2019年04月25日

◆パキスタンで未曾有の「軍人」テロ

宮崎 正弘


平成31年(2019)4月19日(金曜日)弐 通巻第6050号 

パキスタンで未曾有の「軍人」テロ、海軍と沿岸警備隊員を狙い
 落下傘部隊の制服は偽装か。14名を殺害。軍内の抗争、それとも?

パキスタンのパロチスタン地方。この地ではパキスタンからの独立を主張
し、これまでも頻発したテロはグアダール港開発の中国人を標的としてきた。

州都クエッタでは誘拐殺人。中国人のいる工事現場へのテロ攻撃など、こ
のため中国主導のCPEC(中国パキスタン経済回廊)プロジェクトは遅
延箇所がいくつか出ている。

4月12日にはクエッタの野菜市場で爆弾テロが発生し、20人が爆死、ほか
に50人が重軽傷を負った。同地区はハザラ人が多い地区として知られる。

4月18日午前0時過ぎ、カラチからグアダールへ向かうバスが、オルマラ
地区へさしかかったところ、落下傘部隊の制服を着込んだ男たち15人ない
し20人があらわれ、6台のバスに停止を命じた。

乗客のパスポート、IDカードのチェックがあって乗客は選別され、14人
が殺害された。東社の殆どは頭部を撃たれた。2人が負傷しながらも逃げ
出しが、国境警備隊員も銃撃戦で死亡した。

パキスタンの有力紙『ドーン』紙や『アルジャジーラ』英語版によれば、
落下傘部隊の制服を偽装したテロリストは、乗客のなかから、パキスタン
海軍兵士ならびに沿岸警備隊を選別していたという。

現場はカラチからグアダール港へいたる653キロの国道で、アラビア湾に
面した沿岸の幹線道路である。

標的が中国人から軍人に変化した。その理由は何か?

パキスタンの軍のなかで抗争が起きているのか、それともバロチスタン警
備と独立運動活動かの間に恨みが深まっていたのか? 

バロチスタンは英国がかつてにパキスタンに編入した経緯があり、住民は
独立を叫んでおり、英国に亡命している国王が居る。治安は悪く、タリバ
ンの秘密基地は、国際的テロリスト集団の根拠地にもなっていると言わ
れ、中国のプロジェクト現場はパキスタン軍が警備をしている。

インド、パキスタンのメディアはトップニュースにしているが、日本のメ
ディアはまだ一行も報道もない。

     
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書評 しょひょう BOOKREVIEW 書評 BOOKREVIE 
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1万年にわたる縄文時代、草創期から前期、中期、後期にかけての変化
土偶のデザインの変化が意味する創造力の深さ、工芸の巧緻さ

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江坂輝彌『日本の土偶』(講談社学術文庫)
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30年前の名書が学術文庫に入った。本書は縄文土偶を、じつに300点を超
える図版を用いて、1万年以上前の日本人の生活や祈り、食事、その文化
を考察している。学者だけに推理も想像もなく、淡々と客観的事実だけを
列記し、それとなく推理小説のような解釈をした梅原猛らを言外に批判し
ている。

夥しい縄文遺跡の発見と、出土した土偶、こうした縄文土偶は草創期から
製作されていたことが近年の縄文考古学でひろく認定され、しかも縄文土
偶は世界的な考古学者、美術史家の関心を集めている。

「土偶を作ったのは私たち同様近代的な人間だった」。そして「縄文人が
抽象的思考や表現、そして言語能力を私たちと共有し、また私たちと同じ
ように精巧な職人技や奇抜さを評価していた」(セインズベリーの序文)

評者(宮崎)は中学時代の歴史教科書で、静岡の登呂遺跡が日本で最古の
遺跡と教わった。

それが固定観念のように脳裏にこびりついて離れず、高校時代に無銭旅行
であちこち旅をしたときにわざわざ登呂へ見学に行った。近くの小・中学
は遠足のコース、遠くからも観光バスを仕立てて、もの凄い人出があっ
た。連日、登呂遺跡は超満員で周囲にはお土産や、レストラン、駐車場が
足りないと悲鳴を挙げていた。

過日、新幹線を静岡で降りて、登呂遺跡を再訪してみた。

じつに半世紀以上前に来てから歳月は流れてしまった。驚いたのはレスト
ランも土産店も閉鎖され、そもそも見学者がほとんど居ない。駐車場はが
ら空き、寂れ果てているではないか。

地元のタクシーの運転手が言う。

「あれから縄文遺跡があちこちに発見されて、登呂遺跡は弥生式時代でも
あって、『新しい』遺跡。いまじゃ、駐車場はいつもあいている」

本書は、縄文遺跡を全国に訪ねた専門家が、出土した土偶を中心に、装身
具や祭器などを分析し、その用途に思いを馳せながら、考察を深める。

一覧できる羅列形式なので、ロマンを期待する向きには、文章に綾もな
く、ひたすら淡々と事実が並び、土偶やアクセサリーの出土場所、発見日
時、発見者、出土したときに状態と形状、寸法などを克明に紹介している。

1万年にわたった縄文時代は草創期から前期、中期、後期に別れるが、そ
の期間の移行に伴っての変化が土偶のデザインにあらわれた。その変化が
意味することは縄文人の創造力の深さ、工芸の巧緻さである。

さて評者にとって本書を読んでの大発見は、次の箇所だ。評者は歴史学者
でも考古学者でもないから、素人の発想から注目したのである。
江坂氏はこう書いている。

「1940年頃、奈良県橿原神宮外苑、現在の橿原公苑地区の遺跡の発掘調査
に(亀岡遺跡の遮光土偶の影響を受けた)多数の土偶が出土した」(191p)
多くは破損していたが、出土品のなかには「耳の位置に小円孔のある土
偶」が含まれており、縄文後期のものと認定される(211p)。

装飾品はペンダント、腕輪、イヤリング。つまり縄文女性はピアスをして
いたのである。

このさりげない文章には重要な意味がある。

橿原神宮と言えば、神武天皇が即位した神社であり、畝傍山麓にあって同
敷地内には神武天皇陵、綏靖天皇陵がある。

すなわち『古事記』によると、神武天皇の即位は紀元前660年であり、
世界史的にいえば同時代にはバビロニア帝国が築かれたネブカドネザル大
帝の時代に重なる。日本史では縄文後期から弥生時代の重複期にあたる。

林房雄が『天皇の起源』のなかで述べたように、天皇の原型が縄文中期に
成立したという仮説は、神武以前の統治者たち、集落の長、そして地方の
豪族の長を統一していった王、大王、スメラミコトと変貌した統治者が神
武以前にも何代も続いていたことを傍証することにも繋がっている。
       
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