2017年05月01日

◆北朝鮮のミサイル発射は「自爆」

宮崎 正弘 



<平成29年(2017)4月30日(日曜日)通算第5273号 >  

 〜北朝鮮のミサイル発射は「自爆」という結果だったが
  日韓は当然ながらロシア極東軍も警戒態勢を取っていた〜

 北朝鮮は4月29日、早朝にミサイル発射実験を行った。
 平壌の北東、北倉から発射された中距離弾道ミサイルは「KN17」と
米軍はみており、これは失敗したとはいえ、空母キラーという異名をとる。

折しも米空母カールビンゾンが、対馬沖から日本海へ入った、そのタイミ
ングを狙っており、そのうえ格別に留意すべきは、ミサイルは北東へむ
かって発射されたことである。米軍筋は、ミサイルは44キロ飛翔し、北
朝鮮領内に落下したと分析した。

4月にはいって、5日、16日、今回は3回目だが、いずれも失敗した。

失敗は北朝鮮の技術的貧困、あるいはミサイルの欠陥からくるものか、あ
るいは意図的に失敗させてはいるが、ある目的のために一連の実験ではな
いのかとする見方もある。

すでにオバマ政権の時代に、ミサイルを電波妨害で破壊する研究が開始さ
れているが、その研究成果の報告はまだ出ておらず、北のミサイル失敗は
米軍が妨害電波を出したからという観測もあるが、ミサイル内部の電子命
令系統は、外側から隔絶された設計になっている。

従って米軍の電波妨害が成功しているとは考えにくいのではないか。

むしろ北東へ飛ばすと、その先は日本海ではなく、ロシアである。

ロシアへ向かわせ、途中で自爆させているのだ。つまり技術力が格段に向
上していることを北朝鮮は見せつけ、米国、韓国、中国ばかりか、ロシア
に示威したとい解釈も成り立つ。

折からNYの国連では安保理事会が開催され、ティラーソン国務長官は
「深刻な危機」と分析し、ロシアや中国との論戦の最中だった。

中国の王毅外相は「問題解決の鍵は中国にはない」と盛んに逃げをうっ
た。ティラーソンは「話し合いは意味がない。過去に何回も騙されてい
る」という意味の発言をした。

この直後に、北のミサイル実験のニュースが飛びこんで、中国が主張して
いた「平和的解決」も国連安保理事会の緊急会合では虚しく聞こえた。

ロシア代表はガジノフ外務次官で、「もし米軍が先制攻撃を行えば、破局
を迎える」と横やりを入れていた。

またロシアは中国とともに「六者協議」を再開して話し合いを続けるべき
と主張したが、安倍首相は訪問先のロンドンの記者会見で「六者協議再開
という環境にはない」と、楽観的観測を否定した。


 ▼日本では警戒、監視態勢つよまったが

「この状況は戦後最悪の危機である」と有力政治家の発言が続く。

日本ではミサイル発射ニュースの直後から、「安全確認」を目的に東京
の地下鉄は10分間、停車した。

ほかに北陸新幹線も停車して、被害を避ける準備に入った。

すでに秋田県男鹿半島などでは避難訓練が行われており、日頃の平和ぼけ
から防御への頭に切り替えが行われつつある。

地下鉄の場合は、地下シェルターとしての態勢がとれるか、どうか。いや
地下鉄の構造に、そういう能力があるのか。鉄道にしても、ミサイル被害
がもしでた場合、いかなる措置を必要とされるか、政府は具体的検討に
入った。

ミサイルは失敗しても、その自爆あるいは自壊場所によって、残骸が墜落
する危険性を伴い、あるいは日本海であってもイカ漁船などが操業中の海
域に落ちれば被害が出る。

陸続きの朝鮮半島から中国、ロシアの国境付近も、落下の危険性の潜在的
ポイントとして加えておくべきだろう。

じつは4月29日の北朝鮮ミサイルは失敗したが、落下を警戒してロシア極
東では警戒態勢が取られていたのだ。

極東防空識別圏内で「アラート」が発せられ、東部軍区(ハバロフスク)
ではS400対空ミサイルシステムが稼働した。

「ミサイルの残骸が露西亜領内に落下する危険性に備えた」とビクター・
オゼロフ(ロシア連邦上院軍事委員長)が発言した(アジアタイムズ、4
月30日)。

一連の北朝鮮擁護発言をくりかえしてきたロシアとて、政治的思惑と世界
政治の攪乱、アメリカ主導への当てつけ、トランプ外交への妨害などが目
的で、計算づくでなされた政治発言はロシアの地位回復を企図した政治的
ジェスチャーである。

