2017年05月12日

◆コショウ(胡椒)知らず

渡部 亮次郎



コショウを全く知らずに育った。米どころ秋田で生まれ育ったため、麺類を知らず、大学の食堂で友人がラーメンを食べる前に振りかけたのがコショウ(胡椒)というものであることを初めて知った。

田舎時代は肉料理といっても庭で放し飼いの鶏を潰すだけ。牛肉も大学に入って初めてだったから、肉料理に胡椒を振りかけたほうが美味しいというのも学生になってからである。

長じて「常識」を学んだ。ペッパー pepper はサンスクリット語のpippali(ナガコショウ)が転訛した語とされるが,インド産のものが中央アジアの通商路を経由して中国にもたらされたため,〈胡=西方〉の〈さんしょう(椒)〉とよびならわされた。

ギリシア・ローマ時代には南インドのマラバル産コショウがインド洋の貿易風(ヒッパロスの風)を利用して輸出された。中世に入るともっぱらアラビア商人が独占的に扱った。

15世紀末に新航路が開拓されると,ポルトガル,スペインなどは香料の獲得に力を入れ,マラッカ,キャンベイはその中継・集積港として栄え,また南インドのアラビア海沿岸の小海洋王国はコショウの輸出や関税収入を財源としていた。

17世紀にはイギリス東インド会社がアジア貿易を一手に握り,コショウはアイ(藍),キャラコとともにインドからの主要な輸出商品となった。

東インド原産のコショウ科の常緑つる植物。その実は最も古くから著名なスパイスの一つで,香辛味のほか防腐効果,食欲増進の効果などがある。

古代ローマ時代のヨーロッパでは,シナモンとともに最も珍重され,コショウの粒は同量の銀と等価といわれた。コショウ貿易の利益の独占をめぐって,15世紀からのいわゆる大航海時代には,ヨーロッパ列強の東方進出,植民地争奪戦争などの事件が相次ぎ,世界史をゆり動かす原動力にもなったといわれる。

青い未熟の果実を,房ごと収穫する。2日間日干しすると,しわがよって黒くなる。足で踏んで柄を除き,粒だけにしたものが黒コショウ blackpepper である。

完熟果を収穫し,流水に漬けるかした後,乾かしてから摩擦によって果皮と果肉を除去し,灰白色の種子だけにしたものが白コショウ whitepepper である。

コショウが日本にもたらされたのはかなり古いことで,天平勝宝8年(756)の《種々薬帳》(《東大寺献物帳》)に名が見えるように,はじめは薬種とされていた。

しかし,獣肉や魚の料理に用いられたこともあったようで,後三条天皇はしばしばサバの頭にコショウをぬって焼いて食べたと,《古事談》は記している。

いまでもトウガラシをコショウと呼ぶ地方がある(九州)が,トウガラシは渡来当初はコショウの一種と考えられていたらしい。


元禄(1688‐1704)ごろには薬屋で売られる一方,粉ザンショウなどといっしょにコショウの粉を売り歩く行商人があったことは,西鶴の作品などに見える。

近松門左衛門の《大経師昔暦》に〈本妻の悋気(りんき)と饂飩に胡椒はお定り〉とあるように,江戸前期、うどんにはコショウがつき物であった。後期になってそれが廃れたようで,大田南畝は〈近頃まで市の温飩に胡椒の粉をつゝみておこせしが,今はなし〉と《奴師労之(やつこだこ)》に書いている。

日本には,つる性常緑草本のフウトウカズラ P.kadzura (Chois.) Ohwi が関東地方以南の暖地に分布している。参考:世界大百科事典
2009・12・14

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