2017年11月16日

◆「措置入院」精神病棟の日々(74)

“シーチン”修一 2.0


11/14、精神科外来で受診、“いい死の日”11/4に引きこもってから11日目
だ。心身ともにかなり快復してきたが、「治る病気じゃない」というのは
ちょっと辛いものがある。こういうのは笑って吹き飛ばすしかないやろ
な・・・

<アンタのおかあはん、うちにこう言わはったで。

「歳をとってから刑務所に面会に行くなんて思ってもみんかった、修はほ
んまに手がかかる子で、ちっさい頃はよー病気して、大きゅうなったら刑
務所や、うちはこのクソガキをいつまで難儀せなあかんのやと嘆き続けて
ましたんや。

そんなアホをよー引き受けてくださって、ほんまにうちはホッとしてま
す、ようやく解放された、もう要らん心配せんでもええ・・・ほんまに感
激して・・・もううちは・・・天国の父ちゃんも喜んでいはるやろ思う
と・・・」

おかあはん、涙流してうちに感謝していたで。おかあはんの気持、うちは
今ようやく分かったわ。うちが思ってたアンタと今のアンタは全然違う。
もうアンタには何も期待せん、がっかりや。朝っぱらから台所でガチャガ
チャするんも安眠妨害や。あんた、何時に起きてるんや?

「大体4時ごろや、脳ミソが動き出すまで1時間はかかるさかいに・・・飯
は6時半やから、それまでに洗濯も干し終えんといかんし・・・」

せめて5時からにしてえな、ええ気持で寝てるとこ起こされると気分悪う
なるさかいな。ほんまにもうやっかいなやっちゃ。

おかあはん、うちにこんなことも言うてはったで、「あんさん、仕事のか
たわら大学で勉強しておるそやけど、アホの修とはぜんぜん釣り合わん
し、あないなアホのどこが気に入りましたんや」て。

うちはこう言ったんや。藤山寛美のアホは必死のパッチで磨いた芸やで、
修さんのアホは混じりっ気なしの天然もんです。

うちは浪大の聴講生で、「人間行動学」を専攻しておるんやけど、日本人
種の知能の発達の研究標本として、修さんは貴種ちゅうかけったいなほど
の稀種、奇妙なほどの奇種で、proto-Mongoloid、古モンゴロイド、ま、
縄文人というか、日本原人そのものでっさかいに、ほとんどレッドブック
もん、絶滅危惧種ですわ。

うちの研究対象としてぴったりやし、野生動物の保護という面でもうちが
難儀せなあかん、科学者としての義務やと、そう思いましてんねん、てな。

おかあはんは「何や分からへんけど、修が世の中に役立つとは思ってもみ
んかった。トンビがバカを産むっちゅうのは、そういうことやな」。ほん
まになあ、「アホも使いようや」ってふたりして大笑いしたもんや。

今のアンタはアホやない。要らん知恵つけよったさかいにうつになってし
もうた。ちーとも可愛くないわ。標本にもならんドアホや、粗大ゴミや、
金北豚、役立たず、濡れ落ち葉のクズや・・・

何をしようが、どこへ行こうが、うちはもう難儀やさかい、三猿でいく
わ。アンタが出ていかんならうちが出ていく。ほんまに見損のうたわ>

「溺れる犬をさらに打つ」、病人にそこまで言わんかてええやんか、と思
うんやけど、世間は結構キツーイもんや。魯迅先生曰く――

<犬は、いかに狂い吠えようとも、実際は「道義」などを絶対に解さな
い。犬は泳ぎができる。かならず岸へはい上がって、油断していると、ま
ずからだをブルブルッと振って、しっぽを巻いて逃げ去るにちがいないの
である。

しかも、その後になっても、性情は依然として変わらない。愚直な人は、
犬が水へ落ちたのを見て、「きっと懺悔するだろう、もう人に咬みつくこ
とはあるまい」などと思うだろうが、それはとんでもないまちがいであ
る>(「“フェアプレイ”はまだ早い」)

