2017年02月12日

◆名所旧跡だより  犬山城・愛知県犬山市

 
石田 岳彦



「現存12天守」なる言葉をご存知でしょうか。
 
昭和以降、鉄筋コンクリートで再現された天守閣のレプリカ(?)は全国各地に数あれど(天守閣が建てられた歴史的事実がない城跡にまで建てるのはさすがにいかがなものかと思います。)、江戸時代以前の本物の天守閣が残っている城は全国に12しかありません。

これを総称して「現存12天守」と呼ぶことがあります。

12の城は、弘前城(青森県・弘前市)、松本城(長野県松本市)、犬山城(愛知県犬山市)、丸岡城(福井県丸岡町)、彦根城(滋賀県彦根市)、姫路城(兵庫県姫路市)、備中松山城(岡山県高梁市)、松江城(島根県松江市)、丸亀城(愛媛県丸亀市)、松山城(愛媛県松山市)、宇和島城(愛媛県宇和島市)、高知城(高知県高知市)です。

このうち、松本城、犬山城、彦根城、姫路城の4城の天守閣が国宝に指定され、残り8城では重要文化財に指定されています。

今回はその国宝4天守の1つ、犬山城のお話です。


愛知県犬山市の木曽川の河畔の丘の上に聳え立つ犬山城は、その立地から、「白帝城」(オリジナル白帝城は長江流域の丘上にある城で、三国志の主人公である劉備玄徳が諸葛孔明に後事を託して亡くなった城として有名です)とも呼ばれているそうです。

荻生徂徠(江戸時代、徳川綱吉の時代の学者。赤穂浪士の処分について切腹にすべきとの意見を述べ、採用されたことで有名ですね。)の命名ということなので、年季が入っています。

なお、横を流れている木曽川がライン川と似ているとのことで、木曽川の川下りは「日本ライン下り」という名称で興業されています。つまり、日本のライン川の河畔に、日本の白帝城が建っているということですね。少しは統一を図るべきだと思いますが。

犬山の地は尾張と美濃の国境にあるという戦略上の要衝であり、古くから城が築かれていたようですが、支配者もまた頻繁に変わり、最終的には、江戸時代に入って、御三家の筆頭である尾張徳川家の付家老成瀬家が城主になり、明治に至りました。

付家老というのは、御三家等に対し、将軍の直々の命により付けられた家老で、幕府からのお目付け役的な側面もあり、藩内での立場はかなり複雑だったようです。

明治以降も長く成瀬家が個人で所有していて、「個人所有のお城」ということでも有名でしたが、近年になり、さすがに維持が困難になったようで(相続税が恐ろしいことになりそうです)、現在、城は財団法人の所有となっています。

天守閣が建てられた時期については幾つか説があるようですが、増築によって今の形になったのは1620年ころということでした。
 
名古屋鉄道・犬山遊園駅を出て、正面に犬山城を見ながら、木曽川沿いの道を行きます。後述する有楽苑の横を通り、城の建つ丘に登ります。丘の下方は神社の境内になっていて、参道の階段を登って上へと進むと間も無く天守閣です。


犬山城にとって惜しむべきは、廃藩置県の際、多くの建物が破棄されてしまい、また、堀も大部分が埋められていることです。

城跡の歩き方といえば、堀に沿って歩き、橋を渡って城内に入って、幾つもの門をくぐり、所々で折れ曲がる道を登るという過程を経て、徐々に気分が盛り上がってきたところに本丸の天守に到着というのが理想ですが、犬山城の場合、近年になって天守付近の門や櫓の復元が行われているようですが、駅から天守閣に到達するまでの間には、城らしさを味あわせてくれるお堀、石垣、土塁といった構造物は残っていません。

お堀や石垣どころか、主要な建造物の大半が健在の姫路城は勿論、天守閣の他に幾つかの櫓と2重の堀が残っている彦根城に比べると寂しさは否めません。

それはさておき、入り口で靴を脱いで天守閣に登ります。犬山城に限らず、初めて「本物」の天守閣に登った方(なお、現存12天守は修復工事中の場合を除き、基本的に常時公開しています。)は、少なからず、愕然とするかと思いますが、天守閣の中は基本的に空っぽで、飾り気の欠片もありません。

