2017年10月22日

◆「措置入院」精神病棟の日々(66)

“シーチン”修一 2.0

ああ、また迷惑メールか、と思ったら、な、な、なんと有難いことだろ
う、このシリーズに読者がいた!

<シーチン様:「頂門の一針」でシーチン様の連載を知りました。今は、
直接メールで頂いています。

内容が人間味豊かで大変興味深く、なるほどと思うことがよくあります。
読み返しやすくするために、全てWordに編集しています。64号で210頁に
なっています。

読者の反応が無いと書かれていますが、皆さんしっかりと読んでいると思
います。私は戦前生まれなので、少し年長かと思いますが、昔のことは同
じ実感があります。

シーチンさんの高い知性・IQもさることながら、知識も豊富で、読みなが
ら、そうそう、その通りと妙に共感してしまいます。これからの号も楽し
みにしています。

熱心な一読者より>

ビックリだ。「宇宙で緑の惑星を発見した思いです。感謝、感謝、神よ、
心あらば“熱心な一読者”様に最大の祝福を!」と感謝を申し上げた。ブロ
ガー冥利に尽きるなあ、木に登りたい気分だ。「木はどこかね?」

佐藤栄作総理の最後の退陣表明記者会見(1972/6/17)で覚えているのは
「カメラはどこかね?」だった。

<テレビカメラはどこかね?テレビカメラ…。どこにNHKがいるとか、どこ
に何々いるとか、これをやっぱり言ってくれないかな。今日はそういう話
だった。新聞記者の諸君とは話さないことにしてるんだ。

違うんですよ、僕は国民に直接話したい。新聞になると文字になると(真
意が)違うからね。残念ながら…、そこで新聞を、さっきもいったように
偏向的な新聞は嫌いなんだ。大嫌いなんだ。直接国民に話したい。やり直
そうよ。(記者は)帰って下さい>(ウィキ)

昔は新聞は絶大な力、影響力があったが、今はあまりレスペクトされてい
ないような気がする。部数自体も漸減傾向で、2017年上半期と2016年下半
期を比べると全国紙は朝日の2.38%減を筆頭に軒並みダウンしている。

ネットに圧されている面もあるが、紙媒体自体が敬遠されていること、朝
日の場合は左傾を嫌う人が増えていることも影響しているだろう。フェイ
クニュース、報道しない自由にウンザリしている人は多いのではないか。

理由はいろいろあるだろうが、新聞離れ(&書籍離れ)は欧米でも進んで
おり、リカバリー策はないようだ。

記者という仕事はとても面白いが、かなり過酷な仕事で、今の若い人は売
り手市場ということもあって以前ほどには魅力的とは感じないのかもしれ
ない。高学歴で優秀な人材は他の業界へ行ってしまうのだろう。色に染
まった癖のある記者ばかりだったりして。

パイ(市場)が縮小する一方だとシェア競争が激しくなるが、10/16の産
経では阿比留瑠比ボナパルトが朝日新聞論説委員・坪井ゆづる、毎日新聞
専門編集委員・倉重篤郎の実名を挙げて叩きまくっていた。曰く「国民に
事実を伝えるという本来の役割を忘れ、放棄し、印象操作と『報道しない
自由』を行使しての安倍たたきに没頭したかのようなメディアの現状こ
そ、国難そのものである」。

完璧にコケにされた朝日坪井と毎日倉重は反論するのかどうか。反論すれ
ば自紙の読者に産経をPRすることになりかねないから「無視、相手にしな
い」ということになりそうだ。そうなるとボナパルトはさらに叩くから戦
火は拡大し、産経読者は大喜びするのだろう。小生も楽しみだ。

朝日、毎日、東京(中日)、共同通信などは小生から見れば中共ファン、
北朝鮮ファンのアカ、共産主義者だが、戦後は「共産主義」という言葉は
敬遠され、社会主義とか社会民主主義、近年ではリベラル、自由主義とい
う言葉に置き換えられている。

米国では戦後にアカ狩りの「マッカーシー旋風」が起きたが、共産主義信
奉者は議会の調査委員会で「私は社会主義者、マルクス主義者であり、共
産主義者ではありません」なんて詐欺師みたいな言い逃れをしていた
(1953/7/14)。

この発言をしたのはレオ・ヒューバーマン(米「マンスリーレヴュー」誌
編集者)で、その2か月前には講演でこうアジっていた。

<我々は緩慢な餓死、不安、貧乏をやめることができる。われわれは、生
活を生きがいのあるものにするために、我々人民の必要とするすべてのも
のを生産し、分配することができる。一言で言えば、アメリカの高い生活
水準を現実のものとすることができる。

しかしながらそれを可能にするのは一つの方法であり、それは資本主義に
代えるに社会主義をもってすることである>

売春婦曰く「女郎とはあんまりよ、せめてお娼妓さんと言いなさい」(斎
藤緑雨「あられ酒」)。これとそっくりで、表現を変えたところで本質は
同じだ。共産主義は血を流し過ぎたために言葉自体も嫌われ、「このア
カーっ! 違うだろ!」と罵倒された。

緑の党、民主社会主義(サンダース候補が言っていた)、民主党・・・ど
う表現しようが、「共産独裁支持のアカ」という本質は変わっていない。
アカは表向きは善人を装っているが、暴力で敵を叩く志向・嗜好が昔から
継承されている。

日本の保守派は概ね「国民の自由、民主、人権、法治」+愛国・安保・改
革・規制緩和・自助あたりを基軸としている。一方で革新派は「自派=仲
間の自由、民主、人権、法治」+反日・容共・保守(GHQの占領政策維
持)・規制強化(利権の保護・拡大)・福祉(バラマキ)あたりが基軸だ
ろう。

