2017年12月05日

◆オバマ前大統領だって

                  宮崎 正弘

<平成29年(2017)12月4日(月曜日)通巻第5533号>   

 オバマ前大統領だって、たまには味なことをやりますね
  訪中後、その足でインドへ。ダライラマ法王と会見
 
 さぞ北京はむくれただろう。訪中したオバマ前大統領は、その足でイン
ドへ足を延ばした。2017年12b月1日、ニューデリー入りしたオバマは、
或る場所を訪問した。そこにはダライラマ法王が待っておられた。

「2人のノーベル平和賞受賞者が会見した」とインドや、ロシアのメディ
アは騒いだが、日本の新聞で、この両者の会見を報じたところはあるのだ
ろうか?

インドはドクラム高原で中国軍と対峙し、夏にもまた軍事衝突が起こると
予測されている。

ダライラマ法王は2011年に、自らの希望で政治改革をやりとげ、民主的手
続きを経て「首相」を選んだ。

すなわちダライラマは、宗教的指導者ではあっても、チベット亡命政府の
指導者ではない。自らの民主化の願いから、その立場を降りたのだ。

他方、オバマは現職時代を含めて過去に5回、ダライラマ法王と面談して
おり、「力を併せて世界平和のための努力をしよう」とした。

会見中、ダライラマ法王はオバマ大統領に対して「あなたはまだ若い、こ
れからもやるべき異は多い筈です」と諭すように語ったという。ダライラ
マはすでに82歳。次のチベット仏教界のスピリチュアルリーダーは「外
国人であるかも知れないし、女性であるかも知れない。チベット以外で生
まれた人に決まるかも知れない」と衝撃的な予測をなされていることでも
話題となっている。
          
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書評 しょひょう BOOKREVIEW 書評 BOOKREVIEW
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 「明治の精神」について論ずるというよりも、唄いたかった。
   偉大な時代は、詩においても偉大である。明治という偉大な時代も。

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新保祐司『明治頌歌  言葉による交響曲』(展転社)
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新保祐司氏の文章を読んでいつも感じるのは崇高なる精神を希求する詩人
というイメージだ。

氏の『信時潔』を初読したときに、直感的に抱いたインスピレーション、
文章の巧みさを抜きにして、この人の脳裏に流れているのは詩的な音楽で
ある。

小林秀雄はブラームスを聴きながら『本居宣長』を書いたという。新保氏
は、フルトベングラーを聴きながら、本書に挑んだ。氏は文藝評論家であ
り、同時に音楽への造詣が深い詩人なのである。

本書を読んで、氏のご先祖が江差ということを初めて知った。

――そうか、あの荒ぶる海、凜列な風、曠野。
榎本武楊、土方歳三らの立て篭もった函館五稜郭、地政学的にみて、その
前衛が松前城、後衛が江差だった。

官軍は五稜郭の脇腹にあたる松前と江差に海軍を上陸させ、堅強を誇った
松前城を落とし、函館に迫った。土方は武士の鑑のように硝煙の中に消
え、榎本は官軍に下った。戊辰戦争は終わった。

評者(宮崎)は、幕末維新史、とくにその時代を担った武士たちに深い興
味があって、江差も松前もローカルなバスを乗り継いで見に行ったことが
ある。

先般上梓した拙著『西郷隆盛』の取材では、西?が旅した場所を悉く歩い
たが、彼が流された奄美、徳之島、沖永良部を見に行き、さらに西南戦争
で田原坂の敗北以来の潰走ルートを人吉、小林、宮崎、砂土原から延岡に
たどり、最後の決戦、和田越えの役に敗れて、北側の可愛岳を越え、故郷
の城山に帰還するまでの山道を歩いてみた。
 詩が生まれる。

西郷は詩人だった。

偉大な詩的精神の持ち主だったというのが拙作『西郷隆盛 ――日本人はな
ぜこの英雄が好きなのか』(海竜社)の結論である。

戦争でも詩が生まれるのだ。乃木将軍は203」高地に陣取って、或る夜、
児玉源太郎、志賀重昴と「詩会」を開いたというのだから、あの明治とい
う時代のおおらかさ、というよりも詩的な精神に富んだ時代の仕合わせに
思いを馳せた。

嗚呼、あの明治の精神はどこへ行ったのだろう? その思いを深めつつ読
み進めると、本書の中に明治の精神の蘇生を発見する。
 
新保氏はこう書く。

「偉大な時代は、詩においても偉大である。明治という偉大な時代も、偉
大な詩を多く生んだ」

「文学とは、精神的事件に関するものであって、その精神的事件も起きた
人間が書いたものが、文学の名に値するのであって、その人間の『職業』
が『文学』者であるかどうかは全く関係のないことである」。したがって
「『明治の精神』の表現としての『漢詩』の最高峰が、乃木大将の『漢
詩』であったといってもそれほど意外とは思われないであろう」。 
 
