2017年09月12日

◆党大会を前に地下教会の弾圧に拍車

宮崎 正弘



<平成29年(2017)9月11日(月曜日)通巻第5428号>  

 〜バチカンとの秘密交渉を続ける一方で
   中国、党大会を前に地下教会の弾圧に拍車〜

数年前まで欧米の研究者が把握していたキリスト教の地下教会の信者は推
定7000万人だった。

それが、現在は9000万人から1億1500万人がキリスト教を信じ、表面だっ
た活動は逮捕・拘束、あるいは罰金をおそれて行わないものの、地下での
信仰、宗教活動は増えているという。

広東から福建省、浙江省あたりに行くと表通りにキリスト教の教会があ
る。とくに広東省はクーリー(苦力)でアメリカへ渡った人たちが持ち帰っ
た。アヘン戦争以前からの布教活動の伝統もあり、教会があちこちに建て

られた。
このため古くからある教会は容認しているが、新しい教会の建設は許可し
ない。あちこちで新設の教会はブルドーザで破壊された。

奥地へいっても小さな小屋のごとき教会がある。これらは中国共産党が
「公認」している教会で、監視カメラ、信者リストが把握されている。共
産党が指名した司祭か、牧師がいる。

中国のキリスト教の主流はプロテスタント系で、表の教会の信者は3000万
人と推定されている(サウスチャイナモーニングポスト、9月11日)。こ
のほかにモルモン教なども活動が確認されている。

ならば「地下教会」とは、べつに地下や洞窟にあるわけではない。40人か
ら50人規模の信者が土曜日曜にそれとなく集まって、隠してあるキリスト
やマリア像を取り出し、祈りを捧げるのである。

ところが、これも発見次第、当局の手入れが頻繁に行われるようになり、
従来は二万元だった罰金も、近年は10万元(160万円)から30万元(320万円)
に撥ねあがった。

党大会を前に宗教活動への監視が厳しくなっているのだ。

しかし「上に政策あれば、下に対策あり」。

信者らは家庭の茶会を装って、少人数の儀式をおこなうようになり、当局
の思惑とは別に信者は増加する傾向がはっきりと出ている。

        
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◆樋泉克夫のコラム 
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【知道中国 1625】          
――「獨乙・・・將來・・・無限の勢力を大陸に敷けるものと謂ふべきなり」(山
川15)
  山川早水『巴蜀』(成文堂 明治42年)

             △

「将を射んと欲せば先ず馬を射よ」ではないが、西洋人のやり方は日本人
とは違う。

「現在重慶在留西洋人の事業中、最も耳目に響くものは、彼等の唯一手段
たる病院及び宣?となす」。この点は「本邦人の?ふ能はざる所」であ
り、彼ら西洋人は「之を以て着着其功を収むるだけそれだけ、本邦人は其
發展上に消極的侵害を被ると謂ふべし」。

病院中最大は「米人ドクトル、マーカードネーの設立せるもの」。彼は10
数年前に「空拳にて此地に來しが、如何なる手腕や有ありけん、内外官民
の信用を博し、全然其義捐を以て、重慶一等の形勝の地」に「壮大なる病
院を建設せり」。これに次ぐのが「佛國店主?會の設立せる者」で、3番
目が「英國宣?師の設立せるもの」だ。4番目は「獨乙軍醫に由」って設
立されている。

当時の中国における病院経営に関し、山川は「本邦醫師か本邦に在りて、
之(西洋人経営病院の成功)聞き、或いは日本賣藥の好評あるを聞き、其
技を挟み、巨利を占めんと試みば、多年の星霜を積み、巨萬の資本を投」
じたとしても「萬失敗に歸す」だろう、とする。「何となれば、彼は多く
政治手段として其醫術を用ゐ、其志單に利上に存せず」。

これに対し、「我は最初より絶對的營利を以て其目的とする」からだ――と
説く。同じく病院経営ということだが、その目的は西洋人は政治(端的に
いうなら中国利権狙い)にあり、日本人は「巨利を占めん」とする点にある。

山川が目にした重慶の病院に関してはそうかもしれない。だが、西洋人
はひたすら政治から出発し、日本人は「巨利」のみを求めて動くというこ
ともなかろう。ここで改めて当時から現在まで続く中国と欧米諸国に日本
との関係を振り返ってみるなら、山川による政治と「巨利」という指摘は
完全に否定し去れるものでもなさそうだ。やはり日本人としては心してお
くべき指摘といっておきたい。

重慶における「日、英、佛、米、獨の四國」の領事館を比較して、「英、
佛、獨の三領事は常に遊?滯在の名の下に常に成都に駐在し」ている。だ
が日本領事は重慶に留まったままであり、四川全体の情勢把握に向けた努
力が見られない。

重慶の中心街に置かれた英國領事館に較べ、中心街を外れた場所で「支那
家屋」を借用した「我領事館の見榮無きに對しては、人情忸怩」とせざる
をえない。

重慶における列強海軍の配置をみると、各国ともに長江上流の激流に適す
るように「特別建造の小砲艦」を停泊させている。イギリスの3隻は重慶
の上流にまで遡航するが、フランスの1隻は重慶に係留されている。ドイ
ツに至っては軍艦で商品を運ぶ始末だ。

これに対し、「我日本は一艦を廻航せしむるの議ありとは夙に聞くところ
なるが、今は之が實行を見ず」。両国艦船が彼らの利権、在留民、商権を
守る任務を帯びていることは敢えて想像するまでも無かろう。

これでは四川において日本が、政治の面でも商売の面でも影響力を発揮す
ることもできるわけがない。かくて「空しく長吁を發する外無し」。山川
が憤慨した日本外交当局の不作為・消極性、さらには官民の連携の悪さと
いう宿痾は、それから1世紀ほどが過ぎた現在に至っても完治したとは言
い難い。

旅も終わり近く、山川は辺境に住む羅羅族などの少数民族を指して、漢
族の「移住的侵略」を阻止せんがために漢族に対しては獰猛に振る舞うの
だが、ヴェトナム方面からのフランスの激しい侵攻に曝されている状況で
は、「此蠻夷の地を以て、永久に化外若しくは半化外として打棄て置く譯
には行かざるべし」と、辺境の今後に思いを馳せる。

やがて山川を乗せ「檣頭高く日章旗を掲けたる紅船」は、長江を一気に
下った。《QED》
       




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