2018年09月19日

◆中国とパキスタン

宮崎 正弘


平成30年(2018年)9月17日(月曜、祝日)通巻第5833号   

 中国とパキスタンの「友誼」関係は変化。緊張状況にある
  王毅外相のパキスタン訪問直後、パキスタン陸軍大将が北京を訪問

このところ、パキスタンへの出入りが激しい。ポンペオ米国務長官は、中
国主導のシルクロード、すなわちCPEC(中国パキスタン経済回廊)に
対して中国が620億ドルもの巨費を注ぎ込んだ結果、西端のグアダル港は
43年間、中国が租借することになった経過を踏まえ、「IMFの救済は難
しい」と述べた。直前にトランプ大統領はパキスタンへの援助を中断した。

ポンペオのイスラマバード訪問の翌日、中国外相の王毅がイスラマバード
を訪問し、イスマン・カーン首相に真意を問いただし、シルクロードプロ
ジェクト継続の意思を確認したという。

カーン政権の誕生の後ろ盾はパキスタン軍である。

その軍の事実上のトップはバジワ陸軍大将である。そのバジワ将軍が9月
16日、北京を訪問したのだ。

カーン新政権を背後で操る立場にある陸軍大将の発言には重みがあり、会
談内容は公にされていないが、マハティール同様に、借金の返済が覚束な
いことは、パキスタン経済の将来に暗雲を呼ぶ。収支バランスの悪化はパ
キスタン通貨の暴落を招く。つまりパキスタンの安全保障に直結する問題
だとする認識を表明したという。

過度の中国傾斜はシャリフ前政権であり、パキスタン国民が中国を快く
思っているわけではない。

そのうえ、パキスタン財界は、商都カラチが中心であり、およそ20の
ファミリーが銀行経営や物流を握っていてパキスタン経済を牛耳るとされる。

カラチ財界は、ハク政権(ソ連の謀略で暗殺された)、ムシャラフ政権
(陸軍のグーでターでシャリフ政権を打倒し、米国と協調関係を結んだ)
という軍事政権を通じて、米国とビジネス関係を深めることで成長した。

このカラチ財界も、カーン政権の後ろ盾になると想定されており、中国は
こうした動きを神経質に捉え直したため、両国は緊張した状況に陥った。


 ▲CPECなんぞより、水資源確保のダム建設を急げ、とカラチ財界

カラチはパキスタン最大の都市であり、アラブ諸国の進出が夥しい。国際
金融都市でもある。

しかしカラチ市政最大の悩みは、じつは水不足である。

1947年の水供給に比較すると、カラチの水源は6分の1に激減しており、
シルクロードなんぞよりダム、浄水場建設が急がれるべきだというのがカ
ラチの意見である。

このため9月16日にカーン首相は日帰りでカラチを訪問し、市長などから
意見を聞いた。「ダムが必要なことは分かっている」としたうえでカーン
首相は「中国は8万4000ケ所のダムをもち、うち5000は大規模なダムであ
る。インドでも5000のダムがある。わがパキススタンにダムが不足してい
ることは明らかだが、予算をダム建設に割けるだけの余裕がない」とした
(パキスタンの英字紙『ドーン』、9月17日)。

    
  
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樋泉克夫のコラム
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【知道中国 1790回】              
――「支那人は不可解の謎題也」・・・徳富(15)
  徳富蘇峰『支那漫遊記』(民友社 大正7年)

         △

「如何に名殘惜しきも、12月6日午前11時」、徳富は青島を離れ黄海を真
東に向い、翌7日には「約3個月振りに、馬關に上陸」、「8日夜、最大
急行車にて發す」。9日朝には神戸を経て、夜8時半東京駅着。その足で
「予が青山草堂に還」り、前後86日間に及んだ旅行が終わる。

以上で『支那漫遊記』前半の「禹域鴻爪?」が終わり、後半の「予が旅
行中の感想を、歸朝後追記したる」ところの「遊支偶?」となる。

『支那漫遊記』の巻頭に配した「陳言一則」によれば、徳富の論説は彼が
主宰する『國民新聞』に掲載され、その都度、「支那新聞の之を譯載した
るもの一、二にして足らず」。そこで支那新聞の側から相当の批判があっ
たようだ。

かくて徳富は「希くは吾人が唯だ事實と信ずる所を、直書したるものとし
て容恕せよ、如何に其言は露骨痛切なるも、吾人の支那及び支那人士に對
する、深甚多大の同情其物が、其の根本思想たることを識認せよ」と断わ
りを入れ、また日本人読者に向っても「我が邦人も亦た、吾人が支那僻に
向て、若干の尋酌を與ふる所あれ」と“予防線”を張り、最後を「蓋し支那
問題を解釋するの管鍵は、單に乾燥なる智識のみならず、又た眞摯なる同
情に俟たざる可らざれば也」と結んだ。

「遊支偶?」は以上の視点に基づき「(一)前遊と今遊」から「(八六)
多大の希望」まで、徳富の関心が赴くままに小項目を立て論じている。そ
こで、小項目に沿って読み進めることにする。]

 ■「(一)前遊と今遊」
 前回は日露戦争直後でもあり、交通の便も含め旅は困難を極めた。だが
今回は日支双方からの便宜供与もあり、先ずは快適な旅であった。

 ■「(二)妄言と妄聽」
 先ず徳富は「支那に關する吾が智識の、年と與に、如何にも一膜を隔
てゝ何となく齒痒さを覚えたるが爲めに、支那其物に接觸せんと欲した」
からと、旅行目的を明らかにした。実際に足を運んだ結果、「眼前に支那
其物を見、電報や、郵信や、新聞や、其他に於きて聞き得たる支那と非常
の差別あるを感得したり」。俗にいう“聞くと見るとでは大違い”というこ
と。だが徳富は「敢て感得と云ふ」が、「推定と云はず、又た觀察と云は
ず」とする。

 ■「(三)社會の變遷」
12年前の前回の旅行は清国時代であり、「滿目辮髪にして、云はゞ辮髪是
れ支那人の特色」だった。だが今回は停車場でも旅館でも、官庁でも市場
でも、「あらゆる群衆の中に於て、殆んど辮髪を見出」すことは出来な
い。女性の社会進出も顕著であり、ここからも「如何に清國が、中華民國
に變化したるか」が判然とするだろう。

 ■「(四)壮年の天下」
12年前は「政府の要路は勿論、苟も世の中に幅の利けたる人物と云へば、
概ね白髪の老人にあらざれば、?袴の公子なりしに、今日は殆んど、新人
物の世の中となり居るの觀あり」。いわば「老人の時代去りて、壮年の時
代來れりと斷言するも、恐らくは速了の見にあらざる可し」。「何れの方
面に向ても、支那は先づ青年の天下と云ふ能はずんば、壮年の天下と云ふ
を妨げず。予は此の一點に於て、支那が著しく進歩しつゝあるを嘉稱せざ
らんとするも能はず」。

■「(五)道路の改善」
 「支那人が道普請に骨を折りつゝあるは、北京のみならず、隨處の通邑
大都に於て、之を目?せずんばあらず」。徳富は、世代交代同様にインフ
ラ整備も進んでいると見た。


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