眞鍋 峰松(評論家)
中学時代の先生で、今でもその先生のお顔もお名前も鮮明に記憶しているが、確か、復員軍人上がりの、しかも将校経験のある人であった。
その先生の授業中で、担当教科に何の関係もない一言が今でも忘れられない。
それは、黒板に大書された「男子、青雲の志を抱き、郷関を出れば・・・・」という言葉。今から思い起こしても、少々時代錯誤的な言葉に聞こえるようだが、間違いなくその後の私の人生に影響を及ぼした言葉であることは事実だ。
最近になって、陳 舜臣氏の著書「弥縫録」の中で久し振りにその言葉に出逢えた。
〜青雲の志を抱いて郷関を出る〜といった表現がある。
この場合の青雲の志とは、功名を立てて立身出世しようという意欲のことなのだ。 辞典には、この外に「徳を修めて聖賢の地位に至る志」といった説明もある。
だが、実際には功名心の方にウェイトがかかっている。「ボーイズ・ビ・アンビシャス! 青雲の志を抱け」というのだ。
青といえば、すぐに連想されるのが、春であり、東であり、竜である。
東は日の出る方角であり、人生に日の出の時期を「青春」というのは、これに由来している。青は若く、さわやかである。それに「雲」という言葉をそえると、心はずむような語感がうまれる。雲は天の上にあるのだから。若い日の功名心は、まさに天に昇ろうとするかのようである。
流石に、良い言葉ではないか。 要は、望ましい教師像として私が言いたいことは、19世紀英国の哲学者ウイリアム・アーサー・ワードの次の言葉に簡潔に表現されている気がする。
・凡庸な教師は しゃべる。
・良い教師は 説明する。
・優れた教師は 示す。
・偉大な教師は 心に火を付ける。
(完)