革新派は概ね共産主義的世界(国家、国境、人種、民族の否定=地球市
民、一党独裁の肯定=中共・北を非難する革新派はまずいない)を目指し
ているように見える。独裁は武力・暴力による圧政だが、彼らは圧政する
側(に居場所を求める人々)だから、圧政に反対することはない。むしろ
圧政に加担する。

共産主義は暴力革命、プロレタリアート独裁(一党独裁)が「始めの一
歩」で、「自分(たち)は正義である、反対する者、協力しない者は悪で
ある、アカか白か、白や灰色は駆除する、アカがすべてだ」というのが初
期設定になっている。

だから正義のためにはテロも強盗もOKで、スターリンはM(マネー)担当
だった。銀行強盗である。親分のレーニンが指示したのだ。スターリンは
脱獄の名人で、少なくとも3回はやった。4回目のお勤めの最中に1917年革
命が起きてシャバに戻り、レーニンの右腕になった。

スターリンは生粋の武闘派であり、なおかつ頭も良かった(善人を装い騙
し、非難する者は容赦なく殺した)から、レーニンは死の床で「スターリ
ンは粗野だから・・・」と言うものの否定はできなかった。それどころか
「これは民主主義じゃない、独裁じゃないか」と不平不満を唱える水兵を
「虫を殺すように」に一緒に殺しまくった戦友なのだ(「クロンシュタッ
トの反乱」)。

アカは宗教であり、ISなどイスラム過激派とまったく変わらない。スター
リンは神学生で、学校でアカに染まった。ISも多くが神学校や神学サーク
ルで洗脳されている。今やフランスの刑務所はイスラム教徒であふれ、過
激派の温床になっている。まさに神学校。

アカは「止まれ」、緑(のオバサン)は「注意」、えんじ色が「進め」
か。えんじ色は紅と紫を合わせた色でベニハナから作り、奥ゆかしい色、
高貴な色と言われている。早稲田大学の校旗の色でもあり、学部ごとの
色、紅・白・紫・緑を交ぜ合わせるとえんじ色になるそうだ。

えんじ色は近年では体育着としても利用され、「サツマイモ色」と言われ
たりするとか。自民党の党旗はこの色。なぜかは知らないが、一応は保守
派大連合として生まれ、派閥といういろいろな色が交ざっているからかも
しれない。

自民党は、中共ファンの二階、原発反対の純ちゃん、希望の党に行った方
がいい聖子、聖人君子のような高村などなど一応は何でもありのGMS(総
合スーパー)だ。ずいぶんアバウトだが、占領憲法を「とりあえずの間に
合わせにはなる」という意味なのだろう、福田恆存は「当用憲法」と言っ
ていた。

それに倣えば自民党は「当用保守党」で、多くの支持者は「野党に比べれ
ば少しマシ、そこそこマシ、結構マシ」と思い、アカ、アカモドキにはう
んざりでしているから、自民党に投票するしかない。

なおアカの尻尾がまだついていた小生が除染に利用した産経新聞の論壇誌
「正論」は福田らの提案で生まれたものである。

18歳の小生はヒューバーマンに「感動した!」と手紙を書いたっけ。初心
なネンネだった、慚愧、無残、まるでチボー家の次男坊のように。

♪飲めばやけに涙もろくなる こんな私 許してください 外は冬の雨ま
だやまぬ この胸を濡らすように

♪あの頃のわたしに戻って あなたに会いたい

今さら悔いてもしょうがない・・・

♪これもアカ あれもアカ たぶんアカ きっとアカ

泣いても始まらん、さあ今日も元気にアカ叩き、イザ! 発狂亭雀庵の病
棟日記から。

【2016/12/25】*「家族は俺に何を求めているのか? 俺はどうしたいの
か? 思いやりとは何か」・・・Kへ手紙を書いた。

<ひとつ屋根の下で暮らしていても、自分は自分、他者は他者という個人
主義で行きたい。家事は協力し、率先垂範、ヘルプを求められたらヘルプ
するという家族でありたい。便利で役立つ夫、父、ヂイヂでありたい。

これまで十分に愛され慕われてきたので、そこまでは望まない。今はた
だ、皆に迷惑をかけずに静かに晩年を送りたい>

*7:28、火災報知機が連日誤作動。「ピーピーピー、火事です、火事で
す。東病棟2階で火災が発生しました。急いで非難してください。ピー
ピーピー・・・」

狼少年だからもう誰も動じないが、規則なのだろう、看護助手がヘルメッ
トをかぶり、消火器を持って東病棟へ向かった。職員も誰一人として「非
難して」と言わない。

13:00から14:00、K来。彼女自身のキズがまだ癒えていないので年末年
始の外泊はNOだった。彼女は精神的、肉体的にかなり疲れており、睡眠不
足なのか、目が充血していた。

小生は少し会話ができるようになった。お互いに少しづつ歩み寄ってきた
感じがする。

Kが帰った後にナースの“マンティス”から「入院から間もなく2か月だけれ
ど、どんな感じなの?」と聞かれたので、「入院はいい機会になった。入
院していなければ今頃は葬式になっていただろう」など、Kのことを含め
て色々伝えた。

外泊NOについて“マンティス”は「正月でも病院では大したことはできない
けれど」とのことだったが、雑煮とかが出るのかもしれない。

16:00、急性期病棟の患者で唯一正気の80過ぎの老婆が大きな抗議の声を
上げた。見るとナンミョーが懲りもせずに勧誘しているのだ。ほんとにウ
ザイ奴ら。仏罰を下すべし。(つづく)2017/10/21


   
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