2017年01月06日

◆祖父『門 頼雄』の足跡

室 佳之



インターネットが普及し始めた初期の頃、ネット上で自分の名前を検索し
たら何件くらい出てくるだろうと、つまらないことをやってみたことが何
度かある。10年前などは、数件程度だったが、頂門の一針で度々投稿して
いる所為もあって、最近は結構な件数になっているのではないか。

数年前、ふと祖父の名前を検索したら出てくるかしらと興味本位に試して
みたところ、その時は1件だけ当たった。

実は、もう少し出てくるのではないかと期待したものだった。というの
も、小生の自慢は、祖父の葬儀ほど大きなものに未だ参列したことがない
からだ。

親戚は新聞の訃報欄でその死を知ったというほどで、小生の縁戚の中で、
訃報欄に載ったのは後にも先にも祖父しか知らない。有名人だと勝手に期
待していたのだ。

祖父『門 頼雄(かど よりを)』は、日露戦争前夜の明治36年広島県生ま
れ、昭和60年に81歳で他界。小生は5歳まで祖父とともに過ごしたが、そ
の後3年間は父親の仕事で海外にいたところ、突然に訃報が入って、緊急
帰国した。8歳の時だ。小生が棺に入っている祖父の顔を触ったら一言
『冷たいね』と声を発したという。

小生は全く記憶にないのだが、祖母はその時の一言が印象に残ったよう
で、その一件を後年たびたび聞かされた。

5歳までの記憶では、とにかく優しいお爺ちゃんだったということ。川崎
の市バスで、家の前の停留所から終点まで往復するのが小生の楽しみで、
老人と小児どちらも無料というセコなバス小旅行に連れて行ってもらって
いた。

ここまで書いておきながら、実は祖父の情報をほとんど小生は持っていな
い。知っていることを単語にして並べると、広島出身、神戸大学卒業、
三菱、特許、ナイアガラ、、、くらいか。

最後の『ナイアガラ』というのは、なかなかの逸話で、祖父は既に戦前の
段階でナイアガラの滝を間近に見ていて、それも今でいう動画撮影までし
ていたのだ。

その後、小生が3年間カナダに滞在していた昭和50年代、1度だけ祖父母が
はるばる日本からやってきて、ナイアガラの滝を家族で見に行った。戦前
と戦後であの滝を見た日本人は少ないだろう。

ちなみに、その時の小生のナイアガラの滝の思い出は、滝そのものより全
員に被せられたレインコートがいやに汗臭かったということだけ。映画
『ナイアガラ』でマリリン・モンローが黄色いレインコートを着たキス
シーンを観た時、思わず小生は臭いの方が気になってしまった程だ。

本題に戻そう。戦前にナイアガラまで行くほどの祖父なので、勤めていた
三菱では結構な上役になっていたそうだ。そこで、冒頭のネット検索であ
る。『門 頼雄』で検索すると、なんと祖父の書いたであろう論文が引っ
かかったのでビックリだ。

『三菱HZ型高速度インピーダンス繼(継)電器及びその試驗(験)結果に
ついて』
https://www.jstage.jst.go.jp/article/ieejjournal1888/71/
749/71_749_132/_article/-char/ja/

インピーダンス。。。恥ずかしながら小生は、この言葉を初めて聞いた。
Wikipediaによれば、『電気回路におけるインピーダンスは、交流回路に
おけるフェーザ表示された電圧と電流の比である』と書いているが、余計
になんのことやらさっぱり分からない。やはり祖父は、相当の専門職だっ
たのだろう。

もう一つ、検索で引っかかるのは、『林田力 ゴーセン事件 職務発明判
例評釈』というもの。
http://www.hayariki.net/law/gosen.htm

この評釈のなかで、門頼雄『職務発明の管理』という論文名が紹介されて
おり、祖父の書いたであろう一節を紹介している。

『従業員等の発明を譲り受けた場合、直ちに評価しうる要素は技術的価
値、実用的価値等であって独占的価値、実施効果等は特許等として登録さ
れた後更に数年後の実績を見ないと十分の評価をなし難いのが普通である』

青色発光ダイオードの訴訟事件を思い起こさせる内容である。はるか昔か
らこのような特許問題はあったのだろう。祖父が特許関連に従事していた
ということは、おぼろげながら祖母から話を聴いていた。

実は、祖父も何かしらの特許を持っていたとか持っていなかったとか、そ
んな話もあったような気がする。

祖父が人格者だったという逸話を父親から聴いたことがある。戦後間も
ない頃、当時神戸に居を構えていた祖父は自身の部下の困窮を知り、相当
なお金を工面したのだそうだ。後年、父がその方に会った際、涙を流して
お礼を云われたとのこと。

そんな祖父は、昭和39年の東京五輪が終わった直後、まだ畑やら竹林が
存分に残っている川崎市の小田急線沿い『生田』駅から徒歩10分ほどのと
ころへ一軒家を建てた。

後年、小生の実家となったところ。庭付き、池付きの広い家で、小生が生
まれると一部増築して、父、母、兄と小生が移り住み3世帯家族となっ
た。祖父母の部屋は掘り炬燵で、小生も一緒になって冬場はいつも炬燵で
暖を取っていた。

優しいというイメージがなんとなく残っているのだが、一度だけ祖父に怒
られたことを鮮明に覚えている。多分5歳の頃。炬燵部屋へ入ってきて、
テレビを観ていた祖父の前で、いきなり小生がチャンネルをガチャガチャ
と回し始めたら思いっきり怒鳴られた。

そんな想い出以外、祖父のことについては遺影の1枚しか手元にない。あ
いにく父と絶縁したことで、小生は門姓も名乗らなくなった(頂門の一針
初期からの読者であれば、小生が『門佳之』と名乗っていたことを覚えて
いるかも知れない)。

平成27年の夏、10年ぶりに生田を訪ねてみたが、実家は跡形もなく、その
敷地には現代風のコンパクトな一戸建てが5、6軒建ち並んでいた。どこと
なく寂しい。

門(もん)のところに『門 頼雄』と黒く彫られていた表札がその昔は
あったのだが、それすらも今や小生の記憶の中にしか残っていない。しか
し、ほとんど祖父の形跡がない中、ネット上で祖父の論文を見つけられた
ことが、心底嬉しい。

皆さんもご先祖さんの名前を検索して見てはいかがだろうか。不思議な
発見があるかも知れない。



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