加瀬 英明
日本が占領下で自由を奪われていた間に、外国によって銃口を突きつけら
れて、強要された現行憲法は、日本国憲法と呼ばれているが、「日本国」
の名に価いしない。
天皇は、日本国の「象徴」(第1条)と規定されているが、「日本国憲
法」の原文である英語では、「シンボル」と書かれている。
日本の憲法の原文が、外国語の英語だというのは、異常なことではないか。
「異常」という言葉は、「体の異常を訴える」とか、「精神が異常だ」と
いう意味で、用いられる。
原文が外国語であるということだけとっても、今日の日本は異常である。
「日本国憲法」が制定されるまでは、「菊花は御皇室の象徴である」とい
うように、象徴という言葉はあったが、日本語で人間を指して、「象徴」
という使用法はなかった。シンボルという原文を、他に訳しようがなかっ
たからだった。
現行憲法のなかで一つ、それまで日本語に存在しなかったのに、日本語と
して新しく造られた言葉が、用いられている。
ブンミン――「文民」という言葉だ。憲法第66条2項は、「内閣総理大臣そ
の他の国務大臣は、文民でなければならない」と、定めている。
軍人であってはならない、というのだ。第九条が軍隊を保有することを禁
じているから、軍人がいるはずがないのに、このような条項があるのは奇
妙なことだが、大慌てでつくった、お粗末な“即席憲法”であることを、示
している。
占領軍がつくった原文では、この「文民」に当たる言葉は、「シビリア
ン」である。ところが、それまで「シビリアン」には「市民」とか、「民
間人」という訳語しかなかったので、法律の用語として適切でなかった。
もし、現憲法を日本の手でつくって、制定したとすれば、それまで存在し
なかった、新しい言葉を造って、用いることはなかっただろう。このこ
と、一つだけをとっても、現憲法が外国製であることが分かる。
私は「象徴」という言葉を、それまでなかった用いかたをしたり、「文
民」という新しい言葉を造ったことを、非難しているのではない。
明治以後、「社会」「個人」「宗教」「指導者」「独裁者」や、「恋愛」
という、それまで日本語のなかになかった、おびただしい数にのぼる新語
――明治翻訳語と呼ばれる言葉――が造られては、日本語に仲間入りしている。
私は本誌の前号で、日本はいま生きている日本国民のものだけではない
と、訴えた。
当然のことだが、2000年以上にわたって、日本列島に生を享けて、日本と
いう国を創ってきた御先祖たちも、この国の主人である。
日本国はこの瞬間だけ、存在しているのではない。父祖代々にわたる深い
根がある。根のない国にしてはならない。
天皇が「日本国民の象徴」であるという時には、いま生きている日本国民
の象徴であられるだけではなく、2000年以上にわたる日本国の象徴であら
れるのだ。
昭和天皇は、今上陛下が御成婚になられた日に、「あなうれし神のみ前に
日の御子のいちせの契り結ぶこの朝」と、御製を詠まれている。天照大
御神のお血筋を継がれていることを、祝われたのだった。