2018年08月31日

◆ばあちゃんが死んだ

馬場 伯明


(最近、年上の人や同世代の人たちの死が目に付くようになった。私も年
をとっているのだ。73歳。72歳で死んだ祖母のことを思い出し、以前書い
た文章を少し修正の上、再掲させていただきます)。

2007/11/23の日本TVの金曜ロードショーで「佐賀のがばいばあちゃん(島
田洋七原作)」があった。佐賀県の田園風景やその頃の登場人物などを見
て、私が生まれたふるさとの長崎県島原半島南串山町の古い母屋や小屋を
思いだした。

今から56年前、昭和27(1952)年の秋の夜、私のばあちゃん(祖母、馬場
カメヲ)が死んだ。72歳。私は8歳。死因は複雑な腸閉塞だったらしい。
大腸が詰まって働かなくなり、寝たきりとなり内容物が逆流し嘔吐と腹痛
を繰り返していた。

祖母は便秘の傾向があり母が浣腸をしてやっていた。夏頃から症状が重く
なりほとんど便が出なくなった。腹が大きく脹れあがり苦しそうだった。
我慢強い祖母は痛みを堪えていた。声にならない声を出していた。

父の小学校の同級生でかかりつけ医師の平野伊都夫先生はそれまで何度も
何度も石鹸水や下剤の薬などを管(くだ)でお尻から入れていた。何とか
して中のものを出そうとしたが、出なかった。

ある日の夜、平野先生が往診に来られた。祖母は寝室の納戸ではなく広い
座 敷に寝かせてあった。祖父、父母と、私たち子供たち(孫)4人、そし
て、同村に住む叔母たち(祖母の娘)が見守っていた。祖母の低いうめき
声が一瞬止まった。

祖母は突然焦げ茶色のどろどろしたものを吐いた。母が慌ててタオルで拭
き取った。平野先生が静かに注射をした。祖母は少し楽になったかのよう
な穏やかな顔になった。でも、目は瞑ったままだった。


父が言った。「のりあき、ばあちゃんの耳元でおめけ!(喚け・叫べ)」
「行かっさんごて(あの世へ行かれないように)『ばあちゃん』って、太
か声でおめけ!」と。私と姉が大きな声でおめく。「ばあちゃん!ばあ
ちゃん!ばあちゃん!」「行かんで!行かんで!行かんで!帰って来
(こ)んね!」。

幼稚園児の頃、私は祖母の寝間の蒲団にもぐりこみいっしょに寝ていた。
祖母は小学校には行かなかったらしいが、寝物語に「掛け算の九九」を私
に教え込んだ。私は小学校1年生のとき先生の前で99=81までをすべて暗
誦し驚かせたそうである(後年、母から聞いた)。

祖母が母に内緒で私に飴玉をくれたこともある。「ばあちゃん!ばあちゃ
ん!ばあちゃん!」。私は耳元で喚(おめ)いた。叔母たちが「おっかん
(おっ母ん)!おっかん!」と呼びかけ、父母も祖母を呼び続けた。

祖父が「カメヲ〜、カメヲ〜」と祖母の耳元で呼んだ。しかし、祖母の目
は閉じたまま動かない。しばらくして、平野先生が頷きながら父に何かを
つぶやいた。父は「お世話になりました」と頭を下げた。

ばあちゃんが死んでしまった。母や叔母たちは大きな声を出して泣いた。
でも、祖父と父は涙を堪えていた。私と姉妹たちは母の傍で、目の前の死
の意味がよくわからないまま、おいおい泣いた。

祖母は同村の隣の地区の農家から祖父に嫁いだ。田畑を耕し作物を収穫
し、蚕を育て機(はた)を織り着物を縫い、三度の飯を作り、父(次男)
をはじめ8人の子供を産み育てた。戦争や病気で5人が自分より先に逝って
しまった。その悲しみに耐えて生きた。それも運命である。苦労と悲しみ
の一生であったかもしれない。

時は過ぎ2000(平成12)年。父は祖母の50回忌法要を行った。一族が自宅
に集まり供養し祖母の生前の思い出を語り合った。「おっかんな(は)機
(はた)織りが上手やったもん」と叔母の一人が言った。「頭ん(が)た
いて(大変)よかった」ともう一人の叔母が言った。

「小学校へ上がる前の私に祖母が『掛け算の九九』を教え込み、99=81ま
で暗唱した私に1年生のS先生がびっくり」という話を母が披露した。56歳
の私はその事実にまったく覚えがなく、少し恥ずかしかった。

今の時代、人の死の瞬間(とき)に立ち会うことはほとんどない。あの
頃、死に際に人は自宅の畳の上でもがき苦しんだが、大勢の家族や親戚の
者たちに見守られながら逝った。生きた欠片(かけら)まですべてを捨て
去り、安らかな顔になり、家族らに思い出を残した。

人の死に立ち会うことは辛く悲しいことである。だが、その死に立ち会う
ことで、人間のはかなさや人生のあわれを感じ、同時に、人の命の大切さ
と人間の尊厳を心と体で実感した。

ばあちゃん(祖母)の死に立ち会ったことは、その後の私に深い影響を及
ぼした。祖母が死んだ5年後の春、昭和32(1957)年に祖父が86歳で死去
した。

54年後の昨年、平成18(2006)年3月、祖母が暮らし死んだ同じ古家で、3
年の自宅介護の末、父は94歳で亡くなった。
(千葉市在住 2007.11.24  2018.8.31再掲)


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