加瀬 英明
近代日本の出発点を学ぼう
今年は明治維新から150年になることから、政府が「明治維新150周年」を
祝うことになっている。
それなのに、国民の中に明治維新150周年を祝うことに、反対する声が聞
かれない。
これは感慨深いことだ。日本国民がようやく明治維新を祝うようになった
のだ。
明治維新は先人たちが行った偉業だった。日本がやっと立ち直りつつある。
今日では明治維新が行われたからこそ、日本が貪欲な西洋列強の餌食にな
ることなく、独立を全うして近代国家として発展することができたこと
に、異論を唱える者はいまい。
今から50年前の昭和43(1968)年に、明治維新100年が巡ってきた。
ところが、50年前の日本では、政府はもちろん、民間にも維新100周年を
祝う気運がまったくなかった。100周年を話題にすることもなかった。日
本は朦朧としていた。
昭和43年には、日本が国民総生産(GNP)でアメリカに次ぐ、世界第2
位の経済大国になったというのに、6月に東大医学部学生が東大安田講堂
を占拠して、機動隊が出動し(翌年、大規模な安田講堂占拠事件が発
生)、10月に学生が新宿駅を占拠し、11月に4000人以上の学生が安保粉砕
を叫んで、首相官邸に乱入した。大学紛争が全国の115校の大学に波及した。
そのわきで大手新聞が、2年後に迫った日米安保条約改定へ向けて、60年
安保騒動が再現されることを期待して、「70年危機」を煽っていた。
国家の自立意識の欠如
この年にはすでに敗戦からほぼ半世紀、独立を回復してから15年もたって
いたのに、アメリカによる占領によって蒙った深い傷から、立ち直ること
ができなかった。国家意識を喪失してしまっていたために、国民が明治維
新が紡いだ輝かしい歴史を、思い遣ることができなかった。
昭和43年から半世紀が過ぎて、いま、ようやく占領憲法の改正の是非が問
われ、国論を二分するようになっている。それでも現行憲法を改正できる
のか、まだ前途は険しい。
人は頭部に酷い外傷を負わされたり、異常体験をすると、自分が何者か分
からなくなる記憶喪失に陥ることがあるという。今日の日本でも、日本が
どのような国であってきたか、はたして国家なのか、分からない者が多い。
自尊こそが大切だ
世界史を振り返ると、このように国家が記憶を喪失する症状を患った例
は、日本の他にない。私にはなぜ日本がこのような状態に、いまだに陥っ
ているのか、説明することができない。読者諸賢に教えを乞いたい。
日本国民は敗戦から今日まで、人であれば正常な人間関係――国家として正
常な国際関係を結ぶことが困難な自閉症を、病むようになっている。国の
存立を危ふくするものだ。1日も早く癒さなければならない。
自閉症は正しくは早期幼児自閉症と呼ばれ、この症状を患っている者は、
言語障害をともなうが、自己のみに関心が集中し、自分を責めたてて、自
立することができない。
マッカーサーの暴言はいまでも正しいのか
昭和21年に、マッカーサー元帥が「日本国民は12歳だ」と発言したこと
が、総司令部の指示によって、当時の日本の新聞に大きく報じられてい
る。いまでも日本のなかで護憲派が国家の安全をひたすらアメリカに委ね
て、自国に対して成人としての責任を果すことを頑なに拒んでいる。
きっと、昭和21年ごろから幼児性の疾患を病んで、歳をとることがないの
だろう。
日本国憲法は大多数の日本国民によって、「平和憲法」と呼ばれて親しま
れてきたが、先の戦争後の日本の平和は、アメリカの軍事力によって守ら
れてきた。この憲法はアメリカの保護なしに、成り立たない。「“アメリ
カの力による平和”憲法」と、呼ぶべきである。
成人の日の意義を考えよう
今年も1月8日に、『成人の日』が巡ってきた。『成人の日』は占領下
で、昭和23年に制定された。
テレビが日本各地で、『成人の日』の式典が賑々しく行われたことを報じ
た。しかし、日本は国として、まだ「成人の日」を祝うことができないで
いる。いつになったら、「成人の日」を迎えることができるのだろうか。
昨年11月に、都内の名門私立大学の国士舘大学において、建学100周年 を
記念して「『東京裁判』シンポジウム」が催された。
櫻井よしこ氏、西修駒澤大学名誉教授、高橋史朗明星大学特別教授と、私
が招かれて討論が行われた。櫻井氏、西氏、高橋氏は、私が敬愛してやま
ない学識者である。私はシンポジウムから、多くを学んだ。
午前と午後にわたったシンポジウムは、それぞれ30分講演した後に、パネ
ル討論が行われて、東京裁判と、もう1つの占領政策の柱だった「ウォ
ア・ギルト・インフォメーション・プログラム」が、日本国民の精神をい
かに歪めてきたか、追及した。
東京裁判は国際法を、無惨に踏み躙ったものだった。占領軍が行った言論
統制と、「ウォア・ギルト・インフォメーション・プログラム」は、言論
の自由を約束したポツダム宣言に、大きく違反するものだった。
私はパネル討論が終わる寸前だったが、どうしても1つ訊ねたいことが
あった。
司会をつとめた国士舘大学法学部のS教授に、「1つお伺いしたいことが
ある」と前置きして、「28年後に先の戦争が終わってから、100周年にな
りますが、アメリカが行った東京裁判と『ウォア・ギルト・インフォメー
ション・プログラム』によって、日本が惨めな状況に置かれているという
シンポジウムを、また行うことになるでしようか?」と、質問した。
S教授は答えなかった。私はこのシンポジウムに参加することを求められ
た時に、戦後72年もたつのに、まだ東京裁判を日本が直面する問題とし
て取り上げることに、忸怩たるものがあった。
東京裁判は無法な復讐劇
東京裁判は無法な復讐劇だったし、アメリカの占領政策は復讐心と、当時
のアメリカを支配していた白人優位信仰に基く傲りから、日本が野蛮国だ
ときめつけた偏見が生んだものだった。
そこで、独立を回復してから15年か、20年以内に、アメリカが占領下
で行ったことが蛮行であったと総括して、アメリカを赦すかたわら、日本
が独立国として誇りを取り戻すべきだった。
真の独立国を目指そう
私は日本が独り立ちできない咎を、いまだにアメリカの占領政策に負わ
せるのは、異常なことだと思う。
これでは、韓国が72年も前に終わった「日帝時代」について、日本を い
まだに執拗に非難しているのと、変わらないのではないか。このため
に、韓国は自立できないでいる。日本と韓国は、似ているところがあるの
か、訝らざるをえない。
もちろん、過去に遡って、東京裁判と「ウォア・ギルト・インフォメー
ション・プログラム」を検証することは、近現代史研究の一環として有意
義なことであることは、いうまでもない。だが、東京裁判をはじめとす
る、アメリカの対日占領政策は、学問的な研究の対象にとどめるべきだ。
独立国は自立していなければならない
戦後70年以上もわたって、東京裁判と「ウォア・ギルト・インフォ メー
ション・プログラム」を、日本を病ませている大きな要因として取り 上
げるより、なぜ、日本がいまだに対日占領から立ち直ることができない
のか、いったい日本の民族性のどこに、脆弱なところがあるのか、考えたい。
日本が明治に開国してから、今日の人種平等の世界を創出したことに
よって、世界のありかたを大きく変えたことを踏まえたうえで、今後、日
本が有力な独立国として、さらに世界にどのように貢献できるものか、考
えるべきであろう。
2018年02月02日
◆明治維新150周年に当たって想う
at 09:00
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| 加瀬 英明
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