2019年05月06日

◆ASEANの口頭試問

渡部 亮次郎


ASEAN(アセアン)東南アジア諸国連合は、2010年現在は加盟10カ国だが、
当初は5カ国だけだった。

東南アジア諸国連合Association of South‐East Asian Nations)は、東
南アジア10ヶ国の経済・社会・政治・安全保障・文化での地域協力機構。
略称はASEAN(アセアン)。本部はインドネシアのジャカルタに所在。

域内の人口は約5億8000万人(2005年)と多く、近年の目覚しい経済成長
に拠り、欧州連合 (EU)、北米自由貿易協定 (NAFTA)、中国、インドと比
肩する存在になりつつある。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

結成当初から日本は会談参加を希望していたが拒否されていた。後でわ
かったが、フィリピンが強硬に反対していたからだった。1978年になっ
て、ようやく外相会談への参加が認められ、当時、福田赳夫内閣の外相園
田直(そのだ すなお)がインドネシア・バリ島での会議に出発した。秘
書官の私にとって東南アジアへの同行は初めてだった。

政治記者から秘書官に転身してまだ数ヶ月。記者の癖は抜けなかった。園
田氏もそこを利用していた。中でも締結を目指す日中平和友好条約に関す
るマスメディアの反応探りに期待していた。

さて、バリ島。西洋式の立派なホテル。朝早く、会議会場の下見に出かけ
た。事務の秘書官(後の国連大使佐藤行雄氏)は会議での大臣発言の打ち合
わせに忙しいが、政務の私は、この場合は閑である。

しかし、見ておどろいた。ASEAN側が一列の5人が並び、向かいに日本の席
がただ1つ。「これじゃまるで口頭試問だ」と大臣に報告。大臣は「佐藤
君、せめて6角形にして貰えんかね」と命令。

希望通り、椅子は6角形に配置換えされた。面白かったのはその後。

会議の冒頭、園田氏が発言を求め「このたび皆様の口頭試問を受けに参り
ましたソノダです」と言ったから、会場は爆笑。一気に日本のペースに
なってしまったのだ。

その実、ASEAN側は「口頭試問」を考えていたのだ。特に、太平洋戦争
中、フィリピンに軍事顧問として滞在していたアメリカのマッカーサーに
副官(秘書官)として付いていたロムロ外相は、例の「アイ・シャル・リター
ン」以来の憎しみを消せないでいたから、この会議への日本の参加反対の
急先鋒だった。

聞けば園田はあの戦争中、特攻隊の生き残りだという。この際、徹底的に
虐めてやろうと企んでいたのだ。私がどこかから拾ってきた情報を耳にし
ていたわが外相は、「口頭試問」の企みを逆手に取ることで、一瞬にして
ASEANの懐に入りこむのに成功したのだ。

しかも、それ以来、ロムロは園田と親友になった。

園田氏は旧制中学しか出ていない。シナ事変以来、昭和20年の敗戦まで11
年間を戦場で過ごした。敗戦時は陸軍の戦闘機の操縦士から「特攻隊」の
隊長に指名。出撃の2日前に敗戦となった。

郷里、九州の天草で町の助役から衆院選に出馬して落選。町長を経て当
選。厚生大臣2度、官房長官、外相3度。、腎不全により僅か70で逝去。

ASEANでのやり取りから、私は政治家は学歴では無い。頭の良さ、機転の
利かせ方にカギがあるとつくづく思った。鳩山や菅にあるのは学歴だけ
だった。2010・11・24
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