2018年04月15日

◆フィリピン、中国と秘密交渉

宮崎 正弘


平成30年(2018年)4月13日(金曜日)弐 通巻第5672号 

 フィリピン、中国と秘密交渉。スカボロー礁に石油ガス共同開発基地
   領海の帰属問題には触れず、プラグマティックに障害を乗り越えよう

 『サウスチャイナ・モーニングポスト』紙(4月12日)が、香港滞在中
のフィリピン外相、ピーター・カイタノに独占インタビューを試みたとこ
ろ、腰をぬかすような水面下の秘密交渉が浮かび上がってきた。

ドゥテルテ大統領に随行して中国海南島ボーアオ会議に出席した一行は、
帰路、香港に立ち寄って、「香港フィリピーノ共同体会議」に出席した。
香港にはフィリピンから出稼ぎに来ているアマさんを中心に30万人と言
われるフィリピーノ共同体がある。

インタビューで同外相は「最終的な詰めの段階に入っているので、詳細は
明らかに出来ないが」と断った上で、「フィリピン政府は北京政府と水面
下の交渉を続けており、スカボロー礁の領有権を主張しつつも、お互いが
プラクティカルに国益に繋げる方法を模索してきた。それは原油とガスの
海底油田開発の基地をスカボロー礁に構築し、『中国と共存』する方法
だ。これは時計の振り子が右から左へ大きく移動するスィングとなる」と
した。

フィリピンはドゥテルテ大統領が政権を担うようになってから前アキノ政
権のような『ハーグ國際仲裁裁判所』の判決を硬直的に主張するのではな
く、判決のことは凍結し、つまり「無駄な試みを継続して大事なものを失
うより、『ゲーム・チェンジ』を図るべきだ」とするのである。あまりに
打算的であるが、ドゥテルテ大統領ならやりかねない。

もしこの「フィリピン・モデル」が成立した場合、南シナ海で領有権を争
うマレーシア、ブルネイ、インドネシアなどへの強いインパクトとなる。

おりしも習近平はボーアオフォーラムを終えるや、ヤヌスの首がくるりと
ひっくり返るように、軍事色一色に変貌し、海南島の南端・三亜の海軍基
地に赴き、史上最大の観艦式に臨んだ。

中国海軍は大規模な軍事演習を南シナ海で展開したうえで、4月18日に
は福建省泉州沖の台湾海峡に挑発的に侵入し、実弾演習を見せつける予定。

一方で、米国海軍空母攻撃群は、南シナ海を「自由航行作戦」の一環とし
てデモンストレーションを続けている。
      
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  樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 
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樋泉克夫のコラム
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【知道中国 1716回】         
――「支那人の終局の目的は金をためることである」――廣島高師(5)
  『大陸修學旅行記』(廣島高等師範學校 大正3年)

              ▽

 孔子廟に詣でる。やはり荒れ果てたまま。

「たとひ世は革り時は遷りても、支那四百餘州はをろか、大八洲の隅々ま
でも其の?に生きて居る幾多の後學があるのに、何故こんなに頽廢に終ら
せるのであらうか」と素朴な疑問を持った。

そして「初めて我幾年の間幾百回となく讀むだ夫子その靈位の前に立つた
私は未だ凡ての神社、凡ての佛閣の前に額づいた時に經驗しなかつたやう
嚴な敬虔の情にうたれて、2千年前の先聖の靈と交感する樣な氣がした」
と感慨に耽る。

だが、この種の思い入れが大間違いの礎なのだ。

「支那4百餘州」には「其の?に生きて居る幾多の後學がある」わけはな
いのである。「支那4百餘州」の住人の大多数が『論語』を「幾年の間幾
百回となく讀む」ことなどありえない。

なぜなら彼らは文字を知らないのだから。じつは1949年の中華人民共和国
建国当時の識字率は20%程度だった。

ということは20世紀半ばですら、5人に4人は文盲だった。

だから「世は革り時は遷りても」、「支那四百餘州」の大多数は孔子など
有難くもなんとも感じなかった。であればこそ、孔子廟が「こんなに頽廢
に終」っていたとしても当たり前のことだろう。これに対し関帝廟は「た
とひ世は革り時は遷りても」「頽廢に終」ることはない。なぜなら関羽は
商売繁盛のカミサマだからである。

一行は南京から長江を下って上海で乗船し、「暴風の波路」を北上して
大連に向う。

師範学校生徒であればこそ、大連では大連第三尋常校、大連公学堂など日
本人経営の教育施設を見学した後、白玉山、旅順要塞戦記念館、松樹山砲
台、二龍山砲台、東鷄冠山、爾霊山、旅順港など日露戦跡をめぐる。

当時の若者らしく多く激越の字句を綴っている。その凡てを紹介するわけ
にはいかないので、代表的な一文を示しておきたい。

「あゝ星霜移つて此處に十年。粉砕されて骨は石となり、流れた血潮は草
となつたが、此石此草果して何をか語るであらう。滿天玲瓏の月下の露は
千古の愁思を此石に宿すこともあらう。名のしらぬ異國の蟲は萬古の後ま
で喞々の悲號を此草中に捧げるかも知らぬ。實に爾靈山は永久の戰場であ
る。雲暗く風死して沈黙全山を蔽ひつくすときに、亡靈千秋の遺恨は凝つ
て沈黙の内に阿修羅の叫喚は放たれ、寂寥の裡には鬼笑の啾々たるを響か
すであらう」――

こういう文章は声を挙げて読むのがよさそうだとは思う。

「滿天玲瓏の月下の露」「千古の愁思」「雲暗く風死して」「亡靈千秋の
遺恨」「阿修羅の叫喚」など凡そ大仰な漢詩口調から、なにやら旧制高校
寮歌の雰囲気が漂ってくるから不思議ではある。これが当時の若者エリー
ト共通の『述志』というヤツだろう。だが、こんな大仰な言葉が頭の中を
グルグルと巡っているから、思考も日本式漢詩文体になってしまうことを
考えてもらいたいものだ。

言葉こそ思考の根本である。現実離れした『白髪三千丈』式の大仰な表
現に振り振り回されることの無意味さ、いや間違いに気づくべきではないか。

  閑話休題。

さらに旧戦場を歩く。遼陽でのことだ。日本兵の「貴い血を以て購つた
地」であるにもかかわらず、「今は利に敏い支那人の鋤にかへされ半ば豆
が蒔いてある」。

そこで尋ねると、「此地は當然日本の有です。然し支那人はこの調子の狡
い手段で黙ッて蠶食せられるので殘念ではないかね」と慨歎の言葉が返っ
て来た。

遼陽では県立師範学校と中学校を見学。「博物標品や、理科機械などが
輸入日本品である事」を「殊に愉快に感じた」。
数年前までは日本人教師を雇っていたとのことだ。
《QED》
          
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