2017年02月23日

◆「措置入院」精神病棟の日々(7)

“シーチン”修一 2.0



2月17日は春一番が吹いて、生暖かった。散歩へ出かけたら砂が目に入っ
て涙が出たが、大姉と久し振りに会った。大姉の連れ合い、つまり小生の
義兄が亡くなってちょうど1年だと言う。

大姉「元気だったの?」

小生「・・・3か月入院していて・・・去年の葬儀の時は元気だったけど」

大姉「そう、とても元気だったわ。杖を引いているから具合が悪いのかな
と思ったけれど・・・大事になさいよ、お互いに元気で長生きしましょうね」

大姉は趣味のカラオケを今も続けているという。「子供たちが“運動にも
なるから”って勧めてくれるしね」、今年で77歳、喜寿になるが、66歳の
小生より頭も体も元気そうで何よりだ。大姉は歌が上手く、「まるでプロ
のよう」と小姉が誉めていた。書道も達人だし、神奈川中央交通のOLをし
ていた時は「入社式」とか「第○○期株主総会」なんて墨痕淋漓と書いてい
たとか。

母は書道の先生をやっていたから、その血を濃厚に受け継いでいるのだろ
う。4人きょうだいの中で大姉が一番優秀だった。

久し振りに大姉に出会えたのも天国の義兄の導きかもしれない、と散歩か
ら帰宅すると仏壇の両親に手を合わせて報告した。義兄は享年77だった
が、いささか早すぎる晩年は入退院を繰り返していた。すい臓がんではい
かんともしがたい。元気で長生き・・・難しいものである。

徳冨蘆花の「不如帰」で、新婚ほやほやの浪子は結核を患い、夫が日清戦
争で戦地へ赴任している間に義母から追い出され、やがては亡くなってし
まうが、当時の結核は不治の病だった。老人なら諦めもつくが、若い人の
病気は本当に気の毒である。

さて、小生の収容された3F急性期(閉鎖)精神病棟のホールには小さな本
棚があるが、患者15人中、小説や随筆など活字を読むのは小生と38歳のパ
ニック障害の娘さん、通称“パニック”だけであった。

彼女とは読書を通じて話すようになったのだが、変面の“マスクマン”と正
反対に顔つきがまったく変わらなかった。「顔面が凍り付いたよう」で、
いつも「電気ショック療法は厭だ、とても体調が悪くなる」と言っていた。

WIKIには「電気ショック療法は、頭部に通電することで人為的にけいれん
発作を誘発する治療法。日本国内では、うつ病、躁うつ病、統合失調症な
どの精神疾患の治療に用いられている」とあるが、この治療を定期的に受
けているすべての患者が車椅子で病棟へ帰ってきたし、2人は救急車で搬
送されていった。心身への負担が相当大きいのだろう。薬で症状が改善し
ない場合に採用される療法のようだが、何だか空恐ろしい。

新聞を熱心に読むのは小生だけで(もっともスポーツ、芸術、エンタメは
まったく興味がないが)、他の患者にはスポーツ面、TV面、社会面、チラ
シなどが読まれていた。

この新聞、有り難いことに産経だった。「読売もとって欲しい」という患
者の声もあったが、病院では完全に無視され、「ご自分でおとりくださ
い」。病院経営者が産経を好きなのかどうかは分からないが、一番安い全
国紙だからではないか。

東京(中日)新聞も安いが、熱狂的な左巻の上に熱狂的なドラゴンズ支持
だから精神病棟には不向きだし、読売の論調はまあまともだが、これまた
熱狂的なジャイアンツ支持だから、プロ野球報道はめちゃくちゃで、読む
に堪えない。

ベンツに乗っている病院の理事長は別のチームを応援しているのかもしれ
ない。それならまともな全国紙は産経しかない、と判断したのか。その可
能性は高い。

3Fの24床はすべて個室だが、うち身体拘束を伴う隔離室は8床、集中治療
室は7床、症状が改善してきた患者向けの個室9床にはTVもあるが、単純計
算でTV視聴率は60%ほどしかない。

小生は徐々に病状が改善し、入院から10日間ほどで拘束・拘禁の厳しい3F
病棟から、社会復帰を目指す2F病棟へ移された。そこは驚くほどの解放区
だった。(つづく)2017/2/21

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