2019年02月04日

◆スリランカ、またまた中国に10億ドルの

宮崎 正弘


平成31年(2019年)2月3日(日曜日)通巻第5978号  (節分)   

 スリランカ、またまた中国に10億ドルの融資を要請
  コロンボからキャンディへの高速道路建設を再開させる

 スリランカの対外債務は531億ドル(2018年9月末時点)。2019年に償
還期限のくる負債は49億ドル。さらに2020年までにあと150億ドル。
ま、パキスタンと同様にIMF管理は時間の問題だと騒がれている。

99年の租借を飲まされ、ハンバントタ港を中国に明け渡す無惨な結果を招
いたのはラジャパクサ前大統領の、強気の読みと中国との親密なコネク
ションからだったが、結局は返済できず「借金の罠」に落ちた。番狂わせ
で彼は落選し、無名のシリナセがスリランカ大統領となった。

コロンポからスリランカの名勝地キャンディに至るハイウエイは途中悪
路、崖や河沿いを縫うように、車で四時間近くかかる。鉄道もあるが、一
日二本程度、しかも外国人観光客でほぼ満員だ。この区間に、ハイウエイ
を通すのはスリランカの政治家なら誰もが魅力と思うだろうし、票に繋が
るプロジェクトと考えられた。ところが、資金不足に陥り、現場労働者の
日当がはらえず、あちこちで工事が中断した状況になっていた。
 
そかし、そのプロジェクトの再開はなしより、喫緊の課題は償還期限のき
た負債処理で、債務不履行に陥りそうな条項はパキスタンと同じ。ここで
救世主として登場するのがインドという役割も同じである。

インドはモルディブへ14億ドルの信用供与に踏み切った後、こんどはス
リランカへも同額の信用供与を、通貨スワップを通して行い、工事が中断
している高速道路工事に廻す手筈を整えた。
なにしろインドは中国の浸透を快しとはしていないので、無理してでもス
リランカを救済し続けるのだ。
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 BOOKREVIEW 書評BOOKREVIEW
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 「最後の皇帝」=溥儀の虚実、異常な性格破綻を抉り出した労作
   なぜ、このような最低レベルの皇帝に歴史は振り回されたのか

   ♪
加藤康男『ラストエンペラーの私生活』(幻冬舎新書)
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本書は平成26年に刊行された『禁城の虜』を大幅に加筆、修正した新書版
である。発売と同時にベストセラー入りしている。

最後の皇帝となった溥儀の性格異常的な愛欲、それも偏執的な性欲、そし
て迎えた悲惨な結末。映画『ラストエンペラー』はかなりの綺麗事をフィ
ルムにしたが、真実とはかけ離れている。

家庭教師だった英国人が書いた『紫禁城の黄昏』も、大事な部分を、岩波
の翻訳書は割愛していた。

溥儀は異様な性欲のなぜ持つように至ったのか。

溥儀は2歳と6ヶ月で皇帝の座について、幼年期から女官に性行為を教え
込まれ、10代で宦官との同性愛、そして宮廷内で宦官達を虐待する悪質な
性癖を身につけた。

しかも16歳で本妻と妾を同時に娶り、後に正妻の産んだ子を「不義密通の
疑いがある」として「捨てよ」と命じ、正妻を幽閉した。

あれほど日本に依存し、紫禁城を追われてからは天津の日本租界に逃げ延
び、28歳で満州国皇帝となった。ところが、終戦後はソ連に抑留された。
 このあたりの顛末が明瞭に語られたことは少なかった。加藤氏は克明に
追跡調査をおこない、通化事件の舞台ともなった場所から、溥儀は日本軍
の用意した飛行機で奉天へ逃げ、そこから日本へ逃亡する予定だった。と
ころが、偶然進駐してきたソ連軍に発見され拘束されてしまったのだ。

ソ連を転々としていたのも束の間、東京裁判では、のこのことソ連側証人
として市ヶ谷の軍事裁判法廷に出てきた。でたらめな証言をスターリンの
命じるままに行い、さらにそのあとは中国に送還されて撫順刑務所で洗脳
された。

評者(宮崎)は嘗て通化の現場や、遼寧省の炭鉱町に残る撫順刑務所跡で
は溥儀の拘束されていた部屋を見学したことがある。

したがってこのあたりの記述と撫順刑務所の情景とが重なった。

やがて釈放されると、溥儀はこんどは毛沢東の飼い犬の如くに、中国共産
党の宣伝材料に酷使された。

「数奇の運命」といえば、なにやら悲劇の主人公のようだが、自立性を完
全に欠如させた異常人格というより性格破綻者。そのうえ比類なき権力
欲、物欲、我欲、性欲、名誉欲、自己保身の権化。結局、日本はこの程度
の人物に振り回されるしかなかったのか。

