2019年01月10日

◆日本という太陽が世界を照らす

加瀬英明


6年前に、セルビア共和国のアダモヴィッチ・ボヤナ大使によって、大使
館に昼食に招かれた。

私は挨拶を終えると、すぐに第一次世界大戦後のパリ講和会議において、
日本全権団が戦後世界を管理する国際機構となる国際連盟憲章に、「人種
平等条項」をうたうように提案したのに対して、セルビアが賛成票を投じ
てくれたことに、御礼を述べた。

すると、女性の大使が驚いて、「着任してから、このことについて御礼を
いわれたのは、はじめてです」といって、喜んでくれた。

11月に、パプア・ニューギニアでAPEC(アジア太平洋経済協力機構)
サミットが開催され、安倍首相も参加した。

3年前に、私は都内の夕食会で、パプア・ニューギニアのガブリエル・
J・K・ドゥサバ大使と同席した。すると、大使が「私の父親は先の大戦
中、日本軍の連隊を助けて、密林のなかを、オーストラリア軍と戦いまし
た。日本のおかげで、独立を達成することができました」といって、連隊
長の名と連隊番号をあげて、感謝した。

ニューギニア島は東半分がオーストラリア、西半分がオランダによって、
領有されていた。

パリ会議は、ヴェルサイユ会議としても知られるが、1919年2月に日本全
権団が「人種平等条項」を提案したところ、11票対5票で採択されそう
になったが、議長をつとめていたウィルソン・アメリカ大統領が、「この
ような重要な案件については、全会一致でなければならない」といって、
日本案を葬った。

小国が賛成票を投じたのに対して、アメリカはフィリピンを領有し、国内
で黒人を差別していたが、英仏などの植民地帝国が反対した。

今年は、日本全権団が「人種平等条項」を提案してから、100周年に当たる。

日本は先の大戦で、大きな犠牲を払って戦って敗れたが、西洋が数百年に
わたり支配していたアジア諸民族を解放し、その高波がアフリカ大陸も
洗って、次々と独立していった。

その結果、日本の力によって、長い人類の歴史における最大の革命となっ
た、人種平等の理想の世界が、はじめて招来された。

不平等条約改正と、人種平等の世界を創ることが、幕末からの日本国民の
大きな夢だった。

日本という太陽が昇って、世界を隅々まで照らした。

 私事になるが、オノヨーコが私の従兄姉に当たるので、ジョン・レノン
とも親しかった。今年がジョンとヨーコが結婚してから、50周年に当たる
ために、内外でさまざまなイベントが催される。

ジョンは『イマジン』の曲で有名だが、日本が先の戦争によって、戦争前
に誰も想像(イマジン)すらできなかった、人種平等の世界を創ったことを
高く評価して、ヨーコと2人で靖国神社に参拝している。


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