1990年代はビジネスその他で盛んにアメリカを訪れた。ワシントンと
ニューヨークが多かったが、或る時、ニューヨークからワシントンへ列車
で向かう途中、フィラデルフェアで下車した。アメリカ人の友人一家を訪
ねるためである。
NYから山中の一軒家に越してきた友人の仕事は経済評論家だが、コン
ピューターを駆使すればNYになんか居なくても平気だというので、当時は
仰天したが、今となってみれば至極真っ当な話だった。窓の外を狐がヒョ
コヒョコ駆け下りていった。
翌朝、デュポンの邸だったところを案内すると言う。デュポンってライ
ターの会社かと聞いたらいや爆弾屋だという。まぁ後学の為だ、行ってみ
よう。
ニューヨークとワシントンDCのちょうど中間あたりにあるデラウエア州の
Brandywine Valleyと呼ばれる地域だった。広大な庭園に囲まれた邸宅・
ウィンタートゥア(Winterthur)があった。園内は日本の皇居ぐらいの広さ
だ。案内のバスが定期的に走っている。
ここは、デュポン(Du Pont)社の創業一族が3世代にわたって住んだ邸宅
で、その名称は一族に関係するスイスの地名からとられたという。
現在では、美術館として公開(有料)されており、建物自体ももちろんだ
が、その中に展示されている米国家具や陶磁器・銀器などの装飾美術品で
知られている。
邸宅本体には、何と175もの部屋があり、ガイド付きツアーで見て回る仕
組みになっている。ダイニング・ルームのテーブルの上、食器棚の中、暖
炉の上、展示用のガラスケースなどに、多くの陶磁器が展示されているの
を見ることができる。しかしこっちは興味ないからあまり中は見なかった。
ギフト・ショップもあった。ビジターセンター内にある店は書籍中心だっ
た。柱時計を売っていた。1時間ごとに鳥が啼く仕掛けで、庭園内にすみ
ついている鳥とか。少なくとも12種類はいると言うことだ。
邸宅、ギャラリー、庭園、(さらには図書館も)と回っていると、1日が
かりになってしまう。何かのついでに、というわけにはいかない」。
http://www2.gol.com/users/emakigu/MuseumWinterthur.htm
私が訪問したのはGW中で、あの時は躑躅がいたるところで満開だった。
説明によれば、デュポン家の別荘には競馬場が2つあるとか。そんな金持
ちなのに、当主については不名誉な事件が起きていたらしいが確認できな
いから書かない。いずれカネの下敷きになったと言うところだ。
一体、デュポンとは何者なのか。デュポン(Du Pont、NYSE:DD)は、世界
第2の化学会社である(世界最大はダウケミカル)。
米国法人である E. I. du Pont de Nemours and Company (イー・アイ・
デュポン・ドゥ・ヌムール・アンド・カンパニー)はデラウェア州ウィル
ミントン市にある。創業は1802年。
資本金は7,935,000,000ドル。創業者はフランス出身のエルテール・イレ
ネー・デュポン。メロン財閥、ロックフェラー財閥と並ぶアメリカの3大
財閥と称される。
フランス革命を避けて一家で移住したエルテールは、アントワーヌ・ラ
ヴォアジエに師事した後、黒色火薬工場としてデュポン社を設立。
徹底的な品質管理と安全対策、高品質によりアメリカ政府の信頼を勝ち取
り、やがて20世紀に入りダイナマイトや無煙火薬などを製造するように
なった。
南北戦争期や西部開拓時代に成長し、アメリカ最大の火薬メーカーとなる。
第1次世界大戦・第2次世界大戦では火薬や爆弾を供給したほか、マン
ハッタン計画(原爆開発)に参加し、テネシー州のオークリッジ国立研究所
でウラニウムやプルトニウムを製造するなどアメリカの戦争を支えた。
また草創期の自動車産業に着目し、1914年にはピエール・S・デュポンは
1908年に創業したゼネラルモーターズ(GM)に出資した。後に彼は社長に
就任し、彼の指揮とデュポン社の支援の下、ゼネラルモーターズは全米一
の自動車会社へと成長した。
また、GM支援とは別に、1919年から1931年にかけては、自社での自動車製
作も行った。エンジンは主にコンチネンタル社製を使用した。
しかしシャーマン・アンチトラスト法によって1912年には火薬市場の独占
が、1950年代にはGM株の保有が問題視され、火薬事業の分割やGM株放出な
どを強いられている。
1912(大正元)反トラスト判決によって3社に分割。1915(大正 4)デュポ
ン・ド・ヌムール社、設立。
1920年代以降は化学分野に力を注ぎ、1928年には重合体(ポリマー)の研
究のためにウォーレス・カロザースを雇い、彼のもとで合成ゴムやナイロ
ンなどを発明した。
1931(昭和 6)ネオプレン(合成ゴム)、1935(昭和10)ナイロン、1944(昭和
19)テフロン(フッ素樹脂)などを開発。
さらにテフロンRなどの合成繊維、合成樹脂や農薬、塗料なども研究・開
発し取り扱うようになった。2世紀にわたる歴史の中で、M&Aを繰りかえす
典型的なアメリカのコングロマリット企業といえる。
デュポン社は化学製品の開発を通じてアポロ計画の成功にも寄与し、その
研究開発の熱心さや新素材開発への貢献は高く評価されている。
しかし過去には火薬やナイロン製品などを大量に軍へ納入しているほか、
化学兵器や核兵器開発に関与するなど、戦争ビジネスで財を築いた死の商
人としての側面もある。
また環境問題でもデュポン社の製品が問題になったことがある。例えばテ
フロン製造に伴い使用されるペルフルオロオクタン酸(C-8)の健康への
危険性(発がん性など)を隠して作業員などに健康被害を起こしたことで
合衆国の環境保護庁(EPA)に訴訟を起こされた。
また、ゼネラルモーターズとともにフロン類(クロロフルオロカーボン、
CFC)の発明・製造を行い、長年にわたって市場シェアの多くを占めてきた。
オゾン層破壊と温室効果が問題になった1980年代末になってデュポンは
CFCの製造販売からの段階的退出を表明したが、1990年代半ばまで製造を
続けていた。
その後はハイドロクロロフルオロカーボン(HCFC)、ハイドロフルオロ
カーボン(HFC)などの代替フロン開発を進めCFCからの置き換えのリー
ダーシップをとっているが、HCFCやHFCにも高い温室効果があることが問
題視されている。出典: フリー百科事典『ウィキペディア
(Wikipedia)』2007.04.18