2019年03月05日

◆陸山は何処から来たか

渡部 亮次郎


小澤一郎さんの政治資金団体の名前が「陸山会」だという。「多分」これ
小澤一郎の「雅号」だろう。雅号を「越山」といったのは師匠田中角栄。
田中の親分佐藤栄作は「周山」と号した。派閥名が周山会だった。

「素准」は吉田茂の雅号。シゲル・ヨシダの頭文字SYを漢字で書いたとい
うわけ。明治の人、吉田ワンマンらしい洒落だ。

吉田茂とは比ぶべくも無い小澤一郎氏が、雅号を名乗ったのは角栄氏の越
山に倣ったものだろうが、選挙区岩手県の三陸(陸前、陸中、陸奥)の
山々を陸山と統一呼称し自らの雅号としたのだという説がある。

雅号(がごう)は、文人・画家・書家などが、本名以外につける風雅な名
のことである。わが国の場合、政治家は花押と雅号を持って初めて一人前
とされる。特に花押は閣議での署名に使用するものだから、花押を持って
いる事は入閣済みを意味するから大事だ。

雅号の風習は中国から伝わった。特に、俳人であれば俳号、吟詠家であれ
ば吟号などともいう。

江戸時代までは、個人の名前は姓と諱(いみな)、名字と通称、さらには
字など、複数の名前を一人が持つことが認められてきた。しかし、明治時
代になると氏名が戸籍に記録され、それ以外の名前を持つことは禁じられた。

これに反発する形で、「雅号」が当時の知識人にもてはやされる。明治初
期の文人に夏目漱石や森鴎外のような雅号を使用している者が多いのはそ
のためである。

雅号は知識人以外にももてはやされ、軍人や商人などおよそ文化とは関係
ない者まで使用する流行となった。

これが逆に知識人の反発を招き、堺利彦のように「『枯川』といふ号は使
用しません」と雅号の使用をやめるものが増え、大正期には雅号の流行は
終わり、一部の使用にとどまっている。

字よりも雅号でもっぱら知られる人物

素行:山鹿素行で知られる 山鹿義矩。
白石:新井白石で知られる 新井勘解由君美。
松陰:吉田松陰で知られる 吉田寅次郎矩方。
海舟:勝海舟で知られる 勝安房守義邦 / 勝安芳。
漱石:夏目漱石で知られる 夏目金之助。
鴎外:森鴎外で知られる 森林太郎。
哲山:田村哲山で知られる 田村哲夫。

雅号で呼ばれることもある人物

南洲:西郷隆盛 (南洲神社で有名)
甲東:大久保利通
松菊:木戸孝允
東行:高杉晋作
世外:井上馨
木堂:犬養毅
顎堂:尾崎行雄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
2010・2・5

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