2017年12月08日

◆金正恩の核ミサイルは中国にも照準

宮崎 正弘

<平成29年(2017)12月7日(木曜日)弐 通巻第5537号 >  

中国吉林省の『吉林日報』、住民に「核戦争に如何に備えるか」の特集号
  やっぱり、金正恩の核ミサイルは中国にも照準

12月6日付けの『吉林日報』に全面特集記事がでた。吉林省と言えば、朝
鮮族が200万人ほど居住し、北朝鮮との行き来がもっとも多い。

米軍のB1B長距離爆撃機が飛来し、平壌は『アメリカをコテンパンにの
してやる』などと豪語しているが、これらの動きから戦争の危機が迫って
いると認識している。

中国の公式見解では北朝鮮が核ミサイルを保有しているのは日本とアメリ
カ向けであり、よもや中国に照準を合わせていると書いているメディアは
ない。

吉林日報も、記事には1行も「北朝鮮」への言及はなく、核爆弾を搭載し
た米軍機が飛来していることを強引に結びつけて、廣島、長崎を連想させ
る記事となっている。

北朝鮮に核爆弾被害がおよんだとき、吉林省にも放射能が及ぶため、「窓
を閉め、身体を洗い、歯を磨き、放射能から身を守れ」とイスラスト入り
で、防御策を示した。

爆発する光りを見てはいけない。外にいた場合はすぐに地面に伏せよ。家
の中にいたら、テーブルの下などに潜り、窓の側からはなれ、また崩れや
すい箪笥などからも距離をおけ。爆発後に放射能を清めるための措置をと
り、シャワーがあれば身体を洗うのが良いが、それが不可能なら、タオル
を濡らし、身体を拭くなどの処置を取れ、などと初歩的なガイダンスに終
始している。
 
表向き、北朝鮮の暴発をシナリオに含んでの報道ではないが、深層心理と
して、北朝鮮が核ミサイルを中国へ向けるシナリオが、その中には含まれ
るのだろう。あるいは核兵器の事故を想定していることが推定できる。
事態はまたまた深刻となった。
          
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  樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 
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樋泉克夫のコラム
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【知道中国 1668回】              
――「支那は上海の大なるものとなるべき運命を荷ひつヽ・・・」――(前田6)
  前田利定『支那遊記』(非賣品 大正元年)

                ▽
つまり日本人の前田にしてみれば清朝が崩壊し中華民国が誕生したわけだ
から、全土が排満思想で沸き返っているはずと思っていたわけだが、どう
やら肩透かし。そこで、次のように考えた。

共和思想は南部の限られた「士人」が何らかの意図に従って「唱道」し
ただけ。彼ら以外は「當時盲目的に烟に捲かれ雷同附和して?から出た誠
とはなりし位のもの」でしかなく、「堅固なる政治上の信念により排滿思
想の天下に充實して民論遂に革命となりしものとは受とれ申さゞる樣」で
ある。

「『ハイカラ』の共和政治」を掲げる中華民国中央政府所在地の北京か
らほど遠からぬ信陽で前田が眼にした光景は、まさに清朝治下のそれで
あった。かくて「共和政府の威嚴の徹底せざるものあるに至りては共和政
も隨分薄ぺらのものなることと相知り可申存候」と結論づけた。

どうやら前田は北京の「中央政府を去る左迄遠からざる併かも鐵道沿線
上」の信陽の街で、じつは日本人自らの物差しが単なる思い込みに過ぎた
かったことを気づかされたということだろう。

これを一気に天安門事件に敷衍してみると、日本では中国全土が民主化の
要求に溢れていたと思い込みながら事態の推移を注視していた。だが「ハ
イカラ」な民主化思想は一部の「士人の爲す所ある爲に唱道せしを他は當
時盲目的に烟に捲かれ雷同附和し」たに過ぎなかった。であればこそ、
「堅固なる政治上の信念」による民主化思想が当時の中国の「天下に充實
して」いるはずもなかったということではなかったか。

トウ小平の改革・開放政策にしてから、「ハイカラ」な経済改革による
政治改革・開放社会実現は一部の「士人の爲す所ある爲に唱道せしを他は
當時盲目的に烟に捲かれ雷同附和し」ただけであり、結果として生まれた
のは欲望剥き出しの超野蛮弱肉強食市場経済だった。経済が発展し、社会
が豊になれば民主化するというアメリカ式希望的観測は、こと中国におい
ては全く成り立たなかったわけだ。

それにしても中華民国建国以後の混乱を考える時、辛亥革命を「當時盲
目的に烟に捲かれ雷同附和して?から出た誠」だと捉える前田の視点に注
目しておきたい。

北京では「租界地に入り申候英國、?國、(獨逸)荷蘭、(和蘭)美國
(米國)俄國、(露國)法國、(佛國)奥國、(澳國)伊國、及日本、の
各使署(公使館)が搆を接し居り候」。

ここには各国が駐屯軍を置き「嚴然として武威を振ひ居り候」。各国兵が
共に巨体を煌びやかな軍服に包み「萬國軍隊の繪巻物くりひろげたるが如
く」にあるが、我が守備兵は小柄な体に地味なカーキ色の軍服だ。

「短小なれ服装こそ質素なれ勇氣凛々として輕快なる精氣眉宇に溢れ居る
我日本兵が巨身長?の大陸兵の間に伍して毫末も遜色なく押しも押されぬ
樣見ては肩身廣き心地いたされ申候」。

なぜ各国軍隊が北京中心部の一角に駐留しているのか。
 
じつは1900年の義和団事件に際し、「外人を排斥追害なさんとする無道人
に朝廷ともあらうものが加擔」した結果、「各國の軍隊を首都に駐屯せし
むる權利を與へ」てしまったからだ。かくて清国は「居留外人の生命財産
を保護すべき力量と誠意なきとさげすまれ外國軍隊の銃劍の光を都府門内
に閃かされ」、「屈辱を忍ばねばならぬ」ことになった。

「他國人の吾々さへ口惜しきことに思」うことを、「支那の國民は何と思
ふやらん」。とはいえ「此等が覺醒の端緒となり候ようなれば禍却つて幸
福と申すもの」であろうが、「斯る屈辱を屈辱として心外に思ふや如
何」。「此點が先づ以て疑問に御座候」となる。《QED》
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