2018年08月30日

◆外国人の不動産投資は認めない

宮崎 正弘


平成30年(2018年)8月28日(火曜日)通巻第5807号 

 外国人の不動産投資は認めない。投資家への特権ヴィザは与えない
  マレーシア首相「『フォーレスト・シティ』は外国の植民地ではない」

連続する「マハティール・ショック」。(中国にとってのショックだが)
 
そもそも5月のマレーシア選挙で、親中派首相だったナジブが「まさかの
落選」をし、93歳のマハティールが首相復帰など、中国の事前の想定には
なかった。それが第1のショックだった。

政権発足直後、マハティールは「新幹線プロジェクト」の中止、「ボルネ
オのガス・パイプライン工事」の中止を発表した。総額230億ドルを超え
る、シルクロードの一環である。これが第2のショックだった。

第3のショックは親中派だった政治家ナジブ前首相の逮捕と起訴である。
こんご、ナジブ政権と中国との不法なビジネス、その癒着と賄賂問題など
が裁判で争われる。

第4のショックはマハティールの訪中が、交渉術においてマハティールの
実質勝利であったことだ。中国はこの老獪老練な政治家に一歩先を読まれ
た。工事の中断理由は「中止ではなく、財政問題が解決すれば、工事再開
もあり得る」という妥協的なイメージで習近平の顔を立てながら、交渉を
うまく運び、事実上の中止を宣言した。

第5のショックは中国の投資家への警告を意味する。

8月27日、マハティールは「フォーレスト・シティへの外国人投資を禁止
する。不動産投資移民にはヴィザを発給しない。フォーレストシティは外
国の植民地ではない」と発言した。

フォーレストシティは、シンガポールとの西端国境近くに70万人口の高級
団地、人口都市を造ろうというもので、総工費1000億ドル。民間企業のカ
ウンティガーデンが造成、建設、販売を担い、すでに最初の一区画は一万
戸を販売、その90%は中国人だった。

マハティールのいう投資家ヴィザとは、「十年間マルチ」という特権的な
待遇を保証するもので、外国人が第2ハウスとしてマレーシアで物件を購
入すれば、機械的に与えられた。昨年だけで、1439人の中国人が、この
ヴィザを獲得、2番手は韓国人だった。

カウンティガーデン(碧佳園)はすでにマレーシアでいくつかの巨大プロ
ジェクトを成し遂げており、従業員7万人、売上高200億ドルをこえる、
中国を代表する民間デベロッパーだ。

フォーレストシティのマンション販売ではすでに1万戸を売り、そのうち
の90%が中国人だったことは述べたが、販売額は36億ドルで、同社の売り
上げの2%未満。したがってマハティール発言でも株価には殆ど影響はな
かった。

だが「碧佳園」は、中国国内の不動産バブル崩壊が秒読みになった踏んで
おり、国内から海外へと舵取りを替えつつあり、またスキャンダルに満
ち、経営者が逮捕された安邦保険が同社の9・9%株主だった。

それにしてもマハティールの「フォーレストシティは中国の植民地ではな
い」とするのは選挙公約であり、トランプ流のナショナリズムへの回帰、
すなわち「マレーシア・ファースト」である。とはいえマレーシアはマ
レー人が主流だが、華僑人口が35%、インド系が10%。複雑な民族構成が
そのまま政治に絡み、マハティール政権は磐石とは言えないのである。

外国人のマレーシアにおける不動産投資禁止は、今後、法改正などが必要
とされるため具体的には如何なる方法となるのかは未定だ。

しかし、この外国人の不動産購入禁止措置は、北海道などを中国資本が買
い占めている日本にとって、格好のモデルケースとなるのではないか。

       
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樋泉克夫のコラム
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{知道中国 1780回】                    
――「支那人は不可解の謎題也」・・・徳富(5)
  徳富蘇峰『支那漫遊記』(民友社 大正7年)

