宮崎 正弘
平成30年(2018年)12月30日(日曜日)弐巻第5934号
こんなリスク、日本企業にマネが出来るだろうか
米軍シリア撤退のあと、中国は150社、20億ドル投資で再建プロジェクト
すでに中国では「シリア再建プロジェクト・フェア」が開催されている。
驚き桃の木山椒の木。
習近平の目玉「シルクロード」の一環である。
フェアにはじつに200社の中国企業が参加し、その投下を予定しているプ
ロジェクト費用は20億ドル。道路改修工事、ハイウェイ工事、もちろん抜
け目なく光ファイバー網設置等々。
米軍はシリア撤退を表明しており、その空白は地域の不安定化をもたらす
ことになるが、さて、こうしたリスクもなんのその、中国は空白市場へ
真っ先に乗り込んでビジネスを展開する構えにある。
中東石油に依存する中国と、中東への興味を希釈させて、「インド太平
洋」へ目を向けた米国の姿勢の違いは明瞭である。
米軍の撤退日程は未定とはいえ、安全保障面からの対応を急いでいるトル
コ、イスラエルの動きを横目に、シルクロードの一環として、中国はシリ
アへの再進出を虎視眈々とねらうわけだ。
内戦勃発前の中国とシリアの貿易は往復で24億ドルだった。
内戦中、中国はシリアと距離を置いたものの、ロシアのアサド梃子入れに
間接的に協力しつつ、裏でのISに武器供与を続けていた。
同時にISに加わったウィグル族の若者達の動向に神経を配らせ、ISと
は裏の連絡網があったと言われる。
リビアでカダフィ政権が転覆したとき、中国は3万6000人の労働者、エン
ジニアを引き揚げたが、なぜそれほどの人数が紛争地域にいたかといえ
ば、リビアで100ものプロジェクトを請け負っていたからだった。
このような冒険的リスクを取ることに躊躇しない中国。日本企業にマネ
が出来るだろうか?
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樋泉克夫のコラム
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【知道中国 1835回】
――「只敗殘と、荒涼と、そして寂寞との空氣に満たされて居る」――諸橋
(8)
諸橋徹次『遊支雜筆』(目?書店 昭和13年)
△
もう少し、新文化運動に対する諸橋の考えを追ってみたい。
諸橋は、これまでみてきた「新文化運動を社會的に實現する方法」とは別
に、「實はもう一つの運動がある」と指摘する。それを「消極的の運動」
とし、「新文化運動の精神に反對するものを破壞すると云ふ運動であ」る。
「其の一は、過去の?――孔子の?に對する所の反對で」、「其の二は、支
那の擬制、就中家族を主とした擬制の破壞であ」る。
先ず「其の一」だが、「支那の?」は断固として「孔子の?」であるとい
う考えに反対するもので、その中心は後に共産党創立者の1人で初代総書
記の陳独秀など。孔子批判は陳独秀が初めていうわけではなく、代表例と
しては明代の李卓吾――吉田松陰を大いに刺激した『焚書』を著す――が挙げ
られるが、彼らは歴史的・文化的には異端者として扱われている。如何に
極端な振る舞いであれ、それは個人の範囲に止まっていた。だが諸橋が
「彼地で遭遇した事は、少なくとも個人的ではない」。団体、それも「或
る一部分の大きな團體の勢力」による動きだった。
たとえば1920年の「10月にありました陝西省の孔?問題」と「11月浙江省
の全國?育會に起こつた讀經の問題であります」。前者は孔子の誕生日に
陝西女子師範学校の新文化運動論者の教頭が、偶像崇拝は無意味で孔子は
時代に合わないから恒例の孔廟参拝を中止した。また陝西省で多くの学校
で教員が反孔子ストライキを敢行し、これに同調した学生を当局が「炮烙
の刑に處したと云ふ」。
後者は全国教育会議における浙江省による「毎週日曜日に學生に經學の本
を讀ませよう」との提案に対し、同省の学生が会場に押しかけて「(伝統
的な学問である)經學は奴隷教育である、復辟?育である、君臣?育であ
る。之を復活するは新文化運動の精神に反する」と気勢を挙げたというのだ。
こういった「從來の歴史も何も無視して、只五四以來風氣が一變したと信
ずる新文化の諸君の態度は」程なく「取消」ということになった。新文化
運動に対し諸橋は、「兎に角、如何に新文化と云ふものと過去の??と云
ふものが衝突して居るかと云ふ一面が是で分かるかと思ひます」と。
「新文化の消極運動の他の一つは、新文化運動の中核」であり、それは
「過去の擬制、家族を中心として居る擬制に對する猛烈な反對」である。
「支那は御承知の通りに世界一の家族國」であり、美点もあれば「又幾多
の缺點も確かにあ」る。「家族問題の中心と申せば必然的に婦人の問題が
關係」し、婦人解放・男女同権に突き当たり、勢い現実離れした議論・運
動が展開されてしまう。その中には「不眞面目な部分もありますが」、
「家族を中心とした擬制に對する反對、即ち家族の問題」に対しては「兎
に角眞劍」ではある。
かくして諸橋は新文化運動を、「新文化運動の中核の問題は個人の解放、
人權の擁護、人格の尊重――一言で申せば個人の解放を絶叫するのであ
り」、そのことが「英米の文化が新文化運動に歡迎せられる最大の原因で
あります」と総括する。
遠い昔を振り返るまでもなく、辛亥革命から続く社会の混乱を見れば
「??、政治、一として固定する所がない中に、獨り完全に固定して昔か
ら今に大した變化のないのは家族を中心とした擬制、隨つて其の擬制によ
つて維持さられてゐる家族制度の強さ」である。
ところが「新文化運動の鋭鋒は当にこの一番健全である一番固定的である
家族制に向つて突貫して居る」。
その結果は「自分の矛を以て自分の盾を破る」、つまりは「支那社會を崩
壞して了」う危険性を孕んでいる――これが新文化運動に対する諸橋の見解
だった。
2019年01月01日
◆日本企業にマネが出来るか
at 14:09
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| 宮崎 正弘
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