2018年10月29日

◆安倍訪中、「競合から協調へ」

宮崎 正弘


平成30年(2018年)10月27日(土曜日)弐 通巻第5869号 

 安倍訪中、「競合から協調へ」スタンスを本気で変えたのか?
  米国メディアは慎重に批判。「危機にヘッジした」とNYタイムズ

10月26日、訪中した安倍首相は李克強首相と会談し、「競合から協調へ」
として握手したが、米中対決という歴史的変化の流れに逆らうかのような
日中接近を、米国はいかに総括したか、或る意味、それが問題だろう。

ウォール・ストリートジャーナルは「日本は米国の警戒心を十分に心得て
おり、米国批判を差し控えたが、日中は『自由貿易』が重要として、トラ
ンプの遣り方を引っかけた」と書いた。

同紙はまた日本の代表団に1千人もの財界人が随行したことを問題視して
いる。

NYタイムズはトランプ批判の急先鋒だが、トップ記事は爆弾男の逮捕、
サウジ、イエーメン問題で、首相記事の片隅に日中接近のニュースが配置
されている。

「日本は中国をパートナーだと言って、トランプの移り気な対中政策に
よって孤立化する状況へのヘッジをかけた。つまり(保護貿易で)孤立し
たトランプ音対中政策が、日中を接近させたのだ」とあくまでも批判の対
象はトランプである。

そのうえで、米国メディアが特筆したのは日本のODAが終わりを告げた
こと、シルクロード(一帯一路プロジェクト)への日中の協力が唱われた
ことに焦点をあてつつ、日中通貨スワップに関しては、意外に小さな扱い
である。

しかし一帯一路への日本の協力に関しては、声明文に明確な付帯条件が
あって、「ルールに則り、透明性のあるプロジェクトへの協力」となって
おり、諫言すれば、その両方を欠いている中国の遣り方が続く限り、日本
の協力はないという意味に取れる。
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 切支丹伴天連の暗躍をイエズス会から見ると、日本はどう映っていたか
  意外に客観的に、世界史の視点から布教活動を評価している

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ウィリアム・バンガード著 上智大学中世思想研究会訳
『イエズス会の歴史』(上下。中公文庫)
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イエズス会の視点から書かれたイエズス会の歴史である。つまり内輪の人
間から見た、自分史でもある。しかし、過大評価でもなく、矮小化した歴
史叙述でもなく、淡々とイエズス会の誕生から現在までの波瀾万丈を述べる。
 
とくにイエズス会は神秘的な霊感をえた創始者イグナティウス・デ・ロヨ
ラがパリで唱え、忽ちにして七人の同志が糾合した(1534年)。
上智大学の正門前にあるイエズス会の教会は「イグナチオ教会」。命名は
この創始者から来ている。

その創始者7人のなかに、フランシスコ・ザビエルがいた。ふたりはバス
ク人だった。

1540年に国王の許可を得て、海外布教に乗り出したことはよく知られる
が、いきなり日本に来たのではなかった。その前史は大西洋からブラジ
ル、喜望峰を越えて、インドのゴアにたどり着き、そこからマルッカ(マ
ラッカ)、マカオを経て、薩摩にザビエルが上陸したのだった。こんにち
南アメリカ諸国は殆どがスペイン語圏なのに、ブラジルだけがポルトガル
語という歴史的背景は、この航路から理解できる。

ザビエルは聖人として、ゴアの教会(世界遺産)にミイラが保存されてい
る。そのゴアに帰還する前にマラッカの教会に数ヶ月、遺体は保存された。

評者(宮崎)も両方を見に行ったが、ともに世界遺産の遺構のなかにある。

チェコの首都プラハのカレル橋に飾られた多くの英傑の銅像のなかでも、
観光客がもっとも集まり、写真を撮るのはザビエルだ。それほどザビエル
は、キリスト教徒から崇敬をあつめている。

さて、パリで結成されたイエズス会は、「清貧、貞潔、聖地巡礼」の三つ
の誓願に収斂された。

ザビエルは最初に上陸した薩摩での布教に失敗すると、「仏教の総本山で
ある比叡山と、北に遠く離れた都、現在の京都にいる帝の両者と接触する
ことにした」。(中略)だが都では、「大勢の人の嘲笑と軽蔑に」遭遇
し、ザビエルはすごすごと引き下がった。なぜなら「社会・政治機構につ
いてのひどく間違った情報にもとづいた浅はかなものだった」からだ。
ゴアやマカオで仕入れた日本に関する情報がすべて間違っていたというこ
とである。

そこでザビエルは山口の大内氏に「美しく書かれた信任状と、念入りに取
りそろえた献上品を携えて山口の大名の前に姿を見せることにしたのであ
る。彼とフェルナンデスは平戸まで戻り、ポルトガル人の協力を得て」、
時計、眼鏡、オルゴール、葡萄酒などを贈り物として揃え、威風を見せる
ために立派な衣装をまとうなどの工作をした。

山口での布教は成功し、日本人が「非常に知的で向学心に富み、新しい信
仰への専心に余念のない事に喜びを覚えた。ザビエルは教えながら学んで
もいた。日本の人々が世界で一番博識なのは中国人であると思っており、
芸術、思想、宗教の刺戟と手本を海の向こうのこの大帝国(シナ)に求め
ていることが分かった(中略)中国の改宗が日本の改宗に最も効果のある
鍵だ」

