2018年05月18日

◆「徘徊」は「いいあるき」?

馬場伯明


世界で最も有名な「徘徊(haunt)」は「共産党宣言(1848)」の冒頭で
あろう。「一匹の妖怪がヨーロッパを徘徊している。共産主義という妖怪
が」である。

では、今徘徊とは何か。「どこともなく歩き回ること(広辞苑)」とあ
る。認知症の人(以下、Aさん)が道に迷う状態に徘徊が使われてきた。

2018/3/25の朝日新聞は1・2面で「徘徊」行動を特集し、国・地方・地域
のボランティアによる見守り・支援活動などを紹介した。

記事によれば、散歩に出たAさんは「目的を持って歩いている」というの
だ。「道がわからず怖かったが家に帰らなければと意識していた。徘徊で
はないと思う」と。本人にそう言われば「そうかな・・」とも思う。

Aさんは、自宅を出たときは散歩するという目的を持ち徘徊するつもりな
どなかった。「記憶障害」のために外出した目的を忘れ、「見当識障害」
により自分のいる場所がわからなくなり、「理解・判断力の障害」で、
「道順を尋ねる」という適切な行動がとれなかったのである。

それでも、Aさんは、後で(!)考えたとき、Aさんの状態が他人に徘徊と
言われるのは適切ではないと思っているらしい。それらを受けてか、全国
で徘徊という言葉を使わない事例が増えているという。典型例である東京
都国立市では 徘徊を「いいあるき」と表現している。市報「くにたち」
から転載する(2016.9.5 第1131号)。

《みんなで参加しよう!認知症の人の見守り・SOSネットワーク「いいある
きネットinくにたち」。模擬訓練を実施します。ひとりで外出し道に迷っ
てしまう認知症の方を地域で見守るために「声かけ模擬訓練」を実施しま
す。国立市では、「徘徊」と言わず「いいあるき」➠「迷ってもいい、安
心できる心地よい歩き」と表現しています》。

また、日本認知症本人ワーキンググループ(鳥取市)は「認知症の人の外
出を過剰に危険視して監視や制止をしないで」と訴え、名古屋市の西部い
きいき支援センターは、啓発冊子のタイトルを「認知症『ひとり歩き』さ
ぽーとBOOK」とした(2014)」らしい。

さらに、大牟田市は「安心して徘徊できるまち」から「安心して外出でき
るまち」に変え、状況に応じ「道に迷っている」などと言い換えている。
認知症の本人の声(要望)を尊重したと、ある。

そこで、朝日新聞は宣言する(2018/3/25)。《今後の記事で、認知症の人
の行動を表す際に「徘徊」の言葉を原則として使わず「外出中に道に迷
う」などと表現することにします。今後も認知症の人の思いや人権につい
て、本人の思いを受け止め、様々な側面から読者のみなさんとともに考え
ていきたい》と。また同時に《(徘徊を)使用する立場(の団体や個人)を
批判する趣旨ではない(編集委員・清川卓史)》とも。少し胡散臭い・・。

しかし、ちょっと待ってほしい。それで、ほんとにいいのだろうか?

徘徊では、行動や状態を判定する人(主体)とタイミングに違いがある。
Aさんは「散歩しているうちに道に迷ってしまった」と(あとで)認識を
話し、健常者のBさんは「(彼は今)うろうろと歩き回っている」と(そ
の場で)徘徊していると認識するのである。

Aさんが徘徊状態にあった「そのとき」を(正常に戻った)後で「徘徊で
はないと思う」と言うのは、同情はしたいが、間違いであろう。また、表
で徘徊を「いいあるき」と言い換えても、裏の「悪い歩き」という事実が
透けて見える。いくら言い・書き換えても事実は一つだ。「いいあるき」
は偽善的な表現であると言えよう。

単なる言い換えは事実からの逃避・言葉の遊び・繕いである。王様が裸で
あれば(正確に)裸であると言った子供の方が正しい。事実を隠蔽する目
先の「猫だまし」では解決から遠い。

