“シーチン”修一 2.0
【措置入院」精神病棟の日々(88)】小生が中1の1964年、東京五輪の前
後から、わが家の食卓に生野菜サラダが登場した(姉2人が夕食をを作る
ようになったから)。それまでは和食主体の多くの日本人に生野菜を食べ
る習慣はなかった。つまり熱湯で温めて食べていた。畑では堆肥を大いに
利用していたから寄生虫をやっつけるために茹でたり、炒めたり、蒸した
りしていたわけだ。
その頃から検便による寄生虫検査が少なくなっていった。近所の農家では
芝生を育てていたが(園芸用とかゴルフ場向けだったろう)、柄杓で肥桶
から糞尿ミックスを撒くのは1963年で終わりになった。
女は生野菜や果物が好きだ。精神病棟で体感したことの1つは、女の70%
は便秘、一方で男は10%でしかない。なぜか・・・男女の食生活で一番大
きな違いは生野菜の摂取量だろう。何でも食べ過ぎる、偏食すると体調に
は良くないのではないか。
生野菜≒体が冷える(夏にはいいが冬には良くない)≒繊維質で便通が良く
なる(大量に食べると逆に便秘になる)≒生野菜の塩分やカリウム、カル
シウムは病気によっては摂り過ぎになる(産経「健康cafe」1/30:軽度の
腎障害ではカリウムが尿に排出されにくくなることで血液中のカリウム濃
度が高くなり、致死的な不整脈を起こす危険が高くなる)。
塩分は控えめがいい。天然の野菜(可食部)などよく食べる食材100gあた
りに含まれる塩分量(mg)をネットで調べたら――
梅干し 22,098
わかめ 16,764
ラーメン 6,350
乾麺 4,318
あさり 2,209
ベーコン 2,209
ちくわ 2,108
塩ざけ 1,828
ハンバーグ 1,244
野菜ジュース 584
しじみ 185
鶏 149
豚 137
まぐろ 124
牛 106
牛乳 104
ほうれんそう 40
白菜 15
きゃべつ 12
トマト 7
みかん 2
りんご 微量
バナナ 微量
まあ、梅干しを食べる人でもせいぜい1日に1粒だろうから避ける必要はな
さそうだが、生野菜はマヨネーズやドレッシング、塩で食べるし、野菜
ジュースなどは健康に良さそうな感じがするから1日に300ml飲む人も多い
だろう。小生は週に最低2回はラーメン、1回は天ぷらうどんを食すが、汁
はあまり飲まないものの控えた方がいいかもしれない。
いちいち気にしていたら、それこそがビョーキ
だが、「偏食はダメよ」ということだ。朝はトーストと生野菜サラダ、と
いうのは一見健康そうだが、これが毎日だと体調を崩すのではないか。精
神病棟の食事は基本的に普通食だが、生野菜は揚げ物のおまけで出てくる
だけだった。小生は減塩のために塩分の多い海苔の佃煮、フリカケなどは
×だった。
入院以来もちろん酒は×で、その代わりに菓子好きになった。Kによると
「お酒には糖分が結構あるから、それを補うために断酒→甘党になる人は
多いのよ」。ふーん。
塩分も糖分もほとほどに、ということなのだが・・・確かに1日に2個のア
イスクリーム、大福1個、キットカット4個、ビスケット8枚などなどは、
自分でも「ちょっとなー」とは思うものの、真面目にやっていたら人生お
もろうないんやないか、と・・・ま、悩ましいね。
悩ましいと言えば、昨日と今日、2日連続で嫌な夢を見た。昨日は発達障
害の28歳ほどの女性を保護して面倒を見ていたら、いつの間にか10歳ほど
の少年になり、多摩川の六郷橋の手摺の上から見事な高飛び込みをし、悲
しくなって目覚めた。西部(にしべ)の自殺が夢の引き金になったのだろう。
(初めて福岡を取材した際、西部瓦斯博物館を訪ねたが、「せいぶ」では
なく「さいぶ」と言うのにはちょっと驚いた。東西南北(とうざいなんぼ
く)で、東部に対して「さいぶ」と言っていたのかもしれない)
夕べの夢は、量販店でうろうろしていたら右腕の袖をオバサンにつかまれ
た。横顔を見ると知らない人で、なんなんやと、正面から見たらKだっ
た。「何見てんのや、このボケ!」と怒られそうで怖かった。小生が迷子
にならないように袖をつかんでいたようだ。ぐったりして目覚めた。
産経の連載、元記者・阿部雅美氏の「40年目の検証 私の拉致取材」はホ
ラー小説を読むような・・・真っ暗な洞窟を手探りで行くような怖ろしさ
を感じる。2/2から。
<自分が書いた記事の信ぴょう性に疑いを抱いたり、確信が揺らいだこと
は一度もない。ないが、被害者の一人から「自分たちは拉致されたのでは
ないんです。訳があって隠れているんです」と、なぜか私に電話がかかる
夢にうなされたことが幾度かあったことは正直に告白しておく。
ずっと、思い続けていた。続報を待つ家族や読者に申し訳ない。
ずっと、思い続けていた。拉致が事実と分かる日が、やがて来る・・・>
記者はトップ屋を目指す。同時に誤報を恐れる。ディープスロート(消息
筋)を大事にする。取材拒否にあったら何も書けない。小生の場合は日本
航空(IATA国際航空運送協会の日本代表でもあった)、運輸省(特に航空
局と観光部)、JATA日本旅行業協会も大切にした。やはり大事な情報源
だった。
一度、運輸省の課長から睨まれたことがある。一席設けて平身低頭し謝っ
たら、「はなっから謝られたら何も言えんやないか!」、あとは楽しい宴
