2017年12月14日

◆前代未聞の高裁“杞憂”判断

                            杉浦 正章


 裁判官も売名をするのか

 天が落ちてくると心配するのを杞憂という。 杞憂の「杞」は中国周代の国名、「憂」は憂えること。杞の国の人 が、天が落ちてきたり、大地が崩れたりしないかと、あり得ないことを心配して、夜も眠れず食事も食べられなかったという『列子』の故事に由来する。


今度の広島高裁による来年9月までの伊方原発運転差し止め命令はまさに杞憂判断と言うしかない。裁判長野々上友之は判断の理由を「阿蘇山に1万年に一度の破局的な噴火が起きれば火山灰などの噴出物が大量に飛来して火砕流が到達する可能性がゼロではない」としているが、裁判長の空想性虚言症という症状を初めて見た。


この論理に寄れば40年の耐用期限にあと5年で到達する伊方原発が1万年に1度の噴火を前提に稼働出来ないことになる。判決はそのゼロに近いリスクに偏執するものであって、あまりのも極端で到底容認できるものではあるまい。そのような噴火があれば九州全体が灰燼に帰する事態だ。例えば航空機が原発に墜落する可能性はゼロではない。世界中でそれを理由に停止する事態があったか。北朝鮮のミサイルに狙われる可能性も1万年に1度のリスクごときではない。


 原発訴訟に対する司法判断は既に確立している。最高裁の1992年判決は以後の原発裁判を左右する重要なものだ。やはり四国電力伊方原発訴訟で原告側の主張をを全面否定した内容は、「原発問題は高度で最新の科学的、技術的な知見や、総合的な判断が必要で、行政側の合理的な判断に委ねられている」としている。高度な専門性が求められる原発の安全性の判断は政府に任せて、科学的知見のない司法がかかわりすぎるべきではないとしているのだ。全国で起きている原発訴訟で、大半の地裁、高裁はこの判例に基づいた決定を下している。


もっともこの判断に楯を着いた馬鹿な裁判長が過去に二人いる。大津地裁裁判長・山本善彦と福井地裁裁判長・樋口英明だ。大津地裁の停止命令は、稼働中の原発をストップさせるものであり、悪質極まりないとされた。原子力規制委員会による世界最高水準の厳しい基準をクリアして、やっと稼働し始めた原発を、科学的知見に乏しい山本の独断でストップさせたのだ。また樋口は高浜3,4号機の「運転再開差し止め」を命じており、これが原因で名古屋家庭裁判所に左遷されたが、継続審理のため職務代行が認められて再び「再稼働など認めぬ」という決定を下したのだ。まるで今回同様に最高裁の判例に楯突くような決定である。弁護士として退官後に活躍するための売名行為とされた。これまでに地裁が原発稼働を差し止めた例は3回あり、今回の高裁で4回目だ。いずれも「原発停止」判断は多分に裁判長個人の“特異な性格”が反映されたものという見方が定着している。


 これらの判決は全国的に見れば極めて少数派の裁判長による異例の判決である。だいいち、原子力規制委員会の自然災害に関する審査は非常に厳しく、専門家が数年かけて審議し認められた結果が、裁判所のいわば素人判断で否定されるのは全くおかしい。活火山帯にある日本は裁判長野々上が指摘する「約9万年前の阿蘇山の噴火で、火砕流が原発敷地内まで到達した可能性」のある地域など枚挙にいとまがない。だいいち四国電力は、阿蘇山の火砕流の堆積物が山口県南部にまで広がっているものの、四国には達していないと断定している。約130キロ離れた阿蘇山の火砕流到達を“杞憂”するならば日本に原発を造れる場所はなくなる。そもそも6万年前に1度あった「破局的噴火」を想定していては、あらゆる建造物を建設出来なくなるではないか。そういう“杞憂裁判官”は日本に住むべきではないのだ。
 

まさにここまで来るとろくろく証拠調べも行わず、たった4回の審理で重要決定をした高裁の判断にはあきれるばかりだ。今回の仮処分は効力が直ちに生ずるが、極めて高度な判断を要求される原発訴訟への適用は控えるのが裁判官の常識であるはずだ。野々上は過去の2人の裁判官同様に田舎の判事が一生に1度全国紙のトップを飾る判断を出して、有名になりたいのだろうか。今月下旬に定年での退官を迎える時期を狙って、次は弁護士として活躍しようとしているのだろうか。いずれにしても仮処分の弊害だけが目立つ判断であった。四国電力は決定を不服として執行停止を高裁などに申し立てるが当然だ。


        <今朝のニュース解説から抜粋>  (政治評論家)
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