国立市が徘徊を「いいあるき」と表現するのも、事実と違うので不適切で
ある。おそらく、国立市職員の心の中は「いいあるき:?」ではないかと
私は邪推(!)する。なお「『いい歩き』をめざす会」は問題がない。

朝日新聞の徘徊記事は、本質的な問題提起ではなく、言葉の使い方の問題
である。いわば、朝日得意(!)の「言葉の遊び」だ。「適切な言い換え
表現がない」と書く。ここで、「迷走」は世間でよく使われている。徘徊
は「迷走し、迷い歩くこと」である。徘徊を「迷歩(めいほ←私的造
語)」に換えれば案外うまく行くかもしれない。

ところで、そもそも徘徊の原因症状である「認知症」という言葉も変であ
る。表意文字である漢字の使い方が間違っている。

認知とは、物事を「正しく認識し知る」ことである。だが、認知できない
状態の症状が認知症と定義されている。本来、認知失調症や認知障害症な
ど認知できないという意味の語が必要である。

認知症方式なら、統合失調症は統合症、栄養失調症は栄養症となる。一
方、筋萎縮性側索硬化症(ALS)は病名や症状を表す語で正しく構成され
ている。腸管出血性大腸菌感染症も同様である。

兵庫県のNPO法人播磨オレンジパートナーは「歩く目的あり。徘徊と言わ
ないで!」と「認知症を『ニンチ』と言わないで!」の缶バッジを2つ
作った。ほら見ろ!認知・失調症状を認知症と名付けたために認知(ニン
チ)が真反対の嫌われる語になってしまった。本末転倒である。

本題の徘徊に戻る。徘徊を他の言葉に言い換える人は心が優しく善意の人
が多い気がする。その善意を尊敬する。しかし、善意であるがゆえに徘徊
する人を逆に無意識のうちに傷つけることもある。なぜか。現実は言葉だ
けでは動かないからだ。

徘徊論議が長くなり、何か徘徊状態になってきた。まとめを書く。
1.徘徊を、いいあるき、ひとり歩き、外出などと、偽善的な言葉でごま
かすべきではない。認知症も認知失調症などの正しい表現にすべきだ。

2.「王様は裸だ」という子供に学び偏見に正しく向き合うべきだ。単な
る言い換えでは解決しない。事実と中身が大事。善意や同情を無意識に押
し付ける人もおり、徘徊する人が傷つけられてしまうこともある。 

3.認知症への薬物治療も進展している。徘徊は認知症に伴う行動・心理
症状を表すBPSD (behavioral and psychological symptoms of
dementia)の一つだ。一刻も早い徘徊の治療方法の確立を祈る(*1)。

高齢に向かう健常者の最大の悩みは「認知症になる恐怖」であるという。
膝の痛みや耳が遠くなる症状などより「人間としての自分が失われる」認
知症(認知失調症)の方がより怖い。私もまさにそうだ(*2)。

折しも、中国とロシアの党はC・マルクス生誕200年記念行事で高揚してい
る。朝日新聞は「万国の『徘徊』老人よ、団結せよ!」ではなく「万国の
『いいあるきの』老人よ、団結せよ!」と偽善的な煽動を行なうのだろう
か。(2018.5.15 千葉市在住)

(追記)
(*1)中島京子は小説「長いお別れ(2015)」で、認知症・徘徊の父を我
がことのように、我が腕に抱くように綴った。GPS携帯・携行騒動の悲喜
劇も。「長いお別れ(Long Good Bye)」とは認知症のことである。

(*2)足腰は超元気だが頭は不安な私。明日はわが身かも。「認知症鉄道
事故裁判(高井隆一2018)」を読んだ。認知症の父の線路立入妨害(死亡
事故)の損害賠償裁判でJR東海に最高裁で逆転勝利する8年間の貴重な実
録。しかし、明日!全国各地で100人が線路に入ったら・・・。国の「介
護の社会化」という掛け声が空しく響く。(了)
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