南京大虐殺の情報が、中国から伝わって来る。『南京大虐殺は30万人』だったというのが中国の歴史感で、これに基づいて慰霊祭も行われた。
このことが本当に真実なのかという思いが、日本では広がっていることは否めない。
そんな空気が広がりを見せる中で、『南京30万人大虐殺はなかったという厳然たる事実を未来に伝えたい』という映画を作製した脚本・監督の水島総氏の講演と、制作映画の試写会のことを思い出した。
監督の水島総氏が来阪し講演・試写会をしたのは、2008年2月とかなり以前の事になる。当時の大阪八尾市文化会館プリズムホールに1400人収容の会場がほぼ満席の中で、同監督の映画制作意図の講演と、制作の「南京の真実」第一部『七人の死刑囚』の試写会が行われた。
先ず水島監督の講演からはじまった。
<「東京裁判(極東国際軍事裁判)の原点は、でっち上げ「南京大虐殺」の告発から始まったものだ。いい加減な証拠と証人で、7人が死刑に処せられた。
だから歴史のウソを正し、南京大虐殺の真実を後世に伝えるために、史実と1aも違わないリアルシーンを再現し、撮影した」とのべた。
そして「この映画によって、『南京30万人大虐殺』はなかったという厳然たる事実を、未来のこども達に伝えなければならない」と、映画製作意図を強調した。>
「試写会」が始まった。
<映画ストリーは、巣鴨プリズンに収監されていた「東京裁判」の戦争指導者「7人(A級戦犯6名とBC級戦犯1名)の死刑囚」に死刑執行が告知された瞬間から、執行までの24時間をドキュメンタリータッチで描いたものだった。
ドラマは、執行時刻が刻々と切迫する中、一組の寝具と一脚の座り机しかない3畳ほどの独房で居ずまいを正す7人の実像を、際立った表情のクローズや強烈なノイズを折り混ぜながら、新事実セットの中で展開した。
映画の主人公は、死刑判決を受け処刑された松井 石根中支那方面軍司令官兼上海派遣軍司令官、陸軍大将(浜畑賢吉役)。
このでっちあげの「南京大虐殺事件」の告発で、「東京裁判」での死刑判決が出されたと見方にもとづき、主役松井大将の証言を主軸に、「東京裁判」そのものの不当性を暗示する手法で進めていった。
ところで、映画の中で目を見張ったのは、南京陥落の翌日の昭和12年12月14日、「東宝映画撮影隊」が南京現場に踏み入り、その翌15日から正月にかけて南京状況を、実際に撮影した「記録シーン」が映画の中に組み込まれていたことだった。
恐らく、多くの日本人が未だ見たことが少ない「貴重な記録フイルム」だろう。
この中で、まず南京城内で「兵を民に分離」する登録風景が映し出されている。
仮に30万人の大虐殺があったのなら、憎しみのある日本軍に、中国人民間人がにこやかな表情で長蛇の列を作り、穏やかに「登録署名」に応じる筈はあるまい。
第一、日本兵が強姦・殺戮を平気でやる奴らだと思っていたら、憎しみと恐怖心から中国人が進んで集うことも、まず考え難い。
現場と名指される南京では、子供たちが爆竹に笑顔で興じているシーンも記録されていた。もしその風景撮影のために、強制、もしくは偽装演技させたてものだったら、あんなに愉快に飛び跳ねる楽しい仕種をさせることは、親も許さないだろう。
極めつけは、正月前の「餅つき」や「門松飾り」の行事だ。正月とは、日本における厳粛な行事だからだ。この正月の東宝映画撮影隊の記録映画も、まさに「大虐殺」があったといわれる同時期のものだが、そんな雰囲気は南京では微塵も感じさせない。
虐殺があった後、累々と横たわる死骸の近くで、日本軍が平気で正月準備ができるはずもない。
水島総監督は、なぜ「南京大虐殺」が捏造されたかについて、下記の様に主張した。
i)中国共産党政権が繰り返してきた自国民に対する「大虐殺」を隠蔽するため。
i)一党独裁体制の内部矛盾への人民の怒りを日本に転嫁するため。
i)日本に対して常に精神的優位に立つための決定的「歴史カード」設定するため。
上記3理由をあげたのだ。(映画「南京の真実」製作委員会・広報誌)
同監督が、「南京大虐殺」は、絶対に存在しなかったとの明言を思い出す。
このことを世界に知らしめ、日本と日本人の名誉と誇りを守るため、これから第二部「検証編」、第三部「米国編(英語版)」を製作したいとしていると主張された。>
確かに、この映画第一部「7人の死刑囚」試写会を見て、検証された歴史事実に感動し、「南京大虐殺捏造」に怒りを覚えたことを今でも思い出す。
それだけに水島監督が日本の誇りの保持のために挑むこれからの第二部「検証編」の製作に期待しているのだが、残念にも筆者はその第二部を見ていない。
いずれにせよ、当時南京現場で撮影された記録フイルムを組み入れて「南京大虐殺捏造」を制作された同映画には心を動かされた。
中国の「南京大虐殺」歴史感には納得出来ない。要はねつ造で、在り得なかったからだと、この実録映画をみてから、今でもそう思う。
(了)