2018年05月18日

◆古寺旧跡巡礼・壺阪寺(奈良県高取町)

石田岳彦


昔々、沢市とお里という夫婦が大和の国におりました。

夫の沢市は眼病を患っており、妻のお里は眼病にご利益のある壺阪寺(つぼさかでら)に毎晩お参りにいっていましたが、沢市はお里が他の男のもとに通っていると邪推し、お里を問い詰めたのです。

お里から事情を聞いた沢市は、自らの狭量を恥じ、お里の勧めで、一緒に壺阪寺に篭り、ご本尊の千手観音に祈ることにしました。
 
お篭りの最中、沢市は自分の眼病のために苦労するお里を不憫に思い、自分が死ねば、お里が他の男と再婚できるだろうと考え、谷に身を投げてしまいます。これに気付いたお里は沢市の後を追って、やはり、谷に身を投げました。
 
しかし、互いを想い合う夫婦の愛を嘉(よみ)したもうた千手観音は2人の命を助け、そればかりか、沢市の眼病も直してくださいました。
めでたし。めでたし。

上記の感動的な霊異譚(ご都合主義が過ぎると考える人は心が穢れています。多分。また、沢市が身を投げる前にさっさと眼病を直してやれよという無粋な突っ込みを入れたくなった方は仏罰に気をつけましょう。

物事には話を盛り上げるためのタイミングというものがあり、仏様もそのあたりの空気は当然に読んでいるのです。)で有名な壺阪山南法華寺。通称、壺阪寺は奈良県中部の高市郡高取町にあるお寺です。

壺阪寺は、かの西国33番観音霊場の6番札所で、上でも述べたように、特に眼病についてのご利益で知られています。

創建は、寺伝によると大宝3年(703年)に弁基上人という方が拓いたということになっているそうですが、歴史学的には眉唾みたいです。もっとも、古代寺院の縁起は古事記や日本書紀にでも明記されていない限り、一般的に眉唾にならざるを得ないわけですが。

とはいえ、境内から藤原京(平城京の前の都ですね)時代の古い瓦が発掘されているので(本堂内にレプリカが展示されています。本物は奈良国立博物館です。)、遅くともそのころには寺が存在していたことになります。

近鉄吉野線の壺阪山駅から1時間に1、2本のバスに揺られて10分ちょっと。山の中腹にある終点バス停で降りるとそこは壺阪寺です。

壺阪寺の境内から逸れる形で山頂の方へ更に道が続いており、「高取城(たかとりじょう)はこちら」との立て札が立っていて、バスの同乗者の中には、リュックサックを担いでそちらに歩いていく人の姿も見受けられます。

この高取城は、日本三大山城(他の2つは岐阜県の岩村城と岡山県の備中松山城ということです。)の1つに挙げられているという大規模な山城で、私もそのうち行ってみたいと思っていますが、今回はスルーです。

壺阪寺の境内は、バス停のある駐車場から境内の奥に向かって段状になっており、参拝客は奥にある本堂、三重塔に向かって登っていく形になります。

仁王門の前は桜の並木になっていますが、私が行った際は、ちょうど散りかけのものが多く、あと1週間早く来ていればと惜しまれました。

仁王門をくぐって、まず、眼に入ってくるのは右手に建っている、いや、座られている石製の釈迦四尊(?)像。お釈迦様は本体10m、台座5mとかなり大型です。その手前に控える文殊菩薩と普賢菩薩はそれぞれ本体3m、台座2m。そして、十一面観音像が本体3.3m、台座1.5m。

お寺のホームページによると、文殊菩薩は釈迦如来の「智慧」を、普賢菩薩は「行」、観音菩薩は「慈悲」を表しているとのことです。

文殊菩薩は釈迦如来の「智慧」、普賢菩薩は「慈悲」、そして観音菩薩は阿弥陀様の脇侍というのが一般的な知識で、私もそうだとばかり思っていたのですが、壺阪寺では独自の解釈をとっているのでしょうか。

この壺阪寺はボランティア活動に力を入れているお寺としても有名で、例えば、境内の一角で養護盲老人ホームを運営するのみならず、インド(お釈迦様の母国ということでしょうか)でハンセン病患者の救済事業を行っています。

この釈迦三尊像はそのお礼としてインドから贈られたものの1つだそうで、右手奥の遠方に見えている観音菩薩立像(全長20m)や後述のレリーフもインドから寄贈されたものだそうです。

心が洗われる話ではありますが、これらの石造物群は、壺阪寺の境内を我々が思い描くところの古寺の風景とかなり異質なものともしています。一参拝者の勝手な言い草ですけど。

階段を更に登ると右手に三重塔(重要文化財)、左手に礼堂(重要文化財)と本堂。三重塔の初層(一層目)特別開扉の案内板が立っています。

室町時代に現在の三重塔が再建されて以来、初めての公開ということで、平城遷都1300年祭の関連行事の1つです。

実のところ、今回、私が壺阪寺に十年ぶりに来る気になった理由もこの特別開扉なのですが、実際に一層目の中に入ってみると、中の壁には壁画も無く、柱の前に小ぶりな大日如来像と弘法大師像が1体ずつ置かれているだけという素っ気無さで「これだけ!?」と呆気にとられました。

決して皮肉ではないのですが、確かに、こういう機会(1300年祭)に誘われでもしないと、わざわざ特別公開しようという気にまではならなかったであろうなあ、と納得できてしまいます。ちなみに私が行ったのは春の公開の際ですが、秋も10月1日から12月18日まで公開しているようです。

三重塔の裏側には、これもインドから贈られたお釈迦様の一生を描いた巨大な石製のレリーフが並んでいます。

レリーフの前のところどころに各場面の詳細な解説も設けられているので、お釈迦様の一生を前世(仏教の教えでは、お釈迦様はシャカ族の王子として生まれる前に、何回も転生を繰り返しつつ、善行を積んでいたという設定になっています)から誕生、出家、苦行、悟り、布教、涅槃(死去)まで大画面(?)で追うことが可能です。

ただ、無彩色とはいえ、巨大な石造物ですので、三重塔の背景にこれが来るのは、やはり、かなり違和感がありますが。

お次は礼堂。礼堂は、ご本尊を祀る本堂の手前に設けられた大きめの建物で、壺阪寺の本堂が手狭なため、ご本尊の面前で多数の僧侶の参加する儀式を行うために建てられたようで、奥が本堂と繋がっていました。

礼堂の中には、インドでの慈善活動のための募金箱とインド製のアクセサリー(募金したら、好きなのをもって帰れます。)が置かれていて、募金した参拝者が持ち帰れるようになっています。

本堂は八角円堂という形式で、円堂というと法隆寺の夢殿や興福寺の南北の円堂が有名ですが、壺阪寺の八角円堂は裳階(もこし。飾りの屋根)が付いていて、屋根が二重になっているのが特色です。

去年から今年にかけ、西国33箇所の観音霊場のご本尊特別公開が行われていて、ちょうど壺阪寺でもご本尊の特別拝観が行われていました。ご本尊は千手観音の坐像で、比較的小ぶりです。室町時代に彫られたということで、色彩(全体的に赤く感じます)が比較的鮮やかに残っています。

礼堂を出て、更に奥に進むと沢市とお里が身を投げたという崖です。冒頭の2人の像もここに建てられています。柵から乗り出して下を見ましたが、草木が深くて、いまいち高低差は分かり辛いですね。

巨大な石造仏群については好みが分かれるところかも知れません。天気のよい日にハイキングがてら高取城とセットで回るのが楽しそうです。実行するには体力が問われますが。


この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス: [必須入力]

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。