2018年05月15日

◆シンガポールで何が起こるか

宮崎 正弘

平成30年(2018年)5月13日(日曜日)通巻第5700号 

 6月12日、シンガポールで何が起こるか
  焦りまくる習近平、同日にシンガポールに闖入する可能性


米朝会談は6月12日、シンガポールと発表された。それまでにあがっ て
いた候補のうち板門店は最終的に除外された。トランプにとっては「呼
びつけられる」印象を避けたということだろう。

また中国、露西亜という米朝会談の候補地は、アメリカから見れば情報
漏れの危険性があり始めから慮外の地。のこるモンゴルとマレーシアは、
前者は治安面でセキュリティの確保がされにくく、後者は金正男が毒殺さ
れた場所だから、やはりふさわしくなかった。

シンガポールはセキュリティ、環境から考慮しても申し分なく、また国
際会議には慣れている。「シャングリ・ラ対話」も、舞台はシンガポール
である。

しかし米朝首脳会談の会議の場所は間違いなく「マリナベイ・サンズ」
という予測がシンガポールのメディアで囁かれている。

同ホテルは3層の高層ビルのてっぺんに軍艦のようなプールが設備さ
れ、世界中から観光客を集める新しいメッカでもある。

シャングリ・ラホテルはマレーシア華僑のロバート郭が経営しており、
どちらかと言えば親中派華僑として知られる。

同ホテルは中国各地にチェーンを展開しているからだ。

その点でトランプの最大の献金者でもあり、ラスベガスのホテル王シャ
ルダン・アデルマンが経営するマリナベイ・サンズなら、トランプ大統領
にとって安心感がある、というわけだ。

米朝会談後、トランプは帰路に日本に立ち寄り安倍首相と会談すること
も決まっているが、こうした動きに気が気でないのが習近平だ。

金正恩を2度も呼び出して、会議に注文をつけた習近平はそれでも安心
できないのだろう、米朝会談の現場へ乗り込み、金正恩、トランプと会談
するという、歴史的な会談への闖入を企図しているようである。
     

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  樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 
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樋泉克夫のコラム
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【知道中国 1730回】                     
――「支那人に代わって支那のために考えた・・・」――内藤(31)
  内藤湖南『支那論』(文藝春秋 2013年)

             ▽

歴史的に振り返ると中国の地方制度は「小区画制」と「大区画制」の別
があるが、「大体において地勢並びに風俗からして」、「今日の大行政
区」が「自然の道理に適っておるのである」。「官吏を増やせば行政が行
き届くようになるという議論」があるが、「これはどこまでも誤りである
と云わねばならぬ」。

じつは「支那においては官吏の生活は、(中略)名目はともかく、事 実
は非常に収入の多いものである」。そこで官吏の増員は「収支相償わな
い支那の現在の財政状態ではとうてい堪うべからざるものである」。だか
ら増員は不可ということ。

じつは「支那の官吏の習慣として」、最末端の「知県のごとき小さい 官
吏からして」、地方行政の実務には通じていない。そこで「一種の官吏
の下働きをする職業、すなわち胥吏というようなものがあって、実際の政
務を執っておる」。ところが「この胥吏がまた代々世襲」するなどして地
域の実権を握っていて「動かすべからざるほどに盤踞」している。地方行
政の実務は彼らに任せるしかなく、中央政府派遣の官吏は手足をお飾りに
過ぎない。

だから中央政府の行政意思を社会の底辺にまで行き届かせようとする な
ら、中央政府からの官吏の実務能力を飛躍的に向上させる一方で、地方
に盤踞した胥吏を廃する必要がある。

さらに考えるべきは「官吏の政治的徳義の問題である」。「実はこれ は
いずれの問題にも関係し、またいずれの問題の根柢ともなることである
が、支那のごとく数千年来政治上の弊害が重なって、官吏という者はほと
んど政治上の徳義が麻痺して、その弊害ということをも自覚しないような
国にあっては、この問題を解決することは、容易ではない」。

ここでまたまた内藤から離れ、「官吏の政治的徳義の問題」について些か
いくつかの事例を示しておきたい。

先ずはお馴染みの林語堂(『中国=文化と思想』講談社学術文庫 1999
年)から。

●「中国語文法における最も一般的な動詞活用は、動詞『賄賂を取る』
の活用である。すなわち、『私は賄賂を取る。あなたは賄賂を取る。彼は
賄賂を取る。私たちは賄賂を取る。あなたたちは賄賂を取る。彼らは賄賂
を取る』であり、この動詞『賄賂を取る』は規則動詞である」。

●「中国が今必要としていることは政治家に対し道徳教育を行うことで
はなく、彼らに刑務所を準備することである」。

●「官吏たちに廉潔を保持させる唯一の方法は、いったん不正が暴露さ
れたならば死刑に処するぞと脅かしてやることである」。


次は1960年代初頭の農村の状況を、
  ●「1963」年、河南省などの農村調査の文献を見る機会があったが、
文献が私に与えた印象は、陰惨でぞっとするものであった。富むものは富
み、貧しい者は生活のどん底に押しやられている。

農村の幹部は悪辣を極 め、汚職、窃盗、蓄妾などは朝飯前のこと、投機
買占めが横行し、高利貸 しが流行り、一口でいえば、農村は生き地獄そ
のものである。

ところが、実態はもっとひどいものだと、毛沢東が文革の2年前から言
いだした。農村の末端組織の3分の1がもう既に共産党の手中にない。

社 会主義の看板は掲げているものの、実際は資本主義が復活している。
農村 の幹部などで構成されている新しい裕福な農民階級が出現し、彼ら
は既に 階級の敵の代理人と保護者に成り代わっている、と毛沢東は断定
した」。 (楊威理『豚と対話ができたころ』岩波書店 1994年)

ここにみられる「農村の幹部」こそ、現代の「胥吏」ということになる
だろう。《QED》
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