
なくとも、譲位なさらず、天皇として一生を完うされた。
今上陛下のお言葉が発せられたことを考慮しても、このような歴史を振り
かえれば、私たちは慎重でなければならないとの思いが湧いてくる。
ご高齢の陛下への配慮が当然なのは言うまでもないが、そのことと国家の
在り方の問題は別である。この大事なことを認識しなければならない。結
論からいえば、私はご譲位ではなく摂政を置くべきだと考える。日本国の
選択として、これまでのように天皇は終身、天皇でいらっしゃるのがよい
と考える。皇室典範第16条2項に「又はご高齢」という5文字を加えること
で、それは可能になる。
祭祀を中心軸に
だが、ここで再度、強調したい。大事なことは、国家の制度をきちんと守
りながら、人間として、陛下の思いを丁寧に掬い上げ、その思いを実現す
べく最大限の努力を、官民あげてすることだ。智恵を絞るのだ。
それが圧倒的多数の国民の期待するところでもあろう。有識者会議が具体
的目的として、ご高齢の両陛下の過重なお務めを如何にして削減するかを
掲げた理由もそこにあると思う。
早急にできることがある。天皇陛下のお仕事は現在、➀国事行為、➁公的
行為、➂祭祀、➃私的行為に分類されている。長い伝統に基づけば、皇室本
来のお務めで第一に来るべきは➂である。しかし連合国軍最高司令官総司
令部(GHQ)は、国民のために祈る最重要のお務めを私的行為と位置づ
けた。
その順位をいま、実質的に変えるのである。天皇のご日常を➂を最優先し
て、➂➀➁の順に組み替えればよい。憲法や皇室典範を持ち込む必要はない
だろう。地方や海外への行幸啓の折も、陛下は多くの公式行事の合間を縫
うようにして祭祀をなさっている。天皇陛下に祭祀のための時間的余裕を
設けることで、祭祀を中心軸とするご日常が可能になるのではないか。
このようにしたうえで、天皇陛下のお仕事を祭祀、国事行為、公的行為の
それぞれで整理し優先順位をつけ、普段から皇太子様や秋篠宮様との分担
体制を工夫しておくのはどうか。祭祀、国事行為、公的行為は、現行制度
の下でも皇太子様や秋篠宮様に代行していただくことが可能である。それ
をもう少し整理して進めることに何の問題もないはずだ。
現行法の下でできることは実は少くない。現実的な工夫と努力を、摂政
制度に重ねながら実践することで、陛下の御心にも沿えるのではないか
と、私は願っている。
『週刊新潮』 2016年11月24日号
日本ルネッサンス 第730回