2017年06月17日

◆アフガニスタンの泥沼から抜け出せ

宮崎 正弘



<平成29年(2017)6月16日(金曜日)通算第5329号> 

〜 アフガニスタンの泥沼から抜け出せ
  トランプ戦略がつぎに当たりをつけている戦場は〜
 アフガニスタンの泥沼がトランプの足を引っ張っている。

9:11テロへの報復として開始された対テロ戦争。当時のブッシュ大統領が
宣言したように、「この戦争は長くなる」。じつに長曳いている。

米国がアフガニスタンに足を取られてから16年。死傷者は夥しい数に登
り、これも国内の厭戦気分をいやます。

オバマ前政権の左顧右眄、優柔不断ぶりが状況を悪化させ、軍が進言した
作戦をことごとく無効にした。

オバマ政権下では、国防長官がオバマに見切りをつけて次々と辞任した。
ペンタゴンを蔽ったのも厭戦ムードだったのだ。カーター国防長官はオバ
マに怒りをぶっつけ「軍事方面の理解がまるでない」(だから軍の作戦に
口出しするな)と回想録に書いたほどだった。

このアフガニスタンにおける長期の泥沼をもっとも喜んでいるのはロシア
と中国である。アメリカの疲弊を待っているのだ。
 
NATOの欧州参加国は渋々緒線に軍を派遣したが、ドイツ、カナダを筆
頭につぎつぎと引き上げ、現在残留はアメリカ兵が8500である。

米軍は空軍によるピンポイント攻撃とドローンを駆使しての指導者暗殺を
作戦の主体としており、同時に力点を置くのがアフガニスタン政府軍の育
成。訓練である。これらの費用は米国が負担している。

しかしアフガニスタン政府軍の腐敗、いや政府そのものの汚職体質が普遍
的であり、ガニ政権は決断力に乏しく、トランプは「アフガニスタンを早
く解決したい」としてマティス国防長官に従来を画期する作戦立案を要請
した。

米軍は作戦の迅速化、効率化のため5000名を増派する計画を提示している
が、おそらく2000−3000の兵力に留まるだろうと議会の軍事専門筋は予測
している。

アフガンに深入りしてしまった米国は、シリアでミサイル発射したくら
い、二正面作戦をとれないというジレンマ。北朝鮮の増長は、こうした背
景を読んでいるようだ。
     
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◆樋泉克夫のコラム 
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【知道中国 1585回】   
――「正邪の標準なくして、利害の打算あり」――(徳富24)
   徳富猪一郎『七十八日遊記』(民友社 明治39年)

              ▽
  (38)【一切平等の宗?界】=中国史には「種々なる慘劇の續出する
に拘らす、殆んと宗教的迫害なるものは、絶無」だが、それは「支那人か
宗?に對して、寛大なりと云はんよりは、寧ろ其の無頓着なるか爲めと可
申歟」。「一切の宗?者皆な平等の待遇を享け」ている。「儒?、佛教、
道?、回々?、及ひ基督?、其他牛鬼蛇神、種々雜多の宗?らしきもの」
は互いに「相接觸して、何等の衝突なく、平和を保ち居り候」。

 (39)【宣?師問題】=「一切平等の宗?界」であるにもかかわら
ず、なぜ「近來の基督?に對してのみ」「宣?師殺害や、會堂焼拂の事
件、出來する」かといえば、「畢竟宣?師の方より、喧嘩を押し賣りする
か爲め」である。「元來宗?に無頓着なる支那人、喧嘩嫌ひの支那人をし
て」「宣?師殺害や、會堂焼拂」に奔らせるのは、やはり「宣?師の總て
と申さゝるも、其の多くの中の或者等」が「罪人たるの言行を逞ふしつゝ
あ」るからだ。

 ここで疑問が1つ。徳富が宣教師が「押し賣りする」と指摘する「喧
嘩」とは、いったい何を指すのか。おそらく東西の本願寺による仏教布教
を含め、いずれ考察すべき課題として残しておきたい。

(40)【寫實以上に出てす】=「吾人は支那の風景に對して、支那畫の
實に寫實たることに感服致し候」とは、内藤湖南が『支那漫遊 燕山楚
水』(博文館 明治三十三年)で語っていた点に通じるだろう。

内藤は北京郊外を歩き、「到る處楊柳、白楊、楡などの類より外に樹木」
はなく、「墳墓の畔り」に極く僅かに常緑樹が見えるような殺風景な景観
に接し、宋代の画には「老蒼たる松柏」が描かれているが、「元明以下の
畫に、青?の山水といえば、多く楊柳の類より外に畫ける樹木とはな」く
「甚だ力なき心地する」と綴り、「元明以下の畫」は「自然の結果」であ
り、その極めて貧相極まりない自然を忠実に描いたのが「元明以下の畫」
だと結論づけている。つまり「元明以下の畫」に自然の持つ豊饒さが見ら
れないのは、元明以後になって豊かな自然が失われてしまったから、とい
うことだろう。

徳富と内藤の考えは、奇妙に一致している。

 (41)【文學と藝術】=彼らは写実に優れているが、「動もすれは、時
間空間の觀念、精確を缺き、且つ事物の釣合、權衡の觀念、其の宜しきを
得す。加ふるに彼等の言葉の餘りに概括的」であるがゆえに、「語りて精
しからす、詳かならさる」という致命的な欠陥を持つ。そこで「寫實的な
る文學や、藝術も」、じつは写実的な作品として昇華させることができな
い。たとえば白楽天の詩とはいえ、やはり「詩と云はんよりも、新聞の三
面雜報に候」。そのうえ彼らは「形式病に感染し、此れか爲には折角の寫
實も、めちやめちやに相成」ってしまう。

 時間と空間の観念の欠如、言語表現の定式化、文章の形式化などによ
り、「文學と藝術」に写実表現は発揮されず、表現する側の個性は消さ
れ、結果として「めちやめちやに」。それにしても白楽天の詩を「新聞の
三面雜報」と断じる辺り、徳富の面目躍如・・・かなァ。

 (42)【趣味の幼穉と野鄙】=先ずは「彼等は俗物に候」とズバリ。
「其の趣味の幼穉にして、且つ野鄙」である。「彼等は、物質主義を、其
の生活の一切に及ほし居り」、それゆえに「天然の美を愛する者、甚た多
からす」。自然に同化しようなどという発想は欠片もみられない。家の外
観から室内の造作まで、一切が「幼穉と野鄙」に過ぎる。

(43)【假我と眞我】=彼らほどに「空論的の人民は無之候」。徳富によ
れば、「空論とは、行はるゝと行はれぬとに頓着なく、否な寧ろ其の行は
れぬを知り、其の行ふ能はさるを期して矢鱈滅法に論するものに候」。
でればこそ言行不一致は一向に差し支えナシ。
      
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