2018年04月11日

◆何故「コミュニケーションを取る」

ここまで蔓延ったのか

前田正晶


9日に行われたハリルホジッチ監督の解任の顛末を語った田嶋会長の記者
か件では「監督と選手間のコミュニケーションが取れなくなった」が理由
の一つとして挙げていた。残念ながら「カタカナ語排斥論者」の私には具
体的な意味を取りきれなかった。今や何もマスメディアだけに限らず、我
が国ではこのカタカナ語交じりの表現が完全に日本語の中に確固たる地位
を占めてしまっている。遺憾であり残念である。

そこで先ずWeblioでは「コミュニケーションを取る」が如何に訳されてい
るかを調べてみた。それは下記のようになっていて、私にも良く理解できた。
<コミュニケーションを取る ・


ミュニケーションを図る ・
意思疎通を図る ・
意志の疎通を図る ・
意思の疎通図る ・

違いに理解しようと努める>

単純な疑問を言えば「何故このような漢字を使った日本語ではなく、カタ
カナ語交じりの表現を使わねばならないのか」なのである。なぜ「取る」
で受けるのかも不可解だ。何度も何度も1990年以繰り返して非難してきた
ことだが、「英単語交じりの表現を使う方が近代的であり、格好が良いと
いう愚にもつかない錯覚を起こしているのか」なのである。

ここでは何時もの方法でOxfordには何と出ているかを確認しておこう。そ
れは the activity or process of expressing ideas and feelings or
of giving people
information となっていた。2番目には methods of sending information
especially telephone, radio, computers, etc. or roads and rails と
なっていた。これを考えると「取る」が適切かなと思ってしまう。

ここでサッカーに戻ろう。私は関東大学一部のテイームのような強豪校で
の経験がないので断定は出来ないが、運動部の組織にあって学生というか
選手たちが畏れ多くも監督さんと意思の疎通を図るような行動に出るとは
とても想像が出来ないのだ。監督さんが全権を持ってテイーム強化の方針
を立てられ、その方針をコーチたちが実現できるように指導していくもの
だとばかり思い込んでいた。即ち、選手たちと対話して意思の疎通を図る
のではないと認識してきた。

だが、田嶋会長の説明を聞けば、日本代表のサッカーのテイームともなれ
ば監督対選手の関係は相互に意見を交換する「双方向性」が重んじられて
いるかの如くに聞こえたのだ。それとも「ハリルホジッチ氏のアイデアや
感覚か思いが、選手たちに解るように伝わっていなかった」と言われた
かったのとも考えてしまった。いや、民主主義(これほど誤解され誤用さ
れている言葉は他に例を見ないが)の時代にあっては「選手たちが監督に
物申す機会が与えられているという意味か」とまで考えた。

そんな屁理屈を弄さなければ、田嶋会長と協会役員は「ハリルホジッチ氏
の意図が選手たちに広く且つ解りやすく伝わっていなかったので、あのよ
うな纏まりに欠けた、中心選手と絶対的な得点を取れるエースが不在な
イームになってしまった」と言いたかったのだろうか。会長はもっと前か
ら問題の所在を把握しているかのような表現をされたが、それは折角招聘
した監督の顔を潰さないようにと配慮されたからだろうか。コミュニケー
ションさえ取れれば状態は改善可能とでも判断されたのだろうか。

私には如何にも我が国らしい奥床しい、他者の心情までに十分に配慮され
た結果でフランスまで赴かれて解任を告げた措置だと思えた。即ち、我が
国には欧米人、就中アメリカ人のような「二者択一」というか二進法的思
考体系は存在しないというか、そこまでの文化は根付いていないのだと痛
感させられた解任劇だった。

  ◎何故「コミュニケーションを取る」がここまで蔓延ったのか:前田正晶

9日に行われたハリルホジッチ監督の解任の顛末を語った田嶋会長の記者
か件では「監督と選手間のコミュニケーションが取れなくなった」が理由
の一つとして挙げられていた。残念ながら「カタカナ語排斥論者」の私に
は具体的な意味を取りきれなかった。

今や何もマスメディアだけに限らず、我が国ではこのカタカナ語交じりの
表現が完全に日本語の中に確固たる地位を占めてしまっている。遺憾であ
り残念である。

そこで先ずWeblioでは「コミュニケーションを取る」が如何に訳されてい
るかを調べてみた。それは下記のようになっていて、私にも良く理解できた。

<コミュニケーションを取る ・


ミュニケーションを図る ・
意思疎通を図る ・
意志の疎通を図る ・
意思の疎通図る ・

違い
に理解しようと努める>

単純な疑問を言えば「何故このような漢字を使った日本語ではなく、カタ
カナ語交じりの表現を使わねばならないのか」なのである。なぜ「取る」
で受けるのかも不可解だ。何度も何度も1990年以繰り返して非難してきた
ことだが、「英単語交じりの表現を使う方が近代的であり、格好が良いと
いう愚にもつかない錯覚を起こしているのか」なのである。

ここでは何時もの方法でOxfordには何と出ているかを確認しておこう。そ
れは the activity or process of expressing ideas and feelings or
of giving people information となっていた。2番目には methods of
sending information especially telephone, radio, computers, etc.
or roads and rails となっていた。これを考えると「取る」が適切かな
と思ってしまう。

ここでサッカーに戻ろう。私は関東大学一部のテイームのような強豪校で
の経験がないので断定は出来ないが、運動部の組織にあって学生というか
選手たちが畏れ多くも監督さんと意思の疎通を図るような行動に出るとは
とても想像が出来ないのだ。監督さんが全権を持ってテイーム強化の方針
を立てられ、その方針をコーチたちが実現できるように指導していくもの
だとばかり思い込んでいた。即ち、選手たちと対話して意思の疎通を図る
のではないと認識してきた。

だが、田嶋会長の説明を聞けば、日本代表のサッカーのテイームともなれ
ば監督対選手の関係は相互に意見を交換する「双方向性」が重んじられて
いるかの如くに聞こえたのだ。それとも「ハリルホジッチ氏のアイデアや
感覚か思いが、選手たちに解るように伝わっていなかった」と言われた
かったのとも考えてしまった。

いや、民主主義(これほど誤解され誤用さ れている言葉は他に例を見な
いが)の時代にあっては「選手たちが監督に 物申す機会が与えられてい
るという意味か」とまで考えた。

そんな屁理屈を弄さなければ、田嶋会長と協会役員は「ハリルホジッチ氏
の意図が選手たちに広く且つ解りやすく伝わっていなかったので、あのよ
うな纏まりに欠けた、中心選手と絶対的な得点を取れるエースが不在なテ
イームになってしまった」と言いたかったのだろうか。

会長はもっと前か ら問題の所在を把握しているかのような表現をされた
が、それは折角招聘 した監督の顔を潰さないようにと配慮されたからだ
ろうか。コミュニケー ションさえ取れれば状態は改善可能とでも判断さ
れたのだろうか。

には如何にも我が国らしい奥床しい、他者の心情までに十分に配慮された
結果でフランスまで赴かれて解任を告げた措置だと思えた。即ち、我が国
には欧米人、就中アメリカ人のような「二者択一」というか二進法的思考
体系は存在しないというか、そこまでの文化は根付いていないのだと痛感
させられた解任劇だった。


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