矛盾するかのように極東ハバロフスク軍区の警戒態勢入りがなされている。

        
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  ◆樋泉克夫のコラム 
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
 
【知道中国 1563回】        
――「正邪の標準なくして、利害の打算あり」――(?富2)
   ?富猪一郎『七十八日遊記』(民友社 明治39年)

            ▽

趙爾巽(1844年~1927年)は漢人八旗の出身。清末民初の政治家で、東三
省総督時代に遭遇した辛亥革命に際しては満州において革命勢力を押さえ
込み、革命の余波が満州に及ぶことを防いだ。清朝が崩壊し中華民国が成
立するや、漢人官僚の代表で中華民国の実権を握った袁世凱や後継者と
なった段祺瑞の幕下に馳せ参じ、清朝の歴史を記した『清史稿』の編纂を
主幹した。

徳富を前に趙爾巽が「頻に日本の新聞か、自分を誤解し居る」と“不満”を
口にしたということは、趙が自分を軽んずる日本に不満を持っていたとい
うことであり、日本は趙の政治家として実力を見限っていたということだ
ろう。

奉天にある清朝の王宮へ足を向けた。「宮殿の内部、寶物、及ひ4大書庫
の一なる文溯閣を見物」している。「宮殿は朝鮮も、支那も、其の荒廢は
同樣也。目下修繕中の由にて候得共、それも覺束なく存し候」。宝物は数
あるが、やはり乾隆帝が勅命で編纂を命じ、清朝の総力を傾け、400人を
超える学者を総動員して全土に残された書籍を網羅した四庫全書を納めた
「文溯閣の戴籍」を目にしては、さすがに「快心洞目」せざるをえなかった。

とはいえ文溯閣には長期にわたって人の出入りがなかったらしく、貴重な
書籍には塵が堆く積もっていた。「塵埃の積る寸餘なるには閉口致し」て
いるが、ここで一転して、「支那にては、流石に4億餘の人口ある故に
や、人間程廉價のものは、此れなく」と呟く。それというのも「斯る寶物
庫や何やを見物するにも、役人やら油虫やら、ぞろぞろと左右前後より取
り捲き、?々喋々の奇聲を發し、且つ名状す可らさる奇臭の包圍攻?には、
閉口中の大閉口にて有之候」と。

何にもまして繁文縟礼を旨とするだけに、清朝の役人が多くのお供を従
えて案内したことだろう。態度物腰は慇懃のうえに慇懃ではあるが、ベ
チャクチャと喧しい限り。加えて彼らに入浴の習慣もなく、油の沁み込ん
だような厚手の衣裳を纏っている。「名状す可らさる奇臭の包圍攻?」に
は、神州高潔の民を任じていたはずの徳富ならずとも「閉口中の大閉口」
と呟かざるをえなかったはず。
 
次に向かったのが、清朝2代目皇帝ホンタイジ(漢字で皇太極)を祀る昭
陵だった。
 
奉天の城門を出る。「支那詩人の所謂る一坏土たる、土饅頭の墳墓と、且
つ糞塊の堆をなす間を、用捨なく排進し、渺々たる廣原を過ぎ、鬱然たる
森林中に入」ると、その先に昭陵が構えていた。「塲所と云ひ、結構と云
ひ、奉天第一の見物」ではあるが、ここでも「支那の役人、若しくは小价
等か、左右に附き纏ひ、大聲にて何やら分らぬ言を喋舌するには、聊か五
月蠅からさるにあらす候」。案内する役人やらお供の下役の振る舞いが、
よほど気に入らなかったに違いない。それにしても「糞塊の堆をなす間
を、用捨なく排進」とは、想像するだけでもクサそうだ。

 18万の人口を称する「奉天は、流石に(中略)滿洲中の都會也」。「日
本人の居住する者2千人、其の在留者は、概して6千人内外、軍人は其外
に候由に候」。ということは、日本人滞在者は長期が2000人で、短期が
6000人ということか。これに駐留軍人が加わっていたわけだから、やはり
当時の奉天では日本人は一大勢力だったと考えられる。

日露戦争が終わったとはいえ、「戰後の情態は、未た全く恢復したりと
は、申し難かる可く候」。それは、「物價の格外なる不廉にて、明白に
候」。物価の高止まりが「此儘にて永續するは、甚た面白からす候」。だ
から日清協同事業の声が挙がるのは判らないわけではないが、満州におけ
る日清両国民の信用と好意とが容易に得られない以上、「言ふ可きも、决
して容易に行ふ可らさるかと察せられ候」ということになる。
次なる目的地は大連。
《QED》
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