2018年06月21日

◆オリ首相もおねだりのため北京詣で

宮崎 正弘


平成30年(2018年)6月20日(水曜日)弐 通巻第5728号 

オリ(ネパール)首相もおねだりのため北京詣で。
  インドは3億1700万ドル、ところが北京の対ネパール投資は83億ドル!

ネパールは北の国境をヒマラヤ山脈に阻まれて、中国とは無縁、ながらく
はインドに保護されてきた。換言すれば、インドがネパールの「宗主国」
然として振る舞ってきた。したがってインドの振る舞いに傲慢なところが
あったのは事実だろう。

東西冷戦が終わり、航空機が飛び交い、中国からネパールへの観光客が、
またたくまに西洋人や日本人の訪問客を超えて、いまやカトマンズやポカ
ラの町は中国人団体ツアーに溢れ、日本食レストランにしても、中国人だ
らけである。

中国の狙いは明白で、ネパールと印度の関係を分断することにある。

中国は最初に発電所建設に力を貸した。次ぎに習近平は自らの政治生命を
かけた「一帯一路」プロジェクト(BRI)の一環として、ネパールをも
巻き込み、高速道路と鉄道網の建設を提言し、実際に自動車道はヒマラヤ
を越えるまでの建設が進んだ。

ヒマラヤの中国側にはリゾート歳を開発しており、ホテルや山小屋が建っ
て、かなりの国内ツアーを集めており、またチベットでは首都のラサから
第二の都市シガツェまで、高速鉄道を繋いだ。その早先のヒマラヤにトン
ネルを掘って、カトマンズへ鉄道を繋ぐなどと大生風呂敷を拡げている。

ネパールは立憲君主を廃止して、共和制に移行してからマオイストが勢力
をのばし、現在のカトマンズ政権はマオイストの右派と左派の連立であ
る。オリ首相は明らかに親中派である。そしてオリ首相は今週、北京を訪
問し、習近平と会談する。目的はずばり、おねだりだ。中国が掲げている
BRI関連の投資額は83億ドル、他方のインドは3億1700万ドル。じつ
にインドの26倍だ!
     
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 幕末維新の知られざる裏面史を埋もれていた逸話で活写
  明治150年でなくて、戊辰150年というべきだ

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中村彰彦『幕末維新改メ』(晶文社)
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日本歴史でスリルに満ちた時代は戦国と幕末維新だろう。最近は古代史も
ブームとなり、さらには観応の擾乱とか、応仁の乱も見直され、本能寺の
変の裏面もずいぶんと研究者が増えた。

しかし幕末維新に限って言えば、広範な資料、それも未発見だった文献を
見つけて、歴史に埋もれてきた人々を甦らせる作業を一貫して書いてきた
作家は中村彰彦をおいてないのではないか。

おもしろ可笑しく書こうとすれば、信長の横死を謀略史観のように奇譚に
仕立て上げた加藤廣のような作家もいるが、中村はあくまでの史書を資料
の基礎としているので、時代小説ではなく歴史小説家というべきなのである。

さて、本書は知られざる逸話の集大成であり、たとえば薩摩のチェスト剣
法の由来とか、尊皇攘夷の発想の起源とか、河井継之助を『バカ家老』と
呼んでいた話とか、見落としがちな奇話の連続で、じつは評者、本書を片
手に機中の人となり、取材先のモルディブの宿で読み出したら、途中でや
められず、朝の静かな海の光りに気がついたとき、読み終えていた。

とくに興味を惹くのは幕末に瞬間的に誕生し、短時日裡に消えた藩が四つ
あること(鶴田藩、香春藩、岩国藩など)。反対に幕末動乱で消滅した浜
田藩と小倉藩の経緯も詳細に書かれている。

さらに度肝を抜かれるのは『勝ち組の内訌』つまり、内ゲバである。

もとより水戸藩の内訌は天狗の乱となって、悲劇を産んだが、戊辰戦争に
勝ったはずの長州藩は騎兵隊の暴走、腐敗で勝利後も内紛に疲弊した。
 薩摩の悲劇は維新前のお由良騒動が有名だが、じつは戊辰戦争以前にも
激しい内部対立で犠牲者が輩出した。こうした悲劇はそこら中で展開され
ていた。政変とは、血の犠牲を伴い、その恨みは百年消えないだろう。

会津は保科正之を藩祖として、雄藩だったがゆえに蝦夷地警備をやらさ
れ、さらに誰もが引き受けなかった京都守護職の任にあたらざるを得な
かった。

最後の藩主となった松平容保は、その後、悲壮ともいえる悲劇の主人公と
なった。流された斗南藩とは穀物も不作続きの土地で、移封後に餓死した
旧藩士や家族、ボロ家屋に着るものさえなく寒さに震え、この赤貧の中か
ら柴五郎が誕生した。

また海外移住に積極的になったのも、諫言すれば「挙藩流罪」ではなかっ
たのかと別の角度からの光りを宛てている。

会津藩は逆賊ではなかったことは明治中期にすでに証明されていたが、そ
れは孝明天皇の直筆が公開されたからで、のちに東大総長となる山川健次
郎は「白虎隊総長」と渾名されたが、兄が書き残した『京都守護職始末』
を公刊したからだった。

かくして著者の立場は「明治150年」でなく、「戊辰150年」史観に基づい
ている。

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