会になった。
これは「旅行業公正取引協議会」という組織を立ち上げる際の記事で、
「運輸省と大蔵省が天下り先として縄張り争いをしている」とコラムで書
いたら、大蔵省に予算を握られ気を使っているだろう運輸省が激怒したわ
けだ。痛いところを突かれたのだろうか。真実というか裏側を書きすぎる
とまずい、わが社は運輸省と喧嘩しても一銭のメリットもない、謝った方
がベストや、となる。大人の知恵や。
(その後、運輸省からオイシイ話があったから、お代官様と越後屋は表で
はそっけないとか、時には喧嘩しているようでも、裏では「まあ一献どう
ぞ」の仲良しなのだと思う)
小生は記者になれて本当に良かったと思っているが、ストレスは大きい。
そのキツサから見ると年刊>月刊>週刊>日刊で、年刊の場合は1か月ほ
ど締め切り地獄が続く。一方で日刊は午後4時で物理的にオシマイ、あと
は翌日以降の原稿を書き始めたりアポ取りをしたりで、まあ、年刊に比べ
ればかなりマシである。
いい記事を書きたい、偽報、虚報、捏造、盗作は「ダメ、絶対!」(確実
にクビ、業界追放になる)、間違いはないかどうかという不安、締め切り
の重圧(特に一般紙の場合は競争が激しい)・・・寝ていてもうなされる
のが記者ではないか。
正月に奄美から野生のイノシシ肉が届いた。いつも小生は食材を包んでい
る地元紙「南海日日新聞」を読むのが楽しみなのだが、元旦号には「奄美
世界自然遺産の扉を開く」という特集があった。今夏の遺産登録を目指
しているそうだ。
シマッチュ(奄美人)は小さい頃から草むら、林、森を恐れる。山奥に入
るのは概ね物好きのハンターだけ。猛毒のハブを皆怖れているのだ。「国
内最大級の亜熱帯照葉樹の森に、多様な動植物が息づく奄美」、その自然
の守護神はハブである。
特集にはハブのことが何も書かれていなかったが、遺産登録で観光産業を
活性化したいのにハブの存在を改めて書くのもナンカナーということで、
多分、奄美のマスコミでは「ハブにはアンタッチャブル」が暗黙の合意に
なっているのかもしれない。
小さな奄美大島は山だらけで雨も多いし、基本的に大きな平地の沖縄とは
観光産業では圧倒的な差があり、もうこれはどうにもならない。樹齢3000
年とかの屋久島の縄文杉みたいな名物があればいいのだが・・・西郷先生
のドラマでブームになればいいが・・・島全体を「奄美江戸村」にして、
島民の服は着物、ミス愛加那コンテストをやるとか。いつまでも「ハブと
マングースの決闘」では客は呼べない。
力道山との対戦などでナント視聴率60%超、一世を風靡し、TV普及にも大
いに貢献したデストロイヤーに敬意を表しつつ、発狂亭“足4の字固め”雀
庵の病棟日記から(子供の頃父と一緒に本家のTV(今なら300万円相当=
年収分)を見に行った。「三菱ダイヤモンドプロレス」とかいう番組で、
途中で小生はいつも寝てしまったっけ)。
【2016/12/6】(承前)*民間企業の経理マンが汚職でクビになると(本
人が依願退職だと言ったところで)再就職で経理マンは絶対になれない。
カネを扱う部署だから、前の会社に必ず問い合わせが行き、上司だった人
は必ずこう言うのだ、「私の口からは何ともお話しできません」。
問い合わせた方は、それだけで「ははん、不祥事だな」と分かるのだ。こ
れは実際にその場面を目撃し、経理マンは大変だなあと感じ入ったもので
ある。
どこかの学校から元部下について問い合わせを受けたことがある。本当は
バイトなのだが、彼は教師になりたかったようで、履歴書に社員だったと
書いたのだろう。「人柄や働きぶりはどうでしたか」と聞かれたので、
「明るいし、素直で一所懸命にやっていましたよ」と答えておいた。「言
われたことはやるけれど、なんか自己主張とか存在感のない奴でした」な
んて言ってしまったら、彼の夢を潰してしまう。それはとてもできない。
小生はシャバに出てから3年間勤めた会社を「同僚があまりにも程度が低
いので一緒に仕事はできない」と依願退職したのだが、上司の田中部長
(後の仲人、やがて社長になった)からは「バカと一緒にやるのも仕事な
んだ」と慰留された。当時の光岡社長は「君も再就職するだろうから」と
ナント推薦文まで書いてくれた。こういう社長、上司は奇跡的なのではな
いか。
お陰で再就職はごくスムースに行ったのだが、上司、同僚は頭がいいし、
パワーがあって残業は当たり前、自分の仕事が終わって帰ろうとすると
「修一! 他の奴の仕事を手伝え!」と空自出身の上司が教育的指導をす
る。「死ぬときは一緒だ!」というわけ。慣れるまではきつかった。
同僚たちは「君の言うのは議論だろう、議論は局中法度だ」「それは武士
道にもとる、切腹ものだ」なんて新撰組を気取っていた。Mさんは机に隊
旗まで飾っていた。気分はすっかり“トシさん”。
6時、7時に終われば当然飲み屋、9時、10時でも「軽くやっていくか」と
飲み屋、毎晩のように飲んでいた。みな金欠だったが、いい会社のいい時
代だった。(つづく)2018/2/4
2018年02月06日
◆生野菜信仰、記者稼業、ハブの奄美 etc.
at 09:00
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