犬山城の場合、一応、内部の壁も漆喰で塗られていて、畳敷きの部屋も一部ありますが(現存12天守の中には全層が板壁・板床というところもありました。)、豪華な装飾画などというものは皆無です。

織田信長の安土城や豊臣秀吉の大阪城の天守閣は、城主の住居として使われていて、狩野永徳に襖絵を描かせる等、内装にもかなり凝っていたようですが、安土桃山時代末期から江戸時代初期に立てられた城の天守(現存12天守はこの時期の建造です。)は、城主の権威を示すシンボルではあるものの、実際の用途という面では、主に倉庫として使われていたといわれています(城主は城内の御殿に住んでいました。

二条城の二の丸御殿を思い浮かべていただくと分かり易いかと。確かに4、5階建ての天守閣を毎日上り下りしながら暮らすのは大変でしょうからね。)。

さすがに「空っぽの倉庫」状態では物足りないので、天守の中に、鎧兜、刀、城の柱組みの模型等の資料を飾ったケースを並べたり、城の歴史や日本各地の城に関するパネルを設置したりといった努力もなされていますが、外観の華やかさに比して、味気ない内部です。

壁際に設けられている石落し等が、天守が(実際の運用は兎も角として)単なる倉庫ではなく、あくまで軍事施設であることを示しています。


最上階からの眺めは、月並みですが絶景です。平野の中の小高い丘の上、すぐ隣が木曽川というロケーションの勝利ですね。今のように高層建造物の少なかった昔において、高楼から遠方の眺めを楽しむというのは権力者の特権だったのでしょう。


さて、犬山城の麓には有楽園という庭園があります。名鉄犬山ホテルの施設の1つという扱いのようですが、一般にも公開されています(有料)。この庭園は、織田信長の弟である織田有楽が建てた茶室如庵(国宝)を中心に設計された日本庭園です。  

織田有楽は、本能寺の変で二条城に篭城した際には信忠(信長の長男で跡継ぎ)に切腹を勧めつつ、自分はちゃっかり脱出したり、大阪の陣の際も、淀殿の叔父(淀殿の母は、信長の妹のお市の方です)として豊臣方に世話になっていながら、直前になって城を脱出し、徳川方に転がり込んだりと(淀殿の妹のお江の方が2代将軍秀忠の正室でしたので、こういう芸当も可能でした。)、波乱に富んではいるものの、美しいとは言い難い人生を歩んだ人物ですが、茶人としては高名です。
国宝に指定されている茶室は、千利休の建てた待庵(京都府大山崎町の妙喜庵という寺院の中にあります)、大徳寺龍光院の密庵(京都市)の他はこの如庵だけなので極めて貴重な茶室といえます。

この茶室は、当初、京都にあったのを三井財閥に買い取られて、神奈川県大磯に移され(写真で見ましたが、大型トラックに茶室が丸ごと載せられて移動する姿は異様で、思わず、笑えてきました。)、更に名鉄に買われて、現在地に移築されました。

年に数回程度、特別公開で茶室の中にも入れますので、興味のある方は有楽苑のホームページを小まめにチェックしてください。


犬山には、他にもかの明治村があり(汽車、市電、乗り合い馬車が走っていて乗ることができたり、明治時代のレシピの洋食屋や牛鍋屋で食事ができたりと、単に古い建造物を集めた資料館ではなく、明治時代を体験できるテーマパークという性格になってきました。)、お猿専門の動物園である日本モンキーセンターがあります(ニッチな商売です)。

1泊2日くらいでゆっくりと見てみたい町です(ゆっくり見て回るなら、明治村で丸1日、犬山城と有楽苑で半日というところでしょうか)。終
                             (弁護士)

この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス: [必須入力]

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.seesaa.jp/tb/446886964
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。

この記事へのトラックバック