2018年07月11日

◆日本の英霊が残した 人種平等の道標

加瀬 英明


5月に、イギリスのヘンリー王子と、アメリカ人女優のメーガン・マーク
ルさんの華麗な結婚式典が、ウィンザー城の教会において行われた。

イギリス王室はウィンザー家と呼ばれるが、ウィンザー城は王家の居城で
ある。

この日は、よく晴れていた。ヘンリー王子とメーガンさんは、荘重なイギ
リス国歌が吹奏されるなかを、銀の輝く胸冑をつけた龍騎兵を従えた、お
伽噺のような馬車に乗って、教会へ向かった。

私はこの光景をテレビで観て、深く感動した。すると、不用意に胸が熱く
なって、目頭が潤んだ。

華燭の式典では、アメリカ聖公会の黒人主教が、説教壇から黒人訛りの英
語で、愛について熱弁を振った。

私はアメリカ黒人女性の聖歌隊が、黒人霊歌の『スタンド・バイ・ミー』
(イエスとともに歩め)を合唱した時に、涙が頬にこぼれた。シャツの袖
口で拭った。

メーガン妃は、アフリカ系黒人だ。アメリカ黒人の母と、白人の父のあい
だに生まれた。

いまでも、白人社会では、黒人の血が少しでも混じっていれば、「黒人
(ブラック)」と呼ばれる。オバマ前大統領は、父親が黒人、母親が白人
だったが、黒人として扱われている。

私はキリスト教徒ではないが、アメリカに留学した時に、黒人社会に関心
があったので、何回か日曜日に、黒人街の教会を訪れて、ミサに参加した。

ミサでは、黒人霊歌(ゴスペル)の『スタンド・バイ・ミー』が、かならず
歌われた。

ウィンザー城の教会で、エリザベス女王、フィリップ殿下、チャールズ皇
太子をはじめとする、盛装した王族を前にして、何と、アメリカから招か
れた黒人の聖歌隊が、この黒人霊歌を合唱したのだ。

『スタンド・バイ・ミー』は、黒人たちがアフリカから奴隷として拉致さ
れて、筆舌に盡せない逆境を強いられた日々に、うたった歌だった。

イギリスの王子が黒人と結婚するのは、王室の長い歴史ではじめてのこと
だった。3、40年前には、考えられなかったことだった。

これも先の大戦において、日本が国をあげて勇戦し、大きな犠牲に耐え
て、アジアを、欧米の数百年にわたった苛酷な植民地支配から、まず解放
し、その高波がアフリカ大陸を洗って、アフリカの諸民も解放されて独立
していった結果として、人類の歴史の果てに、はじめて人種平等の世界が
招き寄せられたためだった。

アジアの民を解放するために、酷暑酷寒の広大な戦場に散華した英霊が、
天上からウィンザー城の光景を眺めて、きっと嘉納されたにちがいない
と、思った。

私は幼年期を大戦前のロンドンで、過した。バッキンガム宮殿や、ロンド
ン近郊に親しんできた。私にとってイギリスは、“第二の母国”である。

日本大使館員の子だったから、周辺や、イギリス人の友だちから、差別を
受けることは、なかった。日本はアジア・アフリカの有色人種のなかで、
唯一つの一等国だった。

アメリカでは第2次大戦後も、国内で黒人に対する、理不尽な差別が続いた。

ところが、独立したアフリカ諸国の外交官が、それまで黒人が立ち入れな
かったホテルや、レストランなどに自由に出入りするのを見て、黒人によ
る公民権運動が起った。

1960年代に、マーティン・ルーサー・キング師が率いる公民権運動が、つ
いに実を結び、アメリカ黒人に対する法的な差別が全米にわたって撤廃さ
れて、今日に至っている。

日本は矢弾尽きて、73年前に鉾を収めたが、人種解放を求めた大東亜戦
争は、終わらなかった。アジア・アフリカの民や、アメリカの黒人たちが
戦いを続けて、今日の人種平等の世界が実現したのだった。
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