一度うつ病、一生うつ病、同病の人はどうしているのだろう。BuzzFeed
Japan 11/9「鬱を抱える芥川賞作家を救った“吐き出す”ということから。

<20歳という若さで芥川賞に輝いた、ひとりの小説家がいる。金原ひと
み、34歳。

受賞した年に担当編集者と結婚し、東日本大震災を機にフランスに移住。
34歳となった彼女はいま、娘2人と夫との4人で暮らしている。

「年に数回は消えてしまいたいと思う時があります。消滅欲求が、わっと
盛り上がる時が定期的にあって。もちろんきっかけはあるんですが」

真っ白な光が差し込む部屋の中で。彼女は自らが抱えている鬱のことを、
淡々と語り始めた。

「書いているときは、パソコンと私っていう世界の中で、ある種の信頼関
係の中で自分の書きたいことを表現できる。そこに描かれるのはユートピ
アみたいな世界ではないですけど、信頼のある場で苦しみを吐露していく
中で、自分が救われていっている、という感覚があるんです」>

苦しみを吐露する中に救いがある・・・その感じは分かるが、吐露される
方は迷惑だったりして。齢を重ねても分からないことだらけだ。自分を標
本に考え続けることが小生の道なのだろう。

過ぎたるは及ばざるが如し、“考えすぎる老人”発狂亭雀庵の病棟日記から。

【2017/1/6】(承前、クリスチャンの渡辺和子氏の論稿から)

<聖フランシスコの「平和の祈り」は、「主よ、私を、あなたの平和のた
めにお使いください」という祈りの後に(こう)記しています。

「慰められるより慰めることを、理解されるよりも理解することを、愛さ
れるよりも愛することを、望ませてください。

私たちは与えることによって与えられ、すすんで許すことによって許さ
れ、人のために死ぬことによって永遠に生きることができるからです」

このように(自己中心的な自分との絶え間ない戦いである)“小さな死”は
命と平和を生み出します。それはマザー・テレサが求めていた“痛みを伴
う愛”の実践でもあるんです>

小生のモヤモヤは、医療という科学ではなく、宗教という超人間的な神
仏、教義への崇拝、信仰、帰依、それに支えられた自己犠牲という“小さ
な死”、「痛みを伴う愛の実践」でしか晴れないのではないか。

仏教でいうところの「安心=あんじん」、「信心を得て落ち着き安住して
動じない」という境地。妄想、逃避、依存症に似ているようでもある。

磯田光一(文芸評論家、イギリス文学者)曰く――

<愛とは隷属であり、幸福とは“隷属の幸福”以外あり得ない。人間は進歩
や解放、自由さえも求めてはいない。人間が心の底で求めているのは、異
性であれ、(宗教や)イデオロギーであれ、一つの対象のために奴隷にな
るということである。

そのために身を亡ぼすことも辞さない。そういう感覚を理解できないなら
“進歩と改革”を信じ続けるがいい>

我が身を見れば、法悦のような「隷属の幸福/降伏」か、相互不信的な
「休戦・停戦・家庭内別居」かの二択・・・

「覆水盆に返らず」で、隷属は難しそうで、現実的にはいささか冷戦的な
家庭内別居になるかもしれない。

難しい知恵の輪が解けるわけではないが、とりあえず押入れの隅に入れて
おく、という「時とともに去りぬ」の忘却路線。どうなるものやら全然分
からない。

*10:00〜11:15、作業療法は体操と、オモチャの紙幣を賭けてのじゃん
けんゲーム。オモチャであってもカネが絡むから結構みな真剣に楽しんで
いた。この部屋の窓から洋風の新築一戸建てがよく見えるのだが、ど田舎
の風景とまったくマッチしていない。

まるでカナダのプリンスエドワード島の「赤毛のアン」の家がそっくり移
築されたような感じで、多分、奥さんの好みなのだろう。旦那さんは「と
にかく白い家は勘弁してくれ」と言うのが精一杯だったに違いない。外壁
はクリーム色だった。

男と女・・・上手くやるのは本当に難しい。生涯未婚率は上昇するばかり
だ。「お一人様」でも快適に暮らせるから、よほどのインセンティブがな
いとゴールインはしないのかもしれない。(つづく)2017/11/15


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