櫻井よしこ
皆さんのお目にとまる頃この記事はもう古くなっているかもしれないが、
ハワイ州立大学の恩師、ジョージ・アキタ名誉教授は、安倍晋三首相とバ
ラック・オバマ大統領が年末の12月27日、揃って真珠湾を訪れたことをと
ても喜んでいた。
ハワイ生れの日系2世である教授は今年91歳になる。真珠湾攻撃のときは
15歳だった。師が語った。
「ヨシコさん、日米がより良い友人になることが一番大事なんだよ。僕は
毎年、12月7日(真珠湾攻撃の現地時間)のことを思うけれど、75年が
経った今回は特に念入りに新聞やテレビのニュースを見た。
気づいたよ。かつて真珠湾攻撃にはスニーク・アタック(卑怯な攻撃)と
いう形容詞がつきものだったけれど、今回は殆んどがサプライズ・アタッ
ク(奇襲攻撃)に変わっていた。この2つの表現のニュアンスの違いは大
きいでしょ。アメリカ人も75年が過ぎて、当時の日本の事情を理解し始め
ている。安倍首相の語ったように和解を両国関係の基本にすべきなんだよ」
アキタ先生は敗戦国日本に米軍兵士として駐留し、後に夫人となる日本女
性に出会った。夫人はいま、先生が米国軍人として自らの永眠の場と定め
た、米国立太平洋記念墓地(パンチボール)に眠る。
私の日系人の親友でハワイ在住のジニー・前田氏も語った。
「日米2人の指導者が真珠湾に花を手向け、全ての犠牲者の霊に鎮魂の祈
りを捧げた。戦っても許し合う。受け入れ合う。それが本当に在るべき姿
だと思う」
攻撃から75年、2016年12月27日が、真珠湾攻撃の意味を変えた日になった
と語るのは、萩生田光一官房副長官である。
「安倍総理がオバマ大統領に呼びかけたのです。これまでは『リメン
バー・パールハーバー』、恨みつらみや復讐を思わせる呼び方だったけれ
ど、これからは『和解の日』、The Day of Reconciliationにしようと。
オバマ大統領は非常に前向きでした。大統領だけでなくアメリカ社会にも
その準備ができていたことをハワイで感じました」
勇者は勇者を尊敬する
萩生田氏は真珠湾の記念館を訪れて改めて心を動かされた。
「歴史博物館などではどうしても自国有利に歴史を描きがちです。しか
し、記念館では、日本も戦争回避に努力したこと、攻撃の背景にアメリカ
の対日経済封鎖があったことなども書かれていました。真珠湾を攻撃して
戦死した零戦パイロット、飯田房太中佐の遺体も、アメリカ軍は基地内に
埋葬し、記念碑を立てて、現在に至るまで海兵隊が守ってくれています」
アメリカ社会全体が日本憎しの怒りで沸騰していた空気の中で、日本軍人
を丁寧に埋葬し、任務を果たした勇気ある軍人としてアメリカ側は顕彰し
た。それを今日まで、海兵隊が続けていた。敵と味方ではあっても、「勇
者は勇者を尊敬する」という価値観をアメリカは日本に示してくれてい
る。それだけではないと、萩生田氏は次のようにも語った。
「アメリカ政府は現在も遺骨収集を続けています。真珠湾近郊の米国防総
省捕虜・行方不明者調査局の中央身元鑑定研究所に各戦跡地で収集された
遺骨を集め、DNA鑑定し、日本人だとわかると、持物などからも判断し
て日本側に連絡してくれます。可能性のある家族を見出して、その家族の
DNAと照合し、一致すれば遺骨を返してくれる。感謝の思いが湧いてき
ました」
歴史を振りかえれば日米間には軍事だけではなく、外交においても激しい
攻防や謀略があった。否定的に考えればいくらでも後ろ向きになれる。し
かし、そこから脱して、未来を見詰めることが、オバマ大統領の言葉のよ
うに、「お互いのために」大事だ。
とりわけいま世界は予測し難い局面に入っている。それは日本が最も苦手
とする謀略と情報操作の世界である。ロシアがサイバー攻撃でアメリカ大
統領選挙に介入したことは、オバマ大統領が介入があったとする米中央情
報局(CIA)報告を確認したことから見て、ほぼ間違いない。
クリントン氏の敗退を最も喜んでいると思われるプーチン大統領は、これ
から欧州各国で行われる大統領選挙や議会選挙にも同様にサイバー攻撃を
仕かけ、ロシアに有利な体制を各国に打ち立てようとするだろう。
西側諸国の国民が民主主義実現の手段と考える自由選挙が、よからぬ意図
で情報操作されることはいまや可能性の問題から一歩進んで忌むべき現実
となりつつあると見るべきだ。大国だけでなく、北朝鮮のような小国、そ
してテロリスト勢力でさえも、こうしたことを実行できる危険な時代に世
界は入っており、日本はこの分野では最も脆弱な大国だ。
日本の力を強化する
加えて、わが国の隣国は「まるで息をするように嘘をつく」。これは民進
党代表の蓮舫氏が安倍首相批判に用いた言葉だが、彼女はこの凄じく強烈
な批判を向ける対象を完全に間違えている。このように非難すべき相手と
して、最も適切なのは中国共産党であろう。
昨年12月10日、中国国防省は「訓練中の中国軍機に航空自衛隊の戦闘機が
妨害弾を発射した」と発表。防衛省は直ちに具体的に反論して、中国の主
張が捏造であることを事実関係をもって示した。
中国の攻撃は言葉による嘘だけではない。前代未聞の強硬手段も取り始め
た。12月15日、南シナ海で中国海軍は、米海軍の抗議を無視して、米軍の
眼前で海洋調査船の無人潜水機を奪い去った。
前日には、彼らが南シナ海のスプラトリー諸島で埋め立てた7つの島のす
べてに航空機やミサイルを撃ち落とすことのできる近接防御システム
(CIWS)を配備したことが判明しており、中国が己れの力に自信を持
ち始めたことが窺い知れる。
彼らはさらに、安倍首相が真の和解のために真珠湾に向かったのとほぼ同
時進行で、空母「遼寧」を沖縄本島と宮古島の海峡に向かわせ、第一列島
線を突破させた。その後「遼寧」は南シナ海に進み、中国第2の海軍基
地、海南島の港に入り、沿岸諸国を脅かし続けている。
そうした中、トランプ政権の政策が見えてこない。「なぜ、中国はひとつ
と、言わなければならないのか」と問う氏の政権には対中強硬派が揃って
いるが、実利に聡い氏が、逆に、中国に歩み寄る可能性もある。
力で押すもうひとつの国、ロシアへのトランプ氏の政策も不確かだ。
先行き不透明な国際社会で、日本が集中すべきことは2つ。日本の力をあ
らゆる意味で強化すること、日米同盟を誠実に強化し続けることだ。その
意味で安倍首相の真珠湾訪問は実に深い意味があった。
『週刊新潮』 2017年1月12日号 日本ルネッサンス 第736回