              △

徳富は、国際政治の上からも、極東における列強角逐状況においても、は
たまた国内状況のうえからも、極めて微妙な時期に、微妙な場所を歩いた
ことになる。

ハルピンを発った徳富は長春に取って返す。長春駅頭の風景を、「停車
場の提灯山の如く、叫聲雷の如し」。そはなんぞ。「支那人の宿引き」
だった。「例によりて支那人の仰山なる、驚く可き也」。

次いで長春から吉長鉄道で東に向い吉林へ。建設に当たっては「資金の半
は、滿鐵より出」ているだけではなく、「近頃其の經營の、滿鐵の手に委
せらる可し」とのことだから、全般に日本の色が出ている。「東清鐵道に
比すれば、車室も比較的清潔也、係員も丁寧也、(中略)車内にて茶を出
し、温湯にて濕したる手拭を出し、何となく支那茶館に赴きたる風情あり」。

僅かに2時間滞在した吉林に就いて、徳富は考える。「若し我が北鮮の
清津より、會寧に達する鐵道成就し、更らに吉會線布設の日に至り、而し
て敦賀清津間の、日本海定期航路出で來らば、日本と吉林の接近は、意想
外の効果を來たさむ」。吉會線の建設は軍事的見地からだけではなく、
「經濟的、拓殖的見地に於て、更らに其の大なる理由あるを、知らざる可
からず」。因みに清津と會寧を結ぶ清會線は徳富が旅行した翌年には完成
している。

吉林から長春に取って帰す。

「長春は即今、南滿の極北盡頭也。即ち日本勢力範圍のそれ也。之を咫
尺相距る、露國の寛城子に比較すれば、一は生氣淋漓たり、他は衰殘荒
廢、目も當てられぬ容態也」。旭日の日本に対するに落?のロシア帝国で
あり、混乱のなかの革命ロシアといったところか。

地政学のうえから考えて、南北滿洲からシベリアに至る広大な地域を「四
通八達の要衝」であり、「地味豐沃」で農産物は豊富である「長春は日、
支、露三國の交差點なるが爲め、貨幣も一層複雜」だ。流通する紙幣・貨
幣の種類が多く、交換レートも複雑極まりない。「されば長春に於ては、
通貨も亦た一種の貨物として、其の取引を必要とする」のだ。そこで徳富
は「愈々滿洲幣制の統一の急務を、認めざるを得ず」ということになる。

12月2日、長春を発ち南下する。大連駅頭で待っていたのは真宗大谷派を
率いる大谷光瑞だった。体調を崩していた徳富は10月7日に動き出し、中
村関東州都督、国沢満鉄理事長、樺山満鉄理事などと面談しているが、国
沢理事長との面談の席で「昨日天津より汽船にて、當地に來着したる」釋
宗演と再会した。

大連を「露人の計企を繼紹したりとするも、之を大成したるは我が大和
民族の手腕也」と見做し、「我が大和民族の手腕」を発揮して「第三埠頭
を築造中」であり、満洲大豆を主な要素とする盛況ぶりを讃える。大連周
辺の景勝地を廻った後に向った旅順に就いて「要するに旅順の今日は、軍
港としても苟も我が勢力の滿洲に存せん限りは、殆んど大なる必要を認め
ざる可し」と。

満洲経営に就いて、「從來十中の九分九厘迄が、殆んど滿鐵」によって賄
われていると見做す徳富は、満鉄に対し「今更稱賛の辭を費す丈が野暮
也。蛇足也、贅辯也」といいながらも、「今ま世間の噂一二を紹介す」る
という形を取って敢えて注文を付ける。

「(第一)餘りに消極主義に偏し、社員の人氣全く沮喪せり。(第二)幹
部に中心人物なく、全く無頭動物也。(第三)上に厚く、下に薄し、故に
有爲の社員は逃げ出し、又た新たに來る有爲の人物なし。(第四)毎に政
變の影響を被る故に、不安の念多し」。

ここにいう「政變」は東京の中央政経における政変を指すことは敢えて言
うまでもないだろう。

「以上は僅に其一端のみ」とはいうものの、問題山積は否定し難かった。
《QED》
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