本書は溥儀の虚実を語り、異常な性格破綻者を抉り出した労作であり、読
後感といえば、  なぜ、このような最低レベルの皇帝に歴史は振り回さ
れたのかという歴史のアイロニー、というより歴史の悲しみであった。
      
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  樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 
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樋泉克夫のコラム
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【知道中国 1852回】         
――「支那はそれ自身芝居國である」――河東(10)
河東碧梧桐『支那に遊びて』(大阪屋號書店 大正8年)

          ▽

河東は長江を望む甘露寺の眺望に満足すると共に、「音もしなければ、動
くとも見えない、海のうねりも池の漣も立たない、このノッペラボーな
(長江の)水が、人間の力も機械の働きも、容易くはなし得ない、沈黙の
活動をしてゐることが、そこに測るべからざる力強さの包蔵されているこ
と」に驚嘆し、納得する。

甘露寺では、「この附近の豪家の某氏が、この長江での水死人の爲めに、
近く大きな施餓鬼をする其の準備に忙殺されてゐ」た。「長江の水死人を
考へることが、私に堪らなく詩的な情趣を誘」ったという。かくして「そ
こに慈悲を及ぼす隠れたる善人のあることが、ソシアルデモクラシー化し
てゐる支那の現状を裏切る重大なものに思ひ做さるゝのであつた。よし、
さういふ施主は、恐らく佛?的な迷信から出發してゐるとしても」である。

どうやら河東は「ソシアルデモクラシー化してゐる支那の現状」を余り好
ましいものとは見做していないようだ。

南京の脂粉の街を散策する。

聞こえてくるのは「遊冶郎の遊冶氣分を唆る」歌声だった。「そこに伴奏
する月琴胡弓の低音といふ者を持たない最高音階の樂器が鼓膜を通して肉
の活躍を煽つて來る」から、「氣を靜め思ひを沈ましめる餘裕などありや
うはない」。

そこで支那の音楽に思いを馳せた。

「音樂が其時の情緒を動かす力を持つてゐるといふことが眞實であるなら
ば、支那の樂器と聲樂とは、たゞ肉を煽動し肉に喝かしめる程度の材料に
過ぎなくなる、たゞ肉の伴奏を勤める役目である」ところの「支那の音樂
の今日に到つた徑路は、餘處事でなく、支那の無自覺から自覺運動に至る
道程を暗示する者ではないだろうか」と。

「支那の音樂が刺戟性の頂點に停滯してゐる、それでなければ音樂として
の價値を持たないといふことに、この私達の味つた寂しさが原因づけてゐ
るのではないだらうか。

帝王になれば國家の安泰、大官になれば位置の安泰、庶民になれば財産の
安泰、それらを通じて生命の安泰の絶對に保證されない國柄、そこに四千
年の長い?史を持つた思想、それが因となり果となつて訓致された國民
性、それに反抗することも、それから逃避することも不可抗力で壓しつけ
られてゐる人生の桎梏、それを手短かくつゞめて見れば、不完全な飛行機
の搭乘者のやうな心理、そこから湧くドン底の寂寞味が、自然に音樂をも
肉的に誘致せしめるのではないだろうか」。

とどのつまりは「刹那に生きようとする所以」ということだろう。

 この河東の考えを敷衍するなら、あのけたたましい音楽は「刹那に生き
る」ことを運命づけられた中国人の人生にくっついて離れない「ドン底の
寂寞味」がもたらすもの。いわば人生の寂寥感を噛み締め自らの内側に閉
じ込め昇華させるのではなく、ひたすら外に向かって発散させるためのも
の。であればこそ「最高音階の樂器が鼓膜を通して肉の活躍を煽つて來
る」ことになるわけだ。

「刹那に生きんとする心持は、帝王の尊貴を以てしても、どうすることも
出來ない自然の運命であつた」がゆえに、「?代の帝王が、其の先人の墓
陵を華麗にするといふことも」、「それによつて我が滿足を買はんとす
る」からだ。その背景には「其の一時の榮譽を誇示せんとする自我の發揮
が基調になつてゐることを閑却することは出來ない」。

「百千の人を使役し、巨萬の金を散ずる豪快味」は、それが先人の壮大華
麗な墓陵建設に投ぜられたにせよ、「美酒佳肴に費やされる」にせよ、
「刺戟性の頂點に停滯してゐる」音楽と同じように、共に「刹那の慾求を
充たす心理」がもたらすことになるようだ。
      
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