2017年10月23日

◆中欧に「反EU、反移民」

宮崎 正弘

<平成29年(2017)10月22日(日曜日)弐 通巻第5492号>  
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 ¥中欧に「反EU、反移民」の政治風潮が席巻
  オーストリアに続き、チェコでも反EU、反移民、反イスラム政党が
第1党に

ドイツでメルケルの辛勝、メルケルに反旗を翻す「ドイツのための選択
肢」の大躍進が欧州政治の流れを大きく変えようとしている。

「反EU」「反イスラム」「反移民」が共通のスローガンであり、ブラッ
セル(EU本部)のエスタブリシュメントを囂々と非難している。

2017年10月21日、チェコ総選挙は「チェコのトランプ」といわれるアンド
レジ・バビシュ財務相が率いる「ANO」が第1党に躍進し、中欧の政治
風潮の流れが完全に変わっている事態を明らかにした。同党の得票率は
30%弱。
 
バビシュスは「大富豪」でもあり、2013年に総選挙でANOを第2党に躍
進させていたが、反EUを鮮明に掲げて、「ブラッセルに救うEUエスタ
ブリシュメントの亜流はチェコには要らない」と獅子吼し、多くのチェコ
国民の共感を得た。

第2党も保守系の「自由と直接民主」で10・7%と前回の2倍に躍進させ
た。この党首はオカムラ・トミオという日系人だ。オカムラは「反移民」
を全面に押しだしてきた。

第3党を争うのはいずれもナショナリストたちの「市民民主党」と「海賊
党」で、それぞれが10%台で鎬を削っている。

過去4半世紀チェコを主導した中道左派は7%に転落した。キリスト教民
主同盟は6%、共産党はそれ以下。

チェコにおける保守系ナショナリストの勝利は、同月15日に行われたオー
ストリアの総選挙結果の流れを受けている。

オーストリアはチェコの隣国であり、31歳のクルツ外相が率いた国民党が
31・4%を獲得し、2番手の民主社会党(中道左派)が26」・7%,右派の
自由党が26「%と、3党のバランスは近似していたものの、同じ保守思想
に立脚する国民党と自由党の連立がうまれると予測されている。 
   
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◆桶樋泉克夫のコラム 
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 【知道中国 1646回】            
――「支那の國はまだ夢を見て居る」(小林2)
  小林愛雄『支那印象記』(敬文堂 明治44年)

              △
神戸からの「海上の4日」を経て第一歩を記した上海で、小林は「商務大
臣の盛宣懷氏を訪れた。氏は實業家としても巨頭である」。盛と話をして
いる「間にも十餘人の家人は室に出入して一つ水を命ずれば、一人は石?
一人は手拭といふ風に大勢がかりで運ばれる」ものの、彼らの態度からは
「主人に對する畏敬の念」が少しも感じられないのが不思議だった。

食事になると、同席の中には「親切にもその食品を自分の箸で取つて呉れる
が、それが肺病の人かも知れぬので、客にとつては頗る有難迷惑と云わね
ばなら」ないし、「支那のこの風俗は氣味の惡さが先立」ったという。

1842年締結の南京条約による対外開放から60年余り。この間に上海の租
界は発展したものの、「支那街は舊態其儘で居る。そこに新舊の文明に對
する烈しい戰が現れている。やがて支那人が自覺して起つの秋に至らば新
舊思想の衝突は鋭く湧いて來る事であらう」と。

 租界に対するに「舊態其儘」の「支那街」。その対比の中に「新舊の
文明に對する烈しい戰」を捉え、さらには「支那人が自覺して起つの秋」
を思い描いたうえで「新舊思想の衝突は鋭く湧いて來る事であらう」とま
で思い到るとは、さすが詩人の直観は鋭い。

『魯迅』を引っ提げて論壇に登場して以来、現代中国論の世界で“権威”
として崇め奉られ、また本人もすっかりその気で振る舞っていた竹内好
は、近代化に対する日中の違いを論じ、いとも簡単に伝統を放棄して西欧
近代をそっくりそのまま取り入れた日本を軽んじ、封建社会を通じて自ら
を縛りつけてきた分厚い伝統の壁と壮絶に格闘し深く苦悶した中国の近代
を重んじた。
そこで思うが、彼が問い続けた中国の近代における中国知識人の苦悩とい
う命題も、詩人としての小林の直観の前では全く以てカタナシといっていい。
 
 ここで改めて冒頭に立ち戻って読み返すと、小林の神戸出立は明治
43(=1910)年も押し詰まった「暮の廿一日」。それから10カ月ほどが過
ぎた1911年10月10日、清朝崩壊の第一歩である長江中流域の武昌における
武装蜂起が勃発している。

辛亥革命と呼ばれる一連の動きを、はたして「支那人が自覺して起つの
秋」の一環と見做せるかどうかは議論の余地のあるところだが、「新舊の
文明に對する烈しい戰」との指摘は、さすがに鋭く新鮮だ。竹内に先立つ
こと半世紀ほどの昔のことである。

上海の一夜、歓楽街で知られる四馬路へ繰り出す。「試みに騒々しく 音
のする一亭へ上がる」。「卓を圍む若旦那に藝妓」、「無作法な態をし
て、阿片をのんだり、茶をのんだり」。嬌声・脂粉・紫煙・嬌態・狂
態・・・「支那人の公然と遊ぶ?氣か?僞かゞ現はれて興味深い」。かく
て「此に今宵一夜の天地を作つて居る」と捉え、「伊達の委は四馬路で見
やれ四馬路よいとこ伊達姿」「人の生命を四馬路に紅に溶いて流そか江の
水」と。やはり詩人。粋なもんですねえ。

やがて南京へ。ここでも「市街の方には米人が經營する南京大學、獨 逸
人の建てた病院などの大建築が眼に立つ。歐米人が無限の勢力をこの荒
野に張らうとして、切りに樣々の企畫をめぐらすのに、師範學堂あたりに
雇はれて百や二百の金を後生大事に蓄へ、學生と同じ月八圓の飯を食つ
て、支那人の冷笑を買つてい居る邦人のあはれさを思はざるを得ない」
と、鋭い。

日本的な常識・感覚・基準に立つならば、「學生と同じ月八圓の飯を食」
いながら「師範學堂あたり」で教育に励むことは素晴らしいことだ

ろう。
だが、その実は「支那人の冷笑を買」うのが関の山。これでは「無限の勢
力をこの荒野に張らうとして、切りに樣々の企畫をめぐらす」欧米勢力に
は敵わず、「支那人の冷笑を買」うばかり。《QED》
        

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