2019年02月28日

◆アフガニスタン和平交渉、大詰めか

宮崎 正弘


平成31年(2019年)2月26日(火曜日)弐 通巻第6004号    

 アフガニスタン和平交渉、大詰めか
米国とタリバンがカタールで直接対話

世界史にはよくある話。

アルカィーダはCIAが育てた。首魁のオサマ・ビン・ラディンンは米国
を裏切り、NY同時テロをやってのけ、怒り心頭の米国は、特殊部隊を送
り込んでパキスタンに潜伏中だったオサマを殺害した。

NYテロから10」年の歳月が過ぎ去っていた。襲撃は海軍特殊部隊のシー
ルズの仕業と思われていたが、のちにシールズから独立した海軍特殊戦闘
開発グループ(DEVGRU)の訓練の結果を分かった。
 
米軍の報復はドイツなど多国籍軍を形成し、兵站の空輸ではロシアすら上
空通過を認めた。

パキスタンに4つの空軍基地を借り受け、パキスタンの核開発にも目を瞑
り、北のキルギスのマナスにも海兵隊の兵站基地を置き、大軍を投入した
米国のアフガニスタン戦争が始まった。

17」年の歳月が流れ、米国の傀儡といわれるカブール政権は、汚職が凄ま
じく、しかもタリバンとの戦闘には弱い。米軍は引き揚げたい。だが、い
ま撤収すればタリバンの天下になる。

しかしトランプ政権は異なった。明確にアフガニスタンからの撤退を公約
し、ペンタゴンと対立しながらも、孤立主義の色彩を日一日を濃くしてい
る。シリアから撤退すると言えば、クルド族は「裏切り」と非難したよう
に、カブール政権は「タリバンと交渉するなど、米国は我々を裏切るの
か」ということになる。

だが、米国はいつもそうやって間違いばかりしてきた国である。

米国はタリバンと直接交渉を水面下で進行させてきた。2月25日にカター
ルの首都ドーハで、米特別代表のカリザドと、タリバンを代表してム
ラー・バラダルが会談し、交渉は大詰めを迎えた観がある。

米国の撤退条件は「ふたたびアフガンをテロの出撃基地にしない」。タリ
バンは、そうした条件は戦術的選択として受け入れやすく、和平成立し、
米軍の撤退後は、ベトナムがそうであったように『内戦』が始まるだろ
う。そしてアフガニスタンは「タリバニスタン」になるだろう。

一方、米国とタリバンの動きを警戒するカブールは、カルザイ元大統領
が、ロシアとのチャンネルを拓き、モスクワを仲介させる別の交渉ルート
を模索しているという(パキスタンの有力紙『ザ・ドーン』、2月26日)。 
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  樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 
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樋泉克夫のコラム
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【知道中国 1864回】            
 ――「劣等な民族が自滅して行くのは是非もないこつたよ」東京高商(4)
東京高等商業學校東亞倶樂部『中華三千哩』(大阪屋號書店 大正9年)

                ▽

若者の率直な思いは続く。
 
「政治家や實業家は恕す可しと雖も、考のあると云はれる學者までが浮れ
て日支親善なぞと眞面目くさつてるのは言語同斷だ」。

「上海も愈々お別れである。上海よ、東を慕ふて來た西人共が夢幻の衣を
脱いて金儲けを始めたやうな上海、コスモポリタンな、よい事にまれ、わ
るい事にまれ何ものをも備へざるなき上海、自分ばお前が好きだ」。

だが、その上海も排日に揺れている。そこで「上海ではそこは排日で危險
だとの注意で行く事が出來なかつた」のである。
「西人共が夢幻の衣を脱いて金儲けを始めたやうな上海」の租界に8カ
国の領事が滞在し、日本人は2万7千人ほどが住んでいた。英米人主体の欧
米人は、ほぼ同数。租界は参事会員による自治制度で運営されているが、
参事会員を選ぶためには一定以上の資産を持たなければならない。「斯う
なると日本人は數こそ多いが資格者は僅少九名の會員中英六名、日は僅に
一名を保有するのみ」。そこで租界における日本人の権利・安全などは甚
だ心許ない。

「さら排日暴動だ? と云つても支那の軍隊や警察力は實際あてにならな
い。自衞の外はない。かうして義勇兵などの御厄介になるのは日本が一番
多い癖に志願者は一人もいないさうな。仕方がないから各會商社で順次交
代に出てゆくのだと云ふ。こんな風だから排日も叫ばれるんだと思つた」。

若者の言う「こんな風」を、その後の日本人は克服しえたのだろうか。い
や、それは過去のことではなく、おそらく現在にも通じるように思うのだが。

上海の街を走る電車には頭等(1等)と3等しかなく、「2等がないのが
一寸變だ、要するに一般支那人はあまりに不潔であるところから、支那人
の乘る車と他人の乘るところを區別したんだらう」。

「實際あまりいひ度くないが、支那人は不潔で衞生思想がないからそんな
侮辱的な設備をされても仕方がない」。「蓋し多數の支那乘客は無學だか
らこんなことでもさねばわからんのだらう」。

上海には「立派な公園がいくつあつても、しかも支那國土の中の上海にあ
つて『支那人入るべからず』といふ立札を見ねばならんのは又どうした事
だらう」。「支那人入るべからずの立札は明に差別」だが、「實際支那に
遊んだものは當然だと感ずるだらう、もしこれを許せば、道?も公共心も
衞生思想も低級な支那人の晝寝や賭博の場所に變じてしまうのは明らかな
事だ」。

ここで若者は一歩進めて、「けれども僕は今不文化の彼等を諸子に紹介せ
んとする意志は毫もない。歐米人が、日本人と支那人とどれだけの徑庭に
あり、どれだけの懸絶ありと見てゐるかを、日本人として諸子とともに三
省したいのである」と、自省気味に考える。

若者らが上海に遊んだのは大正8(1919)年の夏。この年の1月にパリで
第一次世界大戦の講和会議が開催され、6月28日にヴェルサイユ講和条約
が調印されている。講和会議において日本代表が世界で初めて人種差別撤
廃を主張したが、あえなく否決された。

ちなみに講和会議の内容に不満を抱く中国の若者たちは、この年の5月4
日、北京で大規模な反日運動(五・四運動)を起こした。
百年前である。今年が五・四運動百周年・・・。

かくて若者は「日本の提出にかかる人種差別撤廢案が通らなんだとて、
(講和会議出席の)委員を責めたり、認めてくれぬとて他を恨んだりする
前に、靜かに胸に問ふべき事が澤山ありはせぬか」と。
確かに「靜かに胸に問ふべき事が澤山あ」る。昔も今も。《QED》

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