2018年08月29日

◆複雑な欧州情勢に見る日本への教訓

櫻井よしこ

トランプ米大統領は、ブリュッセルで行われたNATO(北大西洋条約機
構)首脳会議に先立つNATO議長との会談で、メルケル独首相を「ロシ
アの捕虜だ」と貶めた。NATO諸国が軍事費を増やして備えを進めてい
るロシアに対して、ドイツは「ノルドストリーム2」と呼ばれる海底ガス
パイプラインの敷設で協力し、ロシアの天然ガスをはじめとするエネル
ギーの欧州向け販売で力を貸し、毎年何十億ドルもの資金をロシアに与え
ることになるとして、氏は怒ったのである。

エネルギーは如何なる国にとっても最重要の戦略物資である。ロシアは、
ウクライナ経由のガスパイプラインで欧州にガスを売ってきた。しかしウ
クライナで反ロシア政権が誕生したり、反ロシア国民運動が高まると、パ
イプラインの元栓を閉めて圧力を加えた。ウクライナはロシアのガスを欧
州諸国に分配するガス通行料収入どころか、ガスの供給を断たれておよそ
全ての経済活動が停止。完全にお手上げだった。

だが、ロシアにとってもガス栓を閉めることは身を切る結果となった。エ
ネルギーの輸出はロシアの輸出全体の約半分を占め、国家予算の40%がそ
れによって賄われているからだ。そこでプーチン氏は、ロシアから直接バ
ルト海の海底にパイプラインを通し、ウクライナを経由せずに欧州へ天然
ガスを移送することを考え、ドイツを中核国としようとした。それが「ノ
ルドストリーム2」だ。

完成すれば、ロシアの欧州向け天然ガス輸出の80%がこのパイプラインで
送られる。ドイツはハブ国として、ロシアのエネルギーを欧州に売り捌
く。前首相のシュレーダー氏はロシア国営企業のロスネフチの会長におさ
まっているが、安全保障で対立する国の国営企業にドイツ前首相が高給で
雇われてよいはずがない。ドイツの行為は利敵行為であり、トランプ氏の
批判は正しいのだ。

ドイツの裏切り

ドイツへのトランプ氏の怒りから過去の日本の体験に思いが移る。日本も
ドイツには酷い目に遭わされている。『日中戦争・戦争を望んだ中国 望
まなかった日本』(北村稔・林思雲、PHP研究所)に詳しいが、日本は
1937年に日独伊防共協定を、40年には日独伊三国同盟を結んだ。日本が当
時戦っていたのは中国国民党政府、蒋介石の軍隊だった。

ドイツは防共協定締結後も三国同盟樹立後も、一貫して日本の敵の国民党
政府に武器を輸出していた。ドイツではほとんど産出されない希少金属の
タングステンが中国には大量にあり、ドイツ軍の軍需産業に欠かせなかっ
たからだ。

それだけではない。日本が蒋介石軍と戦っていたとき、ドイツは蒋介石軍
への武器売却のみならず、ドイツ軍顧問団が幾つかの戦場で指揮をとっ
た。そのような戦場では、普段は蒋介石の軍隊に敗北したことのない日本
軍が大敗を喫している。ドイツの裏切りは41年7月まで続いた。独中関係
が突然終わったのは、ドイツ軍が反省したからではない。蒋介石の側から
国交を断絶した結果だった。

日本人はドイツ人に対して比較的好印象を抱く人が多いが、国と国との関
係に甘い期待など禁物である。

現在に至るまでトランプ氏の外交には筋が通っていないため判断がつきか
ねることも多いが、独露連携に対しては、布石を打っていた。昨年7月、
ポーランドの首都ワルシャワで開催された「3SI」(三つの海構想)の
会議への参加がそれで、トランプ氏はそこで、「天然ガスが必要なら、い
つでも電話してくれ」という表現で潤沢なエネルギーを供給する用意があ
ると強調している。

3SIはバルト海、アドリア海、黒海の三つの海沿いの旧東欧12か国によ
る連合体である。ポーランドとクロアチアが中心になってまとまったこれ
らの国々は、二度と独裁国家ロシアの傘下になど入りたくないと思ってい
る。欧州全域にロシアのガスパイプラインが敷設されれば、ロシアは欧州
に対する圧力を容易にかけられるようになる。欧州全体がエネルギーを通
じてロシアの支配を受けるような事態を、彼らは最も恐れている。

同会議でトランプ氏は、明らかに、ロシアを念頭に置いて、3SI加盟国
がどの国の人質にもならずに済むよう、潤沢で安価なエネルギーの供給を
保証したのだ。米国のエネルギー政策にも、米国で採掘可能になった潤沢
なシェールガスや石油の輸出を進めることが国家戦略として謳われた。ロ
シアの液化天然ガスは割高に価格設定されているが、米国は反対に安価で
潤沢なガスの輸出が可能なのだ。

ポーランドは既に米国のLNG受け入れターミナルを完成させており、
2022年に満期となるロシアのガスプロムとの契約は更新しない方針を決め
た。彼ら旧東欧諸国にとって、米国によるガス供給に道筋をつけたのは一
つの安心材料だ。しかし、それでも国際社会は厳しい。

トランプ氏の本音

NATO首脳会議でトランプ氏は、昨年NATOに加盟したモンテネグロ
について、つい語ってしまった。モンテネグロが攻撃された場合、米国の
青年がそのために血を流すことはないと、言ってしまったのだ。NATO
の基盤は集団安全保障の理念である。どの国であれ、加盟国に対する攻撃
は全体に対する攻撃だと見做し、全加盟国が力を合わせて反撃するのが
NATOだ。しかし、トランプ氏はそれを否定した。発言はすぐに訂正さ
れたが、これは恐らくトランプ氏の本音であろう。

どの国もさまざまな努力を重ねなければ生き残れないのである。日本はど
うかと考えざるを得ない。

トランプ氏はNATO諸国の国防力強化の努力が足りないとして、信じ難
いほどの悪態をついた。ドイツを最も鋭く厳しい言葉で批判した。日本に
対しても同じように厳しいコメントが発せられる可能性がある。

小野寺五典防衛大臣が7月27日、言論テレビで語った。

「例えば対GDP比の数字だけ言うと、ドイツは1.3%。これはNATO
基準の換算ですから、日本にはそのまま当てはめられませんが、日本は
0.87%です。米軍再編費用を除いた金額ではありますが。安倍政権になっ
てわが国は毎年防衛費を増やしています。経済が成長しGDPも伸びてい
るため、GDP比の数字が小さくなってしまうのです」

この他に日本は在日米軍基地のコストを負担している、或いは高い兵器を
米国から買っているなどと、主張することもできるだろう。しかし、そん
な目先の細目ばかりで言い訳の余地を探しても問題は解決されない。要
は、日本の置かれた状況の厳しさ――米国の内向きへの変化と中国の膨張――
の前で、どう日本を守るかということだ。それには専守防衛の精神を捨て
て、普通の民主主義国の、普通の国防政策を皆で共有することしかないだ
ろう。
『週刊新潮』 2018年8月9日号  日本ルネッサンス 第814回
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