ザビエルは布教方針を日本からシナ重視に変えたのだ。

このような叙述が現在のイエズス会の記録にあるのは一種驚きでもある。
だが、信長の登場によって都での情勢が激変し、信者が加速度的に増えて
いった。有力大名の大友、有馬、そして天草、長崎でイエズス会の信者は
雪だるまのように膨らんだ。いかにデウスが大日、マリアが慈母観音とい
う布教の方法が効果的であったか、キリスト教のドグマは日本的に溶解し
ていたのだ。

その後の布教活動で、ヴァリニャーノが問題である。

 「ヴァリニャーノは日本文化の豊かさについて深い鑑識眼を持ち、カト
リックの教義にとって危険が生じない限り、この文化に自らの生活の仕方
などを会わせるべきであると確信し」ていたが、「3つの要因が成功とは
反対の方向に作用し、ついには1614年、追放の布告が出されるに至った。
その三つの要因とは、イエズス会の准管区長の判断の誤り、フランシスコ
会士との激しい論争、そしてイギリス人の到着で増した商業の利害を巡る
衝突の影響である」(上巻、302p」

コエリョが「軽率」だった、というのがこの著者の総括である。つまり、
これが現在のイエズス会の公式見解に近い意見とみるべきである。コエ
リョが好戦的に反応し「カトリック大名の叛乱を組織しようとし、またゴ
ア、マニラに派兵要請を書き送ったのである。ヴァリニャーノはひどく
噴って反対した」(上、3030p)。

この記述が公式見解であるとすれば、秀吉は誤解して禁教したという解釈
になり、首を傾げたくもなるが、当時の実力差を勘案すればイエズス会本
部は、一応妥当な判断をしていたということだろう。
 もうひとつの切支丹伴天連の見方が明確に分かる。

     
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  樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 
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樋泉克夫のコラム
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【知道中国 1810回】                
 ――「支那人は不可解の謎題也」・・・徳富(35)
徳富蘇峰『支那漫遊記』(民友社 大正7年)


              ▽

「支那人をして、斯くの如く思惟せしむる」ために、「只だ、興亞の一天
張りを主要とする、大旗幟の下に、日支協同の一大新聞を、發行」させる
べきだ。そこで問題になるのが人材と資金だが、いずれ「英、米、獨逸其
他の國人」は必ず新聞創刊に踏み出すはずだ。その時になって「如何に
七?八到するも時機既に晩しと云はざるを得ず」。であればこそ、日本人
は躊躇せずに一日も早く新聞創刊に踏み切れ。

■「(65)道教の天下」

「儒教は、治者階級少數者に?にして、然もそれさへ實際は覺束なく、唯
だ看板に過ぎず。佛?も寧ろ、曾て上流社會の一部に行はれる迄」であ
り、「強ひて國民的宗教」をあげようとするなら「道?に若くはなかる可
し」。「未來の安樂を豫約する佛?よりも、現在の福利を授與する道?が
支那の民性に適恰す」る。

道教と国民性の関係を考えれば、「道?支那人を作らず、支那人道?を
作」るというべきだ。いわば「支那人ありての道?にして、道?ありての
支那人」ではない。「道?其物」こそ「支那國民性の活ける縮圖」なのだ。

■「(66)回教徒」

「若し支那に於て、眞に宗教と云ふ可きものを求めば、恐らくは唯回?あ
らんのみ」。それというのも形式にも虚儀に流れない回教だけが「聊か活
ける信仰と、活ける力を有」しているからだ。

「回教とは、新疆より北滿に及び、寨外より南海に至る迄、殆んど一種の
秘密結社たるの風あり」て、彼らは異郷にあっても「必ず回?徒の家に宿
す」。彼らの「分布の地域は、支那の領土に普」く、「彼等が?徒として
の氣脈相接し、聲息相通じつゝある團結は、蓋し亦た一種の勢力」という
ものだ。

なぜ回教徒が全土に住んでいるのか。それは「支那は、世界のあらゆる物
の會湊所也、即ち溜場」だからだ。宗教をみても「佛?あり、道?あり、
拝火?あり。猶太?も、今尚ほ若干開封府に存し、景?に至りては、唐代
に於ける盛況」が伝えられている。

少数派である彼らは「宗門の戒律を守」ることで、自らを守る。であれ
ばこそ「少なくとも支那に於ける、他の宗?に比して、其の活力の若干を
保持しつゝあるは」否定できない。

■「(67)日本の?史と支那の?史」

「日本の?史は、支那に比すれば、稀薄にして、其の奥行き深からず」。
だから「如何に贔屓目に見るも、支那の?史に於て、太陽中天の時は、日
本の?史に於ては、僅かに東方に曙光を見たるならむ」。だが「唯だ日本
が支那に對してのみならず、世界に向て誇り得可きは、我が萬世一系の皇
室あるのみ」。「此の一事に於ては。空前絶後、世界無比」といっても過
言ではないが、「帝國其物の?史は、質に於ても、量に於ても、到底支那
の敵にあらず」。

――さて蘇峰山人の説かれる歴史の「質」が何を指し、「量」は何を指すのか。

■「(68)一大不思議」

「吾人(徳富)が不思議とするは、支那史の久遠なるにあらずして、其の
久遠なる繼續にあり」。「或る意味に於ては、支那の保全は支那其物の爲
めのみならず、世界に於ける活ける最舊國の標本として、是非必要」だろう。

たしかに「老大國」であり「老朽」ではある。「舊國民として多くの缺點
を有する」。「に拘らず、尚ほ若干の活力を有するを、驚嘆」しないわけ
にはいかない。
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