2019年03月22日

◆芭蕉終焉の地って?

毛馬 一三


松尾芭蕉の「終焉(しゅうえん)の地」が、大阪だということを知っている人は少ないのではないか。「旅に病で夢は枯野をかけ廻る」と詠んだ旅の俳聖松尾芭蕉だから、旅の果ての東北か北陸の辺りでの病死ではないか思うのが普通だろう。

ところが、芭蕉の終焉の地は大阪・南御堂向かいの花屋仁左衛門の離れ座敷だったのだ。大阪人ですら、知らない人が多い。芭蕉が亡くなった花屋仁右衛門宅は今喫茶店になっているので、その屋敷跡から当時を髣髴させるものは何もない。じつはその事実を告げる記念碑は、大阪のメインストリート・御堂筋南御堂前の、緑地帯の中に「終焉(しゅうえん)ノ地」と銘を打った石碑が、ポツンと建っているだけだ。

たまたま、筆者が地下鉄御堂筋線・地下鉄中央線「本町」下車して南へ向かう用事があったため、“偶然”にも発見出来たもので、それまでは不明にも目に止まったことはなかった。その「碑の銘」が南に向いて建っているため、北から南に通じる一方通行の御堂筋を車で通過する人目には、「芭蕉終焉の地」という文字を読み取ることは物理的に不可能だ。ましてや道路の緩衝地帯の中だから、通路を通る人の関心を呼ぶことはまずない。その意味で、“発見”出来たのは偶然の目配りに感謝したいラッキーなことだった。
 
<元禄7年(1694)9月、芭蕉は故郷伊賀上野から奈良をすぎ暗峠を越え、2度目の来坂をした。長崎へ向かう旅の途中に大阪に立ち寄った。住吉大社を詣でたり、句会に参加するなどしていたが、当時大阪には俳壇をにぎわしていた2人の門人の仲に円満を欠くところがあり、それを取り持つための来坂が主目的であったとされている。
 
出発時から体の不調を訴えていたが、大阪・住吉神社に詣でた後、発熱下痢を伴い花屋仁右衛門方離れ座敷で病臥、10月12日夕方息を引き取る。51歳だった。

最後の句として知られる「旅に病で夢は枯野をかけ廻る」は、その4日前に病床で詠まれたものだ>



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