乃木はステッセルとの会見に臨む前に志賀に一編の詩を渡した。

 「爾霊山 嶮なれどもあに攀じ難からんや
   男子功名 艱に克つを期す
    鉄血山を覆うて 山形改まる
     万人齋しく仰ぐ 爾霊山」

新保氏は感嘆をこめて言う。
 
「このことば(爾霊)のかがやきはどうであろう。このことばを選び出した
乃木の詩才はもはや神韻を帯びている」
 
評者も2回、この203高地を訪れているが、ともに快晴に恵まれ、遠く旅
順港が見下ろせた。新保氏は残念にも登攀した日は雨だったそうである。
 かくして新保氏は次のことばで本書を結んでいる。

「明治の精神について論ずるというよりも、歌いたかった。もう説明や解
釈が成り立つことばというものに飽き果ててしまった。それは根源的に
は、誤解を恐れずに言えば、文化主義の虚妄やヒューマニズムの限界を思
い知ったということである」

久しぶりに詩的な名作に巡り会えた。
 
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樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 
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樋泉克夫のコラム
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【知道中国 1666回】      
――「支那は上海の大なるものとなるべき運命を荷ひつヽ・・・」――(前田4)
    前田利定『支那遊記』(非賣品 大正元年)

             ▽
「支那人は一體、物を創造する時は金力も勞力も惜しまず作り上げ候へ共
出來上がりたる後はうつちやり放しで修理とか改良など一切致」さずに、
「使へるだけ使ひ盡し大修理の必要起る時は別に新規に建て直す」とは、
前田のみならずこれまでもみられた指摘だが、これは現代の中国にも通じ
るように思える。

たとえば文革である。新たな文明を「創造する」とぶち上げ、挙国一致
状態で「金力も勞力も惜しまず」に狂奔したものの、時が過ぎると「うつ
ちやり放し」。「修理とか改良など」のみならず反省すら一切なく、毛沢
東の築いた30年ほどを「使へるだけ使ひ盡し」た後、「大修理の必要起
る」や、次は対外開放・金銭至上主義によって「新規に建て直」し。「偉
大なる中華文化の復興」「中国の夢」を「創造」し、「金力も勞力も惜し
まず」に一帯一路に邁進しようというわけか。

ならば国力を「使へるだけ使ひ盡」し「中国の夢」を「うつちやり放し」
にするのは何時頃になるのか。その辺りが見どころだ。それにしても彼ら
のDNAに自省の2文字は刻まれているのだろうか。不思議極まりない民族だ。

前田は長江を遡って「英國居留地のある九江に着」。「日英同盟は結構
なることは相違なく候へ共餘りに同盟だなぞと氣を許し居るは如何や将た
又あまりに英國に氣兼ねするも如何やと存じ申候」と、日英同盟の現実に
目を向けた。

それというのも我が「日清汽船會社の支店は立派に建てられ候」ではある
が、肝心の荷物の陸揚げ施設を「會社前面の水面に設置することを英人よ
り制限せられて遥か川上の甚だ不利なる水面を利用せねばならぬよう餘儀
なくせられ居り候痛恨事に御座候」とし、同盟国であればこそ、こういっ
た「意地わるき制限壓迫を受けぬ樣」に「官民共に努力なされ度」と記す。

だが、どうやら「英人は遠慮なく長江の先輩者たることを鼻にかけて我儘
を働くのに日本人は馬鹿正直に内氣で氣兼ばかりして居るは商略上ほめた
る話であるまじくと存候」と。それというのも九江の商略上の将来性を考
えればであった。

それにしても「意地わるき制限壓迫を受け」ても、同盟を結ぶ相手国が
「我儘を働くのに日本人は馬鹿正直に内氣で氣兼ばかりして居る」といっ
た姿は、日米同盟下の現在を連想してしまう。

やはり昔も今も、何故に「日本人は馬鹿正直に内氣で氣兼ばかりして居
る」のか。ともあれ、この点を深く自覚・自省し、克服に努めない限り、
「戦後レジュームからの脱却」は不可能だと痛感するのだが・・・。

とはいえ「九江には米國、支那、各1隻の軍艦淀泊」しているが、「我龍
田も艦首の菊の御紋章を殘照に輝かして小氣味よくも江上に威嚴を示し居
り候」。

九江を後に「滿山是鐵鐵是山」と形容し、「吾等の目には殆ど無盡蔵とも
云ふべく悠久に盡くるの期あるべしとも思はれ不申候」たる大冶鉄山に
向った。この鉄鉱山は「我邦軍器の獨立と密接の關係」があり、その採掘
権については「世に隱れたる所謂無名の士にして?名を欲せす一意專心御
國の爲に盡し盡されつゝあるの人」、いわば「眞に忠良なる國家の一員」
である「至誠の人の手」によって獲得されたことを特記する。

次いで列強が展開する「長江々上の角逐」に言及し、「列國の對清經營
なるもとを見るに殆んと交通上の利權獲得に御座候」と切り出した。各国
の政策を俯瞰するに、「支那を啓發誘尋し其生産力を増加せしめ延て己を
利するの見地」に基づいてのものなのか、それとも「直ちに己が政治經濟
上勢力範圍伸長の基礎とし所謂勢力範圍の劃定を豫期せるものなのか」――
どちらであるかは即断できない。だが列強は従来から清国各地で「交通上
の利權政策」を競っており、「列國が長江々上に於て多年激烈なる商戰を
なし」ているのも、長江こそが「中清經營の鍵」であるからだ。この前田
の指摘は現在にも通じていると